兄アルバートの気がかり
◇◇◇
貴族の朝は遅い。
日が昇れば起き、日が沈めば寝室へ入る。
目が覚めていても、寝室からは出ないのが、暗黙のルールだ。
早朝から館を整え、家事を行う使用人達への配慮でもある。
◇◇◇
雷鳴轟くある日の朝。走る支度をしていたシルヴィアの部屋を、アルバートは訪れた。
「おはよう、ヴィー」
「お兄様!ごきげんよう」
病み上がりのヴィーがディナーの席で、「お父様、お母様、お兄様。ご心配をおかけして申し訳ございませんでしたわ。私、丈夫な身体を作りたく思いますの。朝、庭を走ることをどうかお許しくださいませ」と、申し出た時は驚いた。
まさかと思いながら来てみたらが、ヴィーは、こんな日も走るつもりなのか。
「雨が激しく降っているね。雷も鳴っているよ。ヴィーは、今日も走る気かい?」
「ええ、お兄様!|私、毎日続けると決めましたの」
アルバートは優しく微笑みながら、シルヴィアの頭をそっと撫でた。
「ヴィーは可愛いらしい上にとても努力家だね。僕もヴィーに負けないよう励まないといけないな。でもね、ヴィー。雨に濡れて体を冷やしたヴィーが、また熱でも出したりしたら、皆、どんなに悲しむことか。優しく賢いヴィーなら判るはずだ」
(あぁ!私ったら、自分のことに手一杯で、配慮が欠けていたわ。六歳のお兄様に諭されるまで気付かないだなんて、恥ずかし過ぎて涙が出るわ)
「ごめんなさい、お兄様。私は、あまりに浅慮でございましたわ。皆に心労をかけぬよう自重いたします」
羞恥に項垂れ、泣き出したシルヴィアを、慰めるようにアルバートは強く抱きしめた。
「ヴィー、愛しているよ」
「お兄様。私も、愛しております」
シルヴィアは、馬たちに逢いに行けないことを残念に思いながら、雨の日は大人しく図書室で過ごすことにした。
◇◇◇
シルヴィアは、図書室に所蔵されたあらゆる書物を、夢中になって読み漁っている。
アルバートはシルヴィアの様子が気になり、何度か図書室を訪れた。案の定、シルヴィアは、食事も忘れて、読み耽っている。
図書室は貴重な書物を傷めないよう窓が小さい。読書灯のほの暗い光で、益々集中力が増しているシルヴィアに、周りは見えないようだ。
もうすぐディナーの時間になる。四歳のヴィーが、十時間もの間、私には読めない難しい書物を読んでいる。元気になったシルヴィアはシルヴィアなのに、私のヴィーではないような感覚に陥ることがある。
ヴィーに何が起きたのだろう。今もこうして、ヴィーは目の前にいるのに、喪失感に似た寂しさを感じている。
アルバートは、シルヴィアの存在を確かめるように、そっと頭を撫でた。
「お兄様!」
驚いて顔を上げたヴィーに、ほっとして、笑みがこぼれた。
「はっ!私ったら、夢中になりすぎて、時の経つのを忘れておりましたわ」
「全然、気付いてくれないのだもの。ヴィーの集中力には恐れ入ったよ」
「あああ。ごめんなさい。お兄様」
アルバートは、必死にすがりつき、許しを請うシルヴィアが愛おしくてたまらなかった。
◇◇◇