004 認めざるを得ない
過去に思いをうっかり馳せてしまったが、今解決すべき問題は過去に経験したユリウス・クラーセンとのあれこれではない。
現在進行系で私の視界に映り込む自分と同じ髪色に、ユリウス・クラーセンと同じ紫色の瞳を持つ問題児、未来から来たというマルセル・クラーセンの存在である。
「つまり未来のユリウス・クラーセンが開発した超時空ドライバーが起動停止し、未来に帰れなくなった。あくまでもマルセル君はそう主張するのね?」
「帰れなくなった訳じゃない。母様がさっさと父様に告白して、父様が母様にプロポーズをすれば、その言葉が僕を未来に返してくれるから」
しれっと訂正を入れてくるマルセル君。
こういう生意気な所はユリウス・クラーセンっぽくて可愛くない。
「しかもプロポーズってなによ。話が大きくなっていませんか?」
「だって父様が母様に送った大事な言葉ってプロポーズの言葉じゃないの?」
「そういうもんなの?」
「僕は子供だからわからない」
「私だってプロポーズなんてされたことないからわからない」
自分で口にして、物凄く寂しくなった。
背後に木枯らしが吹いている気すらした。むなしい。
「早く帰らないと、妹が生まれちゃう」
マルセル君の顔がしょんぼりと萎れたチューリップのようになった。
私はベレンゼ家の末っ子なので、家族が増えるという経験をした事がない。しかし子供の頃は無い物ねだりの一環で、確かに妹や弟に憧れた記憶は未だに残っている。
「まぁ、これでも食べなよ」
私はたまらず自分用に購入しておいた、ポルカのクッキー缶を差し出した。
赤と緑のタータンチェック模様が特徴的な、リリロサ王国では誰もが知る伝統的なクッキーメーカーポルカ。もしマルセル君がこの国の人間であるというならば、知っていて当然であるクッキーだ。
言葉がしっかりと通じているので、マルセル君が他国の者だという可能性は低い。とは言え、厳重な警備がなされている王城に突如現れた謎の子供。警戒するには越した事がない。
私が試すように差し出した、ポルカの赤い缶を見たマルセル君。
「ポルカのクッキー。これって中身はまさか母様の手作り?」
その言葉に私はドキリとする。
確かに私はむしゃくしゃした時など気晴らしにクッキーを作る事がある。そして作ったクッキーはポルカの空き缶に入れ、職場に持ち込みおやつにしている。しかしその事実は親しい職場の仲間、数人ほどしか知らないはずだ。
何故なら私のクッキーは人様が喜ぶような出来栄えではないから。到底美味しいと思えない出来栄えのソレは、主に私が我慢して食す羽目になるのである。だからこそ、他人に配る事もなく、「ゾーイはポルカのクッキーが好きだよねぇ」とその程度の認識。果敢にも一枚頂戴と言われ渡した結果、「まさかこれって……」と絶句した数名以外、ポルカの赤い缶の中身が私の残念クッキーである事実を知る人はいない。
「マルセル君はこの缶の中身が私のお手製だって、どうしてそう思うの?」
私はさり気なく探りを入れてみる。
「父様が母様のクッキーが大好物なんだ。だから職場でおやつ用に持っていくんだ。昔はもっとまずくて食べられたもんじゃなかったらしいけど。作ってくれるその気持ちが嬉しいんだって。因みに僕は悪いけど母様のクッキーより、ポルカのクッキーの方が好き」
無邪気に明るく答えるマルセル君。
しかしその内容は驚愕すべきものである。
「クラーセン様が私のクッキーを喜んで食べる?」
「そうだけど?」
マルセル君は私の質問に短く答え、赤くて四角い缶の蓋を開けた。
「あ、やったー。母様のじゃないや。大当たりーー!!」
子供らしく無邪気に喜び、濃厚なバターの香りを漂わせるチョコチップクッキーを指で摘んだ。そしてサクッと子気味良い音を響かせ、マルセル君はクッキーを頬張った。
目尻が下がり幸せそうな表情を見せるマルセル君。まるで小動物を餌付けしているような気持ちで見守る私。そして内心複雑な思いを抱える。
というのも、たかだかクッキーの話ではあるが、私にとってみればマルセル君が未来から来たという信憑性が高まる件であり、しかも私と、あろうことかユリウス・クラーセンの子である可能性が幾分高まったような状況だからである。
それに加え、マルセル君が百歩譲って我が子であるのならば、母親のクッキーより既製品であるポルカのクッキーの方を喜ぶという状況にどう反応すべきか悩ましすぎる状況だ。
私は複雑な思いで、しかし子供って可愛いのね。などと若干絆され気味でマルセル君を眺める。
現在私は自分がユリウス・クラーセンと結婚するなどあり得ないと思う一方で、マリウス君のような愛らしい見た目の子をいつか育ててみたいなと漠然と願う気持ちも抱いている。けれどマリウス君はユリウス・クラーセンと私の子供で、違う人と私が結婚した場合、この奇跡的な組み合わせ、若葉色の髪色に紫の瞳の子は生まれない事になる。それはとても悲しいような、嬉しいような。よくわかない気持ちが私の中に流れ込んでくる。
「あのさ、母様は舞踏会とかパーティに参加する予定がある?」
「え?うん、あるけど」
急に問われた質問に私は記憶を探り、確かにそんな予定があったなと思い出す。
