040 ありきたりだけど、貰ってうれしい言葉
「ごめん。出来たらライバル令嬢あたりと一悶着って感じのイベントを起こしたいと思っていたんだけど、何故か揃って歓迎ムードなの。だからゾーイに嫌がらせをする役を探せなくて」
化粧室で私に謝罪する姉。
「ラウレンス様の件だけでお腹いっぱいだから大丈夫です」
「そう。ならいいけど。それよりどう?クラーセン卿にトキメキみたいなものは感じた?」
期待に満ちた顔で姉に問われる私。
「トキメキはどうかわからないけど、前よりは不安がなくなったかも」
私は頬に紅を叩きながら姉に報告する。実際の所、ダンスを踊った時は確かに私はユリウスにときめいていたような気がする。だけどそれをいちいち口に出して報告するのは恥ずかしい。
「私のリサーチによると、ユリウス様は学生時代からゾーイ様一筋だったそうよ」
突然私と姉の会話に割り込んできたのは、黄色いドレスに身を包む女性だ。
「ソフィー様……」
私はいつの間にか隣に並び、澄ました顔で口紅を塗る王城で侍女をしている……というのはもはや仮の職で、実は諜報部か何かなのではと疑わずにはいられないソフィー様に顔を向ける。
「あらソフィー様、お久しぶりですわ」
「フロール様、お久ぶりです。お体の具合はどうですか?」
「だいぶ落ち着いてきたわ」
「次はどちらをお望みですの?」
「勿論女の子がいいわ。可愛く我が子を着飾りたいじゃない」
真ん中に立つ私をのけものにし、ソフィー様と姉の会話は弾む。
しかも話の内容からするに。
「えっ、お姉様。もしかして赤ちゃんがいるの?」
「そうよ。でもゾーイが結婚する頃にはもう産まれている予定よ」
「お、おめでとう」
「ありがとう。女の子が生まれるよう祈ってて」
「了解です」
私は驚きつつ、お祝いの言葉を述べる。
というか、身内より先に情報を掴むソフィー様、恐るべしである。
「ねぇ、ゾーイ様は何で今更ユリウス様と結婚しようと思ったの?」
「ソフィー様、それ絶対言いふらすつもりですよね?」
「言わないわよ」
何食わぬ顔をしているソフィー様。しかしここで話したが最後、確実に明日には私がユリウスと結婚を決めた理由とやらが国中に広まっているに違いない。それだけは恥ずかしすぎるので勘弁だ。
「そういうのは、当人同士の秘密ですので」
私は無難に回避する。
「けち。でもま、中庭に行くのに気を使わなくて良くなるからいっか」
「えっ」
「ここだけの話し、実はアントン殿下の命で魔法省職員が一丸となって二人の恋路を応援していたのよ?だから二人が中庭で逢引きしている時は、暗黙の了解で中庭には立ち入り禁止だったんだから」
「そ、そうなんですか?人気がないだけじゃ」
「やだ、気付いてなかったんだ」
「……いやだな。知ってましたわ」
私は思い切り見栄を張る。
しかし内心「まさか」という思いでいっぱいだ。
「ほんと長い間みんなで応援していたんだから。でも、おめでとう。次なる話題をまた提供してね」
ソフィー様は忙しなくそう口にすると、化粧道具をクラッチバックに仕舞い去って行った。
多分あれは情報収集に勤しむ為だと、いつになく浮足立つソフィー様の後ろ姿を見て確信した。
「相変わらずソフィー様は生き生きしてるわね」
「うん」
「でもそろそろ彼女の方がスクープされちゃうかもよ?」
「えっ、そうなの?誰と?」
「ふふふ。誰かしらね?」
姉は含みある笑みを私に返すばかり。
「私の知ってる人?」
「さぁ?」
「ご婦人達の社交の場で噂になってるってこと?」
「今瞬なのは間違いなくクラーセン卿とゾーイの方ね」
「……そうなんだ。じゃなくて、ソフィー様のお相手は誰?」
「ふふふ。ほらクラーセン卿を待たせては失礼よ。そろそろ行きましょう」
姉は最後にしっかりと全方向から自らの姿を鏡に映し確認した。
そしてソフィー様のお相手についてしつこく食い下がる私に、「ここだけの話だけど」を姉は最後まで口にしなかったのであった。
★★★
化粧直しを終え、それからユリウスと合流しつつ、女学院時代の友人達に婚約を報告した。
そして気づけば私はユリウスに誘われるがまま、裏庭のベンチに腰をかけていた。
「寒くないか?」
「うん」
「お腹は減ってないか?」
「うん」
「喉は乾いてないか?」
「うん」
「星が綺麗だな」
「うん」
「月もわりと綺麗だな」
「……うん」
そして訪れる沈黙。というのも舞踏会の裏庭は交流会の裏庭なんかよりずっとディープな場所だったからだ。視界に入らない程度。いい感じに距離を保ったカップル達が身を寄せ合い、仲睦まじく談笑――だけならまだしも、しっかりと顔を寄せ合っていた。その現場を目の当たりにしたユリウスと私は現在すこぶる気まずい状況だ。
「中庭って、思ってたのと違うね」
私は気まずさを何とかしようと、ユリウスに明るく話しかける。
「そうか?わりとこんな感じじゃないか?」
「ユリウスは知ってたってこと?」
つまりそれは誰かと来たことがあると言う事だろうかと、私は落ち込んだのち苛々した。
「どこどこのパーティーの中庭はやばかったとか、友人と話題に上るし。わりと常識だけどな」
「最低」
「別に俺が行ったわけじゃないし。って、君のそれ、やきもちか」
