039 恋を自覚させられる
赤い壁、黄金色に塗られた柱。下敷きになったら即死しそうな、豪華で重たそうなシャンデリア。
そんなシャンデリアの揺らめく明かりの下、これみよがしに着飾った男女が王宮所属の楽団の演奏に合わせ優雅に舞っている。女性達のドレスは音楽に合わせふわりと広がり、色とりどりに咲き誇る花のよう。
全てが一流で整えられた美しい会場の隅。
私はすでに姉が仕掛けたと思われる罠にしっかりとハマっていた。
「久しぶりだね。何だか眼鏡がないからかな。随分と印象が変わった。綺麗になったね」
「ありがとうございます。ブラウセル卿も背が伸びたみたいです」
「ははは。確かにあの頃より七センチも伸びたんだ」
「それは凄いですわ。ジャンボですわね。オホホホ」
私は扇子を口元に当て、引きつりそうになる顔を隠す。
現在私の目の前にいるのは、かつての婚約者、ブラウセル子爵家の三男。ラウレンス様である。
私の記憶の中に残るラウレンス様よりずっとジャンボになっている彼は、「懐かしい顔を発見したわ」と瞳を爛々と輝かせたお姉様によって私の前に導かれてしまった、ある意味お姉様の被害者である。
「そうだ。婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
そちらには結婚の予定はあるのかと問いかけようとして私は言葉を飲み込む。
私の記憶が正しければ、ラウレンス様は未だ独身を貫いているはずだ。とは言え、仕事の方は順調らしい。私はラウレンス様の黒い騎士服の胸にぶら下がる勲章を見て確信する。
「学生時代、僕は君に対し随分失礼な事をしたと思う」
ラウレンス様が突然私の黒歴史を話題に出した。
「いえ、私の方こそ初めての婚約者に浮かれてしまって、我儘ばかりでしたもの。今となっては子供染みていた自分がとても恥ずかしいですわ」
「浮かれて、そうか。君は僕を嫌いだった訳じゃないんだね」
ラウレンス様は驚いた顔を私に向けた。
その顔を見つめながら私は思い出す。そうか、私の初恋はこの人だったと。ユリウスにイマイチ感じない、胸のトキメキや浮かれる気持ちを確かに私はラウレンス様に抱いていた。なるほど、あれが恋なのだと私は久々胸のトキメク感じを思い出す。
「そうですね。あの時の私はブラウセル卿をお慕い申し上げておりました」
「僕はてっきり君はクラーセン卿が好きなのかと。そう思っていたよ」
「それはないですね」
未だにユリウスに対して、ふわふわとよくわからない気持ちを抱えている身として、私はキッパリ否定する。
「ははは。でも僕はクラーセン卿に決闘を申し込まれた時から、君とクラーセン卿はいずれ結婚するのだろうなと分かっていたけどな」
「そうなんですか?」
「でももしあの時、君の気持ちが僕に向いていたのならもう少し頑張れば良かったかな」
私は返答に困り、曖昧な微笑みを顔に浮かべた。
「交流会で君は僕とウィンナ・ワルツを踊りたいと口にしただろう?」
婚約者が出来たらやりたい事リストが私の頭に蘇る。あれも今となっては若気の至りでしかない、恥ずかしい思い出だ。
「そうですね。あの頃はあのダンスが恋人同士に許されたものだと思っていて、憧れていたんです。たいしたことないダンスなのに」
「実はあの時、君の家は厳しいと知っていたから僕は自粛したんだ」
「えっ?」
私はラウレンス様の口から飛び出した思わぬ告白に驚く。
「僕は子爵家の三男だ。伯爵家のご令嬢との婚約はある意味我が家にとっても有り難い話でね。だから君にというよりは、ベレンゼ伯爵の目に映る自分ばかりを気にしていたんだ。だからウィンナ・ワルツなんてきっと踊らない方がいいと思った」
「なるほど。ブラウセル卿もお父様の被害者だったのですね」
私の呟きにラウレンス様は困った顔になったのち、苦笑いを私に返した。妥当な対応である。
「だけど僕は今でもあの時自分の気持ちに従い、勇気を出して君の手を取ればよかったと、そう思って後悔してる」
まかさの告白に「モテ期到来!?」と私の心はざわつく。
「懐かしの再会を楽しんでいる所悪いけど、ゾーイ嬢は既に私の婚約者だから」
姉にようやく開放されたらしいユリウスが人混みの中から私の前に姿を現した。
「クラーセン卿。お久しぶりです」
「あぁ、久しぶりだね、ブラウセル子爵。あなたは軍の方で順調に出世を重ねているそうで。あの時彼女をあなたに横取りされなくてよかった」
「クラーセン卿こそ、ご自身の研究室を持たれたとか。今も時空転移のご研究を?」
ラウレンス様の言葉を耳にした途端、私は頭がズキリと鋭く痛んだ。しかも何故か私の隣に並んだユリウスもこめかみを押さえている。
「クラーセン卿も?」
「うん、君も?」
私はユリウスの言葉に頷く。一体どうしてとユリウスと私はお互い顔を見合わせる。
「どうされました?」
ラウレンス様の訝しげな声に私とユリウスは自然と顔を逸し、ラウレンス様にしっかりと向き合う。
