037 ユリウスと婚約しました
本日私はベレンゼ伯爵家のタウンハウスにいる。
つまり、実家に里帰りをしているところだ。
我が家の居間はシックな黄土色メインの草花模様の壁紙。その壁には寸分たがわぬ角度で、我がベレンゼ伯爵家における歴代ファミリーの肖像画がズラリと並べられている。
カーテンの襞の間隔も均等、ローテーブルの上に用意された紅茶とお菓子の位置も教本通り。ひたすらカチッと整えられた居間。
そんな我が家らしい居間で私は若草色のドレスに身を包み、クラーセン公爵、そしてユリウスをもてなしている所である。
「妻も同席できたら良かったのですが、体調が芳しくなく。申し訳ない」
ロマンスグレーという言葉が相応しいユリウスのお父様が謝罪を口にする。
ユリウスが歳を重ねたらきっとこうなるだろうと、予測出来るとても品のある見目麗しいお父様である。
「お噂には伺っております。一日も早く少しでも回復される事を心よりお祈り申し上げます」
私の父が一家を代表し口を開く。そしてついでとばかり父らしい言葉を口にする。
「それにしても、本当にこの子でいいのでしょうか?」
恐縮した様子の父がユリウスに率直に問いかけた。
ユリウスのお父様は僅かに驚いた顔をし、しかしすぐに穏やかな表情に戻った。
「この子で、ではなく。私はゾーイ嬢だからこそ、一生を添い遂げたいと願っています」
向かい側に座るユリウスが怪しく微笑む。
そう。私ことゾーイ・ベレンゼはついに長年因縁の仲であったミジンコことユリウス・クラーセンと婚約する事になったのである。
事前に両家の了承は既に得ている。つまり本日は両家初の顔合わせ。これで何事もなければ本日ユリウスと私は婚約証書を作成する事になるようだ。
「しかしこの子の姉、フロールならばユリウス卿が望むのは理解できるのです。けれどゾーイの一体何処に熱望される要素があるかと不思議でたまらないのです。確かに女性の中では学がある方なのかも知れません。しかし、この子の兄、フィリベルトに比べれば大した事はない。容姿にしてもフロールと比べて優れている訳ではない。となると親心として娘が騙されているのではないかと、少々不安になるのです」
父がいつもの調子で口にする。父が私に愛情がないわけではない事を私は知っている。だから私にとっては通常業務といった所。なので今更気にならない。
けれどユリウスと彼のお父様は流石に眉間に皺を寄せた。
「僭越ながら、息子の口から聞かされたお嬢様像とはあまりにかけ離れておりびっくりしているのだが。ユリウス、お前はどう思う?」
「そうですね。私は彼女と十二歳の頃より思い出を共有しておりますが、とても素直で賢い人だと思っています。容姿にしたって、私は彼女を好ましいとおもいます」
ユリウスが私をベタ褒めした。正直一体何の罰ゲームなのだろうかと思わずにはいられない。つまり私も父同様、この婚約には何が裏があるのでは?と疑う気持ち満載で同席している。
勿論ユリウスと何故かアントン殿下の中庭で話し合った事、それに加え我が家に招いた事。それはおぼろげながら覚えている。けれど私はどうしてユリウスと婚約する事になったのか、根本的なキッカケをどうしても思い出せないのである。
ただ、ユリウスの根回しにより親に話が伝わってしまった以上、私は後戻り出来ないという状況である事は確かだ。
「素直ですか……」
「好ましいですか……」
私の両親は揃ってソファーの端っこに座る私をジッと見つめる。
「お、お父様とお母様には詳しく学生時代の事を伝えてなかったですし」
私はその場を取り繕うように言葉を発した。
「だけどあんなに結婚は嫌だと、そう口にしていたじゃないの」
隣に座る母がもう既に何度も私に問いかけた「偽装結婚じゃないでしょうね?」というニュアンスが多分に籠もった雰囲気を漂わせる。
「でも、ほらテオも可愛いでしょう?だから私もそろそろ子供が欲しいなって思ったの」
私は本音を口にする。
どうしてだかわからない。けれど、私は確かに最近子供に目をとめる事が増えた。一時は自分が子供を誘拐する犯罪者予備軍なのでは?と疑った。けれど不思議とユリウスも同じような気持ちらしく。
だから私はユリウスの子なら見た目にも絶対に可愛いだろうと思う事で、この婚約を前向きに考えている。
「妻に早く孫を会わせる為にも早く結婚しろと私もユリウスに懇願していたのですが、仕事が忙しいだの何だと理由をつけ、一向に相手を決めなかった。それが急にですからね。驚きましたよ。とは言え、我が家も跡取りが必要だ。そして、妻に孫を抱かせたい」
ユリウスのお父様は懇願するように私に告げる。
確かにユリウスのお母様の体調はあまり良くないと聞いている。その事も私がユリウスと婚約する事に対し前向きにならざるを得ない理由の一つだ。
