愛娘
「ごきげんよう、お父様」
「ヴィー!」
執務室に通され淑女の礼カテーシーを執るシルヴィアに、ウィリアムは駆け寄り、抱き上げた。あの時、抗う術もなく腕の中から忽然と消えたシルヴィアの存在を確かめる。二度と離さないつもりでいるかのようにウィリアムはしっかりとシルヴィアを抱きしめたまま、降ろそうとしなかった。
「お父様、ごめんなさい。ご心痛をおかけいたしました」
「ヴィー、先に謝られては小言が言えないではないか。父は生きた心地がしなかったぞ」
ウィリアムの腕の中は、ルフとは違う安心感がある。シルヴィアは、ウィリアムの首に腕を回してしがみつくと、昨日のことと今朝確認したことを報告した。
「昨日は、早くしなければ、取り返しがつかなくなると焦り、館を飛び出しました。私わたくしの授かった【癒やし】と【創造】の力を使えば、皆様をお救いできるのではないかと思い、すべての魔力を一気に使い果たしてしまいましたの。ルフが神力を与えてくださった御陰で、私わたくしは目覚めることができましたわ。お父様、私わたくし、神力を賜わりましたの。少し試しましたところ、【心眼】の力でダークナイト達との会話も楽しめましたわ。【鑑定】の力で温泉の効能も詳しく知ることができましたの。【空間】の能力は、どこに居ようと瞬時にルフの元へ戻ることのできる空間移動の能力でございます。それに、空を飛ぶこともできるようになりましたわ。しっかりと【隠遁】しましたので、皆には気付かれておりません。ご安心くださいまし。まだ、私わたくしが授かった神力のすべてを把握してはおりませんが、決してお父様を悲しませるような無茶なことはしないとお約束いたしますわ」
「ヴィー、その約束を違えてくれるな。神力を試すのも慎重に頼むぞ」
「畏まりました、お父様」
「それにしても、馬と会話し、空を飛び、傷を癒すだけでなく欠損部を元に戻せるとは……。御伽噺のような摩訶不思議も、ヴィーならば然もありなんと得心できる。ヴィーが神力を授かったことは喜ばしいが、愛しい娘が手の届かない恐れ多い存在になるようで淋しさを感じてしまう。どうか、いつまでも、私達の愛しい娘でいておくれ」
「永久に、私わたくしはお父様の娘でございます」
シルヴィアは、ウィリアムを癒やしたいと願いながら、そっと頬に口づけた。
その瞬間、ウィリアムに不思議な感覚が広がった。聖なる力が身体の内を満たしたような清々しく心地よい温かな感情が、憂いを消した。これは、ヴィーの言葉に寄るところなのか、または、神力に寄るところなのか。ウィリアムにとっては、どちらにしてもヴィーに寄るところに違いはない。
「ヴィーの口づけには【癒やし】と【浄化】の効果があるようだ。聖なる力が身体の内を満たすような心地良さがある」
「お父様を癒やして差し上げたいと願いを込めましたもの」
「おお!そうであったか。愛らしいヴィーは女神になったのであったな」
「お父様。私わたくしは永久に、お父様の娘でございますわ」
今朝、シルヴィアが目覚めるまで、ルフの機嫌は最悪だった。その影響で、魔力の強い者だけではなく、魔力を持たない家人や生き物達にも感じられるほど、重い空気が領地を覆っていたことを、シルヴィアは知らない。
「我が娘シルヴィアは、ナイトレイ家の宝。いや、最早、我が家だけではない。この世の安寧を左右する。ヴィーの喜びは世界を光で満たし、ヴィーの憂いで世界は光を失う」
「まあ、お父様まで、その様なことをおっしゃいますの。ルフにとって、この世の命運は私わたくし次第のようで恐ろしゅうございますわ。今に皆が私わたくしを腫れ物に触るような扱いをするのではないかしら。落ち落ち、くしゃみもできませんわ。……ですが、今回のことは最善を尽くしましたが、最良ではなかったと反省しております」
恐らく、ルフ様は、ヴィーを失うことになれば、この世を滅す、とでもおっしゃったのだろう。ヴィーのことしか眼中にないルフ様らしい発言だなと、ウィリアムは得心した。
ヴィーは、改めて魔法と神力の恐ろしさを心に刻んだのだろう。伸び伸びと成長して欲しいが、自らの命を危険に晒すような真似は金輪際して欲しくない。釘を刺さして下さったルフ様に感謝せねばならぬ。
「ヴィーがどの様な淑女に成長するのか楽しみだ。だが、ゆっくりでよいぞ」
「ええ、お父様。未熟な私わたくしをお導き下さいまし」
シルヴィアに負けぬよう、親として成長せねばなるまい。そして、シルヴィアの嫁ぐ日までに、子離れできるよう心の準備を……。駄目だ。考えただけで、情緒不安定になる。この愛しい日々を大切にしよう。シルヴィアの言う通り、私達は永久にアルバートとシルヴィアの親なのだ。
「ヴィーの行動で、領民達の命が救われたのは事実だ。領主として礼を申す。ヴィーの献身と、勇敢な振る舞いを褒め称える」
「お父様」
「だが、父としての意見は異なる事を忘れてはならぬ」
「心に刻みましたわ」
ヴィーの授かった力は、圧倒的過ぎる。幼い娘に重荷を背負わすことはしたくない。だが、人の力で守るには、荷が勝ちすぎる。ルフ様に頼るより他はない。冷静に考えると、ルフ様との婚約は、この上ない程の誉れであり、他に考えようのないほど最上の婿殿なのだと分かっている。
「ヴィー、ルフ様と婚姻しても、この館に留まってくれると嬉しい」
シルヴィアは頬を赤く染め、「…私わたくしも、その様に望んでおりますわ」と答えた。
なんと愛らしい。
ウィリアムが、この日、絵師に描かせたシルヴィアとルフの姿は、後の世まで大切に受け継がれ、世界中の人々に愛された。
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