「いえ、何でもありません。今日はお会い出来てよかった。さ、君が踊りたいと言っていたウィンナ・ワルツが始まるみたいだ」
「えっ、そんなこと……」
「こちらこそ、お会い出来て良かった。ご婚約おめでとうございます」
ラウレンス様が私達に軽く頭を下げた。
それを合図にユリウスは私の腕を引っ張り、そのままホールの中央に連れ出した。そして私が心構えをする前にホルンの軽快な音が鳴り響き、私はユリウスの手を取り深く腰を落とした。
自分の意思とは別に、曲がかかると自然と動いてしまうのは家政科で鍛えた成果である。私はユリウスの肩にそっと手を置く。
「全く君は浮気症だよな」
「浮気じゃないわ」
「どうだか」
ユリウスが私の背中にピタリと手を置いた。
「うわっ」
私の背中に触れるユリウスの指先。それを感じた瞬間、私は肩をビクリとさせる。
「何だよ。そんなに嫌なのかよ」
「違うわ。密着しすぎって思っただけ」
「は?ウィンナ・ワルツってそういうもんだろ?」
「そうだけど」
「今までだって、他の男と踊ってたくせに」
「そう、だけど……」
でも何か違うのだ。これはスポーツであって、恥ずかしがる事ではない。そう頭では理解出来ているはずなのに、私の心臓は爆発しそうなくらいドキドキと脈を打ち始める。
「顔、赤いけど」
「ちょっと、こっちみないで!!真面目に踊って」
「踊ってるだろ。君こそリズムが乱れてる。ちゃんと合わせろ」
「リードするのは男性の仕事でしょ」
「女性の合わせようとする気持ちあってこそだ」
私達はいつも通り喧嘩しながら、三拍子の優雅な音楽に合わせ、会場をくるくると回る。
「なんか、懐かしいな」
「わかる。私も今最初にユリウスと踊ってた時の事思い出してた」
交流会のくじ引きでペアになった私とユリウス。毎回文句を言いながらも、顔に笑みを浮かべ完璧にダンスを踊りきっていた。
「最終的にはベストダンスペアに選ばれちゃったしな」
「そう。不覚にもあの一年で私はかつてないほどダンスが上達したの」
「俺もだ」
私とユリウスは思わず顔を見合わせて吹き出してしまう。それからその場でくるくる回転し、また大きくホールを移動する。
「あの頃はまさか君と結婚するだなんて思わなかった」
「私も」
「でも振り返ってみれば、一年の時。君とペアを組んでいた時に踊ったダンスが一番楽しかったような気がしてる」
「わかる。私もユリウスのせいで目立って嫌だって思ってたけど、でもダンスはあなたと踊ったあの一年が正直一番楽しかったわ」
「それは大人になってからも入れて?」
「うん」
私は素直に答える。ユリウスとのダンスはまるで背中に羽が生えたように軽やかにステップを踏める。それはかつてのパートナーだったからか、それとも私がユリウスを好きだからか。どちらかはわからない。けれど私は久しぶりにダンスを心から楽しんでいる。
「今はどう?」
「わりと楽しいわ」
私の返事にユリウスが満足げに微笑んだ。その柔らかい表情を目の当たりにし、私は自分の顔に熱がこもるのを感じた。
「顔、赤いけど」
「もう、からかわないでよ!!」
私とユリウスは久しぶりにダンスを共に踊った。相変わらず優雅な動きとはかけ離れた会話を交わした気がする。けれど踊り終えた私の心は不思議と満ち足りていた。
ダンスを踊り終えた私は次にユリウスの友人に紹介された。どうやらユリウスは私がかつて願った「婚約者が出来たらやりたいこと」それを叶えようとしてくれているようだ。
「卒業式の日に一度会った事があると思うけど、こいつは魔法科でつるんでいた悪友、フェニング侯爵家のミラン。で、こちらは――」
「知ってる。お前がずっと恋い焦がれてた、眼鏡ちゃんだろ?」
「おい、その呼び方は流石にもうやめろ」
ユリウスが慌てたように、フェニング卿の脇腹をつついた。なるほど、私はどうやらわかりやすくユリウスの友人達に「眼鏡」と呼ばれていたようだ。薄目でユリウスを睨みつける私にフェニング卿が声をかける。
「卒業式の日。俺たちがユリウスに早く君に告白をしろとけしかけたんだ。まぁ酔っていた勢いもあったし。願わくばあの時、こいつにはサクッと婚約してもらって諦めた令嬢達が俺たちに目を向けてくれたらいいなとは思ってたけど」
「嘘だろ……」
「嘘じゃない。お前がモタモタしてるしわ寄せが独身男子全体にきてるんだ。ほんとようやく婚活が捗る。っていうか、ここ数年晩婚化したのは全部君等のせいだからな?」
フェニング卿の衝撃的な告白に驚く私とユリウス。
「ま、でもとにかくおめでとう。ユリウスは意外に一途な所があるからさ、ゾーイ嬢を必ず幸せにすると思う。だから迷わず素直に結婚してあげて欲しい」
「はい」
私は答えながら、友達に紹介されるのは思っていたより気恥ずかしいのだと知った。けれどフェニング卿が私を歓迎する雰囲気を醸し出してくれたおかげで、ユリウスの隣に立つ事を認めて貰えたような気がすると、何処か安堵した気持になったのであった。