034 ユリウスからの告白(過去)
人垣の中から飛び出してきてくれたのはユリウスだった。
「ユリウス助けて。あの人が眼鏡を返してくれないの」
「眼鏡?」
私に駆け寄ってくれたユリウスは男の腕から私の手を解き、そして頭上に掲げられた眼鏡に視線を送った。
「何でこのご令嬢の眼鏡をあなたが持っているんですか?」
「それは、ちょっとしたお遊びだよ。泣かせたかったわけではない」
「違う、お姉様に振られた腹いせで私でもいいやって、そんな軽い気持ちで私を馬車に連れ込もうとしてた」
「馬車に?」
「そう馬車に」
私はユリウスに泣きながら事情を説明する。すると、ユリウスは私を庇うように背に隠し、男性に向き合った。
「馬車の紋章を見る限り、あなたはブラウン男爵家の方ですね」
「そうだが」
「伯爵家のご令嬢を無理矢理馬車に連れ込もうもしていた。シーズンが始まったばかりのこの時期にそんな噂が立てば、議会ではさぞブラウン男爵家の皆様は肩身の狭い思いをされるでしょうね」
「くっ」
「それに嫌がるご令嬢を無理矢理だなんて、紳士としてあり得ない。ここは王都のセントラル。もっとスマートに振る舞われた方がいいのでは?」
「わかりました。もういい。興醒めだ」
男性はユリウスに私の眼鏡を押し付けるように渡すと、馬車に飛び乗り逃げるようにその場を去っていった。
「ユリウス、大丈夫かよ」
魔法科の黒いローブを羽織った生徒がユリウスと私の前に現れた。胸にムーン草と呼ばれる王家の庭にだけ咲く貴重な花を飾っている。これは卒業パーティに参加した証だ。
「俺は大丈夫。それよりすまない。彼女を自宅に送り届けてからまた合流する」
「あー、オッケー。いつもの店で朝まで飲んでるだろうし。いい機会だしな、こっちは気にすんな」
公爵家の嫡男であるユリウスに軽い口調の青年。ユリウスの肩越しに何かを呟く。
「お前に言われなくても、わかってる。つーか、もう行け。早く行け」
ユリウスは何故か怒ったような口調で私に眼鏡を差し出す。そして友人らしき男性にシッシッとまるで犬を追い払うようなぞんざいな態度を取った。
「見えないだろ。早くかけたほうがいい」
「あ、うん。ありがとう」
私は慌ててハンカチをポケットから出し、目元に滲んだ涙を拭き取る。それから若干湿ったハンカチで眼鏡のレンズをこすってから顔の定位置に眼鏡を戻した。
「ほらいくぞ」
ユリウスは私の前を歩く。
「あっ、そっちじゃない」
「は?お前んちこっちだろ?」
ユリウスが向かおうとしていたのはベレンゼ伯爵家のタウンハウスがある方向だ。確かに我が家ではある。
「私は家を出る事にしたの。だからこっち」
私はユリウスが歩き出していた方向と逆を指さす。
「まさか一人暮しをするのか?」
ユリウスの目が大きく見開く。
「そう。仕事するし」
「でも伯爵家の令嬢が一人で暮らせるのか?」
「出来るよ。寮では侍女なんていなかったんだし」
「そうだけど」
ユリウスに事後報告をしながら私はゆっくりと石畳の上を歩き出す。既に高く伸びた魔石灯にオレンジ色の明かりが灯っている。
「大丈夫なのかよ」
「何が?」
「その色々と。家の事とか、さっきのとか」
「全然駄目。お父様にはすごく叱られたし、お仕置きでドレスを作ってもらえなかったから卒業パーティにも出席出来なかったし、お姉様がモテるせいで私は相変わらず迷惑を被ってる。最低な日を更新中って感じ」
酔った勢いで私は全てをぶちまける。先程一緒に飲んでいた男性は私の話を聞いているフリをして、全然話が噛み合っていなかった。だから、きちんと私の聞いてくれる人を前に、愚痴をこぼしたくてたまらなかったのだ。
「だから今日お前はパーティーにいなかったんだ」
「探してくれたの?」
「まぁ、色々世話をしたし、今後も世話をするだろうし、挨拶くらいしておこうかと」
ユリウスは何となく矛盾した言葉を口にする。
「ユリウスは魔法科学研究局のエリート研究員でしょ?」
「お前だって魔法管理局の職員だろう?」
「そうだけど」
「だから俺とお前は別にこれでお別れじゃない」
「どうかな。エリート研究員様は今よりもっと人気があるだろうし」
ユリウスは入学当初から今の今までずっと人気者だ。方や私はずっと日陰を歩き続けている。
社会人になれば、その差は歴然。交わる事なくさらに右と左に分かれていくのだろうなと、私はそんな風に考えていた。
「だとしても、お前が俺を故意に避けない限り、俺とお前の腐れ縁は続くだろ?」
確かに私とユリウスは腐れ縁といえる仲である事は確かだ。けれどそれは学生時代だから許された関係であって、社会人になったら同じようにはいかない。何故ならユリウスと私は婚約者のいない、結婚適齢期を迎えた男女。そんなの私達が違うと言った所で、周囲は変に勘繰るだろう。
「確かに私達は腐れ縁なのかも知れないけれど、だけどこれからは今までの通りってわけにはいかないよ」
「何でだよ」
