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ハンナ

◇◇◇


 マリーは、シルヴィアの愛らしい様に感嘆の溜息を吐いた。


「フローラ様、私はシルヴィア様のおっしゃる通り、悋気を起こしているようですわ」

「あら、認めるの?」

「はい。シルヴィア様をルフ様に奪われ、悋気しております。そして、私のシルヴィア様に相応しい御方はルフ様を置いて他におられません」

「私もそう思うわ。ノアには気の毒だけれど、マリーの一番はヴィーなのね。嬉しいわ。私達もマリーを手放す気はないわ。これからもヴィーのことをよろしくお願いね」

「マリー、ありがとう。ずっと側にいてね」


 シルヴィアは、マリーに抱きつき、頬に口づけた。マリーは「シルヴィア様、可愛すぎて、とろけそうですわ」と心の中で叫びながら、シルヴィアをそっと抱きしめた。


「まあ。私も悋気を起しそうだわ。ヴィー、母にもお願いするわ」

「はい。お母様」


 マリーが名残惜しそうにシルヴィアを解放すると、シルヴィアはまるで蝶が舞うかのように軽やかなステップを踏み、フローラの元へとひらりと飛んでいく。


「まあ!シルヴィアお嬢様は(いにしえ)の舞を御存知ですのね」


 シルヴィアの踏んだステップを見て、フローラの侍女(レディーズメイド)ハンナは驚いた様子だ。


「ハンナ、古の舞とはどの様なものですの?」

「元は神前の舞でございます。今では複数の男女で楽しむ社交ダンスとなっております。千年以上の古より代々受け継がれ、変化しながら今に残っておりますが、幼い頃、一度だけ拝見させていただいた最古のステップと同じですわ」

「こうかしら」


 シルヴィアは身体が動くままに舞って見せた。


「お見事ですわ」

「初めて見るステップね。ヴィーはダンスレッスンも始めたの?」

「フローラ様、私はまだお教えしておりません。このステップは初めて拝見致しました」

「不思議ね」


 ひらひらと軽やかに楽しげに舞うシルヴィアに三人は魅入られた。



 シルヴィアは、覚醒前も男女の色事とは縁遠い忙しない生活を送っていた。恋愛に関しては無知だと自覚している。指南書があればいいのだが、図書室にはなかった。ノアとマリーの仲を進展させる方法はないものかしら。手蔓を求めてシルヴィアはハンナに話しかけた。


「ハンナとヨハンの馴れ初めを聞きとうございますわ」


 先代からナイトレイ家に仕える優秀な家令(スチュワード)ヨハン・テオ男爵とハンナは、未だ子宝には恵まれてはいないが、初々しい恋人のような仲睦まじい夫婦だ。互いを信頼し、阿吽の呼吸でナイトレイ侯爵夫妻を支える様も、皆の憧れの的となっている。


 シルヴィアの一言に、マリーは思わず、淑女らしからぬ素早さでハンナの方を向いてしまった。


「ヴィーには、ハンナが宿した命が分かったのかしら」

「えっ!ハンナ、素敵だわ!」

「ハンナ様、おめでとうございます」

「シルヴィアお嬢様、マリー様、ありがとう存じます」


 ハンナは赤面しながらも、フローラに促され、語り出した。


 ハンナは、フローラの実家ルーカス伯爵家に侍女として仕えていた。ウィリアムはフローラとの婚姻を機に、王都を離れ、ナイトレイ侯爵領へ拠点を移した。


 領主不在中の責任者である家令のヨハンに出迎えられ、ハンナは一目で恋に落ちた。当時、ヨハン四十七歳、ハンナ二十一歳である。


 親子ほど年の差がある上、これ程までに完璧な紳士に奥方か恋人がいないはずはないと思い込み、秘かに恋い焦がれる日々を送っていた。一挙手一投足にときめき、視線が釘付けになる。そして、独身で恋人もいないことを確信した。そうなると歯止めが利かなかった。


 後で分かった事だが、この頃ようやく、ヨハンの方もハンナを意識し始めていたそうだ。奥様に献身的に仕える誠実な侍女から、繊細な配慮のできる、愛情に満ちた愛らしい淑女へと見方が変わった。だが、ヨハンにとって、二十六歳差の障壁は高すぎた。


 フローラに「心を読み、的確に相手の意を組む」と言わしめるほどのハンナが、ヨハンの些細な機微の変化を見逃すはずはない。布石も完璧なハンナは先手先手で寄せた。ヨハンは抵抗虚しく、早々に投了し、ハンナに落ちた。


冷静沈着の権化(ヨハン)がハンナに翻弄される様は見物だったわ」

「素敵」


 マリーはハンナを「師匠!」と呼びそうなほど陶酔した表情で見つめている。


「あら、マリー様の意中の殿方は貴女に夢中でしょ」

「私はノア様の事を弟のように思っております」

「弟を攫われないように気を付けなくてはね」

「ヨハンとハンナのように、ノアとマリーは、お兄様と私の側にいて下さいまし」


 マリーは無意識に意中の殿方がノアであることは認めている。なのに、頑なに姉弟愛だと言い張っている。


 フローラは「明日はアルバートを呼んで、ノアの話を聞きたいわ」と無言でハンナを見やった。すると、心得たとばかりにハンナは静かに頷いた。


 フローラは「絶対に心を読まれているわ」と確証したのであった。


◇◇◇

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