「じゃ次ね。母様は、ベレンゼのお祖父様にそろそろ結婚相手を決めないと、政略結婚待ったなしって脅されてるよね?」
「…………」
私は思わず絶句する。
確かに私は結婚適齢期を迎え、実家から「いい人を見つけろ」と言わんばかり、無言で送りつけられる舞踏会の招待状に頭を悩ませている。どうせ参加した所で相変わらず私は壁の花だし、相手が見つかるとは思えないのにもかかわらず、である。
しかし親から送られる招待状を無視する訳にもいかず、最近は受付で招待状を参加した証拠とばかり提出し、即帰宅のルーチンワークをこなしていた。そしてその現場をごく最近、たまたま用事で王都を訪れていた父と母に目撃されてしまい、現行犯で捕まった挙げ句、叱られたばかりなのである。
『女は結婚し子を産む。それが自然の規則だ。既に結婚適齢期を迎えたんだ。どうしても仕事を辞めたくないというのであれば、ひとまず結婚し周囲への常識的な体裁を保ったのち、子を産んでから職場復帰すればいい。とにかく私に相手を決められたくなければ、それ相応の相手を早く私に紹介しなさい』
正しいようで、正しくない。納得出来るようで、納得出来ない。如何にも古き良き風習を守り抜くベレンゼ家の家長らしい言葉を吐いた父。この事実がある限り、私は確かにマルセル君の言う通り父に脅されていると言えるだろう。
「だけど誰にもその事は言ってないのに……」
「僕は父様との馴れ初めを聞いた時、母様本人に聞いたけどね?」
私は認めがたいと抗いつつ、マルセル君の事をいよいよ我が子だと信じる気持が強くなる。
「それで未来の父様によると、パーティで、母様は父様とうっかり部屋に閉じ込められて、それで二人で力を合わせて脱出するんだって。そのあと中庭で初めてちゃんと話をする機会を得られて、お互い好きあっているって事を確認して結婚したらしいよ」
「それって閉じ込められた環境で生存本能が働き、停戦協定を結んだのち一時の協力関係を築いた。それを恋心と勘違いしただけのような……」
的確に指摘すると、マルセル君は無言で私を睨みつけてきた。
「とにかくさ、早く告白してよ。じゃないと僕が戻る戻れない以前に、僕自身の存在が消えちゃうかも知れないだろ?」
「消えちゃう?」
「だって僕は確実にユリウス・クラーセンとゾーイ・ベレンゼの子なわけ。だけどその二人が結婚しなかったら、未来の僕は誕生しないわけで、つまり僕の人生はなかった事になるじゃんか」
確かにそうだと、私はようやくその可能性に気付いた。
未だ目の前の子が自分の子供だとは信じがたい。けれど見た目の特徴は、見れば見るほど自分にも、ユリウス・クラーセンにも似ている気がした。更に言えば私の秘密を尽く知っているという事実。そして既に湧いてしまっている情。これはまずい。しかし。
「えー無理。無理。無理。あいつだけはないわーー」
私がうっかり本音を口にすると、マルセル君はバンと机を大きく叩いた。
「僕を産んだ、親の義務!!」
「あ、はい」
未婚であり、経産婦でもない私にとってみれば全く理不尽な叱られ方ではある。しかし、マルセル君の言う事が真実であれば、まぁ、確かに親の義務はなくもないような。
私は複雑な感情を持ちながらも、マルセル君の話を聞く体制を取るため背筋を伸ばした。
「そうだ。これ。僕が父様と母様の子だって証を見せるよ」
マルセル君がスルスルと首元から取り出したのは金のチエーンにぶら下がった丸いペンダントヘッドがついたネックス。それを小さな手でパカリと開ける。
すると中から幸せそうな家族の光景が手のひらサイズで立体的に映し出された。
「こ、これは……」
「母様、目が落ちそう、こわい」
マルセル君がうっかりそう口にしてしまうのも無理はない。
何故なら私はかつてないほど目を見張っているという状態だから。
現在私の目の前に映し出されているのは確実にユリウス・クラーセンである。そしてユリウスに腰を抱かれ微笑む女性はどう見ても私。そんなあり得ない状況で柔らかく微笑む私の腕には、マルセル君に似た、小さな赤ちゃんが抱かれていた。
「次、僕が好きなシーンだから」
マルセル君がそう口にすると、突然ユリウスが私の頭の天辺にキスを落とし、私は照れながらも幸せそうな顔をユリウスに返している。そして二人揃って私が腕に抱くマリウス君に視線を落とし、それはそれは柔らかく慈愛深い表情で微笑みかけていた。
「ス、ストップ!!」
私は羞恥に耐えきれず、マルセル君の魔法記録投影機能付きペンダントを無理矢理閉じた。
「ね?信じるしかないでしょ?」
ニヤリとほくそ笑むマルセル君。
「くっ……」
私は動揺し、ひとまず激しく鼓動する心を落ち着かせるべく机に手を伸ばす。
すっかり淹れたことすら忘れていた覚めた紅茶を口に運ぶためだ。
そして震える手で紅茶を何とか口元に運ぶ。そして口に含み、思わず顔を顰めた。
何故ならマルセル君の言う通り、確かにあまり美味しくはなかったからだ。
「ね?まずいでしょ?」
向かい側でにこやかに微笑むマルセル君。今の私にとって、マルセル君は既に悪魔の申し子にしか見えなかったのであった。