ユリウスの声が弾む。私はそんなユリウスの隣でしまったと自分の失言を悔やむ。なんせユリウスはやきもちを焼かれると嬉しくなってしまうという、厄介な性癖を持っているからだ。
「ユリウスがわざと私にヤキモチを焼かせようとしたら絶交だから」
私は予め自衛策としてユリウスに馬鹿な事はやめろと釘をさしておく。
「そんな事するわけないだろ。俺は君を悲しませたくはない。たまたま偶然やきもちを焼いた現場に遭遇するのがいいわけだし」
「趣味わるっ」
「まぁ、それについては否定しない」
ユリウスが自分の厄介な性癖を受け入れてしまったせいで会話が途切れてしまった。
これはこれで大変困る状況だ。
「どうだった?」
「え?」
「やりたい事リストとやら。やってみてどうだったかってこと」
「あー。思ったよりドキドキしなかった。でもそれは私がもう十七歳だからだと思う」
「それは俺が相手だったからじゃないだろうな」
「違うと思う。ダンスは楽しかったし、お友達に紹介されるのも、仲間に入れて貰えたみたいな気分で嬉しかったし。ありがとう」
私はユリウスに素直に礼を口にする。想像よりずっと、心躍る感じはなかった。けれど古巣に戻ったような安堵感はあった。多分ユリウスと私はこんな感じ。穏やかにこの先も未来を共に歩んで行くのだろうと再確認出来た気がする。
「フロール嬢から聞いたんだけど、君は俺にトキメキとやらを求めていると」
「は?」
口が堅い筈の姉は私の密やかな乙女全開である願望を、あろうことか対象人物に暴露していたようである。
「そして幼馴染は当て馬だと口にしていたとも」
「えーと、それは客観的に見てそういう事が多いってだけで、私達がそうとは限らないし。それに幼馴染の定義的に十二歳からの顔なじみは入るかどうか。その辺も考察すべき点だし。というか、何か肌寒いかも?」
私は雲行きが怪しくなった会話を無理矢理終了させようし立ち上がる。すると、ユリウスが私の腕を引っ張った。
「うわっ」
私はストンとユリウスの隣に腰を下ろす羽目になる。しかも先程より密着した状態だ。
「ユ、ユリウス?ち、近くないかな?」
「確かに俺達は既に老年を迎える夫婦のような落ち着きがある。しかし、まだ若返る余地はあると思うんだ」
「えーと、それはどういう意味?」
「言っとくけど、君のためだから」
先程から意思疎通が困難になったユリウス。一体どうしたのだろうかと私は隣に座るユリウスに顔を向けた。すると思いの他近くにユリウスの顔があり、私は焦りながら思った。
「まつげながっ!!」
「……君だってわりと長い」
「これはお姉様おすすめの繊維入りの魔法のマスカラを使ってるから。天然ものじゃないから、まつげ勝負はユリウスの勝ちだと思う」
「そっか……じゃなくて。悪い」
謝りながらユリウスは私を突然抱きしめた。
確かに急に淑女である私を抱きしめるだなんて、紳士のすることではない。だからこそユリウスは私に謝罪を先に口にしたのだろう。
「ドキドキってやつ、しているだろうか?俺はわりと死にそう」
「うん。私もドキドキしてるかも。わりと鼻血でそう」
「…………」
「…………」
抱きしめられてみて、確かにドキドキはする。
しかし何だろう、何かが違うと私は思う。
「とにかく恥ずかしいけど、温かいな」
「うん。犬を抱いているみたいだよね」
「…………」
「…………」
私はたぶん悪くない。
「あのさ、俺は今まで君に対し、かなり酷い事も口にした。ほんとごめん」
「それはお互い様だし、気にしてないけど」
「それに、君の家のこと。わりと甘く見てた」
ユリウスが私を抱きしめる腕に力が入る。
きっと私の家に挨拶に来た時に目の当たりにした光景。あれに少なからずショックを受けているのかも知れない。
「もっと早く気付いていればと後悔してる。すまない」
「大丈夫よ。ユリウスはいつだって私の味方だったし。それに、いつも私の背中を押してくれた。魔法省に入る未来がある事を教えてくれたのはユリウスだよ?私はユリウスがいたから頑張れたの。だからありがとう」
私は自分で口にした言葉で、ようやく自分が他の誰でもない。ユリウスを選ばなくてはいけない理由に気付いた。確かに私達は出会ってすぐ三秒で恋に落ちるだなんていう、情熱的で燃え上がるような恋はしてこなかった。けれど、私は地層を形作るようにゆっくりとユリウスを好きになった。そういう思いは瞬発力はないかも知れない。けれど持久力はあるはずだ。
「君はいつだって強い。俺はそういう所にたまらなく惹かれてる」
「私はなんだかんだでユリウスは、いつも頼りになるところが好き」
私は素直にユリウスを好きな自分を認める。
「それに、ユリウスの子供ならきっと可愛いし」
「俺も君の子供ならきっと可愛がれると思う」
ユリウスの腕が緩む。そして、私達は自然と見つめ合った。
「陳腐だって、自分で言った気もするけど。でもゾーイ。絶対君を幸せにする」
「ありきたりな言葉だけど、貰って嬉しい言葉だからきっとみんな使うのよ」
「そうかもな」
優しく微笑むユリウスの顔がゆっくりと私に近づく。
私は穏やかな幸せを感じ、そっと目を閉じたのであった。