「私もそしてゾーイ嬢も家族にあまり学生時代の話をしなかった。ですから皆様は急に決まった話だとお思いでしょう。けれど実は何度か私はゾーイ嬢に告白をしています。そしてその度タイミングが合わずお断りをされておりました。ですから急に決まった話しではなく、ずっと水面下ではお互い温めていた想いなのです」
ユリウスがお互いの両親を説得させようと、私達のアレコレを大袈裟に脚色して口にした。
「ゾーイ、それは本当なのか?」
「ユリウス卿からのお話しを断るだなんて、何て失礼な事を」
両親が揃って厳しい表情を私に向けた。
縦社会に生きる貴族的には公爵家嫡男からの求婚を跳ね除ける。それはありえない事。私だってよくよく考えればそう思う。けれどユリウスといるとついうっかりその肩書を忘れてしまうのだ。
「やはりお前には公爵家の妻になるなど無理じゃないのか?」
ユリウスの暴露により私の非常識度が露見され、一気に父の不安が募ったようだ。青ざめ、「恥を晒す前になかった事にしたほうが」などと小声で口走っている。
「それは無理です。私はゾーイ嬢を妻にすると決めた。彼女もようやくそれを了承してくれたのです。それに彼女は王立学院の家政科をきちんと卒業している。貴族の妻になる為の作法を初歩からみっちり叩き込まれているのです。そのような立派な女性に公爵家の妻が務まらないのであれば、誰にだって務まるわけがありません」
ユリウスはキッパリと言い切った。買い被りすぎな気もするけれど、やっぱりいつになっても褒められるのは嬉しい。
「でもこの子の成績は私やフロールに比べたら誇れるものではありませんわ」
私の家政科での成績に未だ納得がいっていない母は、その気持をぶり返してしまったようだ。何故なら母や姉は成績優秀者として表彰された立派な経歴の持ち主だから。とは言え、私も最後の一年については自分でも家政科の勉強に対し手を抜いた自覚があるのでうつむくばかり。
「彼女は最後の一年私は魔法省に入る為の勉強に精を出していました。その結果家政科の成績は誇れるものではなかったかも知れません。けれど私は家政科を卒業し魔法省に入省した女性を知りません」
ユリウスが私を精一杯援護してくれる。
とても有り難いし、私との婚約を本当に望んでくれているのだなと、嬉しくもある。
しかしいつだって私の気持ちをブルーにさせるのは父と母なのである。
「そりゃそうです。普通は家政科を卒業したら、妻になり家庭を支える人が多いのですから。そのための学校でもありますし。魔法省に入省を希望するのであれば、通常は魔法科の方に入学しますからね」
「それに女性の義務は家庭を守ることですもの。働く必要のない伯爵家の娘でありながらわざわざ職についたこと。それによって社交を蔑ろにしたこと。更に言えばこの子は一人暮らしまでして。正直親としてもどこで道を間違えたのかと頭を悩ませておりましたのよ」
立て続けに両親が私に対する愚痴を吐き出した。どうしたって敷かれたレールからはみ出した私を両親は認める事が出来ないようだ。
だから女性の義務を果たそうと、こうして結婚しようと前向きな会に参加しているじゃないと思わず主張したくなる私。しかし一つ言い返せば三倍くらい小言が追加されるのを知っているので、私はひたすら貝のように固く口をつぐみ耐える。
「私は彼女の生き方を認めています。それに最初から彼女の希望通り魔法科に入学させてあげていれば」
「ユリウス。ご家庭によって考え方は違う。それはお前が口出しをしていい問題ではない。それにお前はベレンゼ伯爵家で育ったゾーイ嬢だからこそ、好きになったのだろう?」
ユリウスのお父様がユリウスを窘める。
確かに私はベレンゼ伯爵家の娘だ。それを残念に思う事もあった。けれど親がなかなか私を認めてくれない分、反骨精神でここまで頑張れたのは確かだと思った。
「それにユリウス、お前が今後家庭を持ったら、お前の考える理想の家庭を築けばいい。それに対し私は公爵家はこうあるべきなどと口を挟まないつもりだ。勿論それはベレンゼ伯爵家の皆様も同じ思いだと思うぞ。そうですよね?」
ユリウスのお父様は私の父とそれから母に対し牽制の言葉をかける。
流石現国王陛下の弟だなと、私は尊敬せずにはいあられない。誰も責める事なく主張を通す。とても鮮やかなまとめ方だと感服した。
「そうですね。嫁に出すわけですし。しかし本当に……いや、失礼しました」
父が騙されているのではないかと疑心暗鬼になりながらも、ユリウスのお父様の意見を容認した。
「では我が息子、クラーセン公ユリウス。そしてベレンゼ伯ゾーイ。この二人の婚約に両家共に了承ということでよろしいかな?」
「至らない点の多い娘ですが、よろしくお願いします」
父が深く頭を下げる。それに倣い母と私も会釈する。
私にとっては、父と母が私の為に頭を下げてくれた。その事だけで、もう充分だと思った。
私は愛されて育った。
ただ、ちょっと不器用な両親だったせいで、恨んだりもしたけれど。
こうして私はユリウスの正式な婚約者となったのであった。