「だって私達は男女だし、友達ですって主張しても信じて貰えるとは思わないから」
ユリウスは私の言葉に返事をすぐに返してくれなかった。
「確かに俺とお前は今は友人に違いない。けど未来なんてわからないだろ?」
「未来って、まさか私とユリウスが恋人同士になるってこと?」
「まぁ、端的に言えばそうだ」
「ないよ」
私は自信たっぷり、否定する。
「何でないって言い切れるんだよ」
ユリウスは途端に不機嫌な声になった。
「だって、今までだって何もなかったんだよ?」
「そうだけど」
「大体恋に落ちる瞬間って、偶発的な物が大きいというか。そもそも腐れ縁って言葉がピッタリな私達が今更恋に落ちるなんてありえないと思う」
思い返して見れば私はユリウスに対し、誰よりもずっと素の自分をさらけ出していた。そもそも最初の出会いが最悪で、その結果「好かれたい」と思う気持ちにもならず、取り繕う事を一切しなかったからだ。
それに何より――。
「もし私達がお互い付き合う事になったら結婚直結。嫌だって思っても今までみたいにちょっと距離を置いて、また仲直りをしてって事が出来なくなるし」
私は念を押すように付け加える。
色恋沙汰に発展した男女が友人に戻れる可能性は低い。何故なら貴族間の恋愛は背後にチラつく家同士が結びつくという関係もあり、親に隠し通す付き合いというのはやましい関係以外ありえない。よって感情に従い後先考えず行動した結果、嫌いになったから「はいさようなら」と直ぐに精算出来るものではない。
その結果、今のような腐れ縁。そんな関係が途絶えてしまうのは少しだけ寂しいと私は素直にそう思った。
「男女の友情って難しいよね。周囲からの目も気にしなきゃ行けないし、挙句の果てには恋愛に発展したら今のような関係ではいられなくなる。両思いの時はいいけど、喧嘩したら友人になんて戻れない。だけど男女である以上、歳を追うごとに周囲は何かと色眼鏡で私達を見るわけだし」
私は自分でユリウスとの関係を整理するように口にし、一つの結論に達した。
「ユリウスが女の子だったら良かったのに」
私はつい有り得ない願望を口にする。けれどユリウスが女の子であれば、今こうして頭を占める問題はスッキリ解決するのである。
「俺はお前が男であれば良かったなんて思わないけど」
突然ユリウスが足を止めた。数歩前に歩いてからその事に気づいた私は立ち止まり、ユリウスを振り返る。
「お前は俺がしたことの意味、まだわからないのか?」
私を射抜くように見つめるユリウスの眼差し。
「酔ってる?」
「少し飲んだけど、お前ほど酔ってはいない」
はっきりと否定され、私は戸惑う。何故なら前回仲違いしたきっかけ。その時も確かユリウスに同じような事を聞かれたからだと、唐突に思い出したからだ。
「友達だから、でしょ?」
私は正解を口にしたよね?と探るような視線をユリウスに返す。
現在何気なく喋ってはいたが、私とユリウスがこんな風に会話するのは久しぶりのこと。何故ならラウレンス様に私の名誉を回復すると決闘を申し込んだユリウス。その事がきっかけで私は今の今までユリウスと絶交していたのである。
「そう言えば、まだ絶交したままだよね?」
「まぁな」
「ごめん、あの時ユリウスが決闘してくれたのは私の為なんだよね?」
私は立ち止まり、素直にユリウスに頭を下げた。今日は卒業式という人生における節目の日。ユリウスと仲直りする絶交の機会である。それに時が経ち、冷静に考えてみると友人が自分の名誉を守るためにと、杖を握り決闘してくれた事は迷惑ではない。有り難いことだと、私は素直にそう思えた。
「まぁ、俺も関係ないのに割り込んで、目立つような事してごめん」
ユリウスも素直に私に謝罪を口にする。
「じゃ、もう仲直りだね」
私はユリウスに笑顔を向ける。
「何だかんだユリウスとは喧嘩ばかりしていたような気もする。けど、私はユリウスがいたから魔法省に入れたと思ってる。ありがとね」
「やけに素直なんだな」
「ま、卒業したし、社会人だしね。少しは大人にならなきゃと私だってそう思うし」
私はユリウスとの間に流れる改まった雰囲気を払拭するよう、わざと明るい声を出す。
「大人に、か」
ユリウスが小さな声で呟く。
「俺はお前をただの友達だとは思っていない」
「親友ってこと?それなら私もユリウスの事はわりと大事な友人だと思ってるよ。感謝もしてるし」
「俺は今まで通り、お前と親友のまま一生を終えるのは無理だ」
突然大真面目な顔でユリウスから拒絶の言葉を口にされ、私はショックを受け言葉を失う。
「どちらかが好意を持つようになったら、友達でいられないと言うなら、俺はお前の傍にはいられない」
ユリウスが私との決別をきっぱり口にした。私は事実を口にしただけだし、きちんと謝罪した。それなのに何故最後の最後。新たな門出の日に突き放すような事を言われるのか意味が分からず動揺する。
「腐れ縁って言ったのはそっちの癖に」
私は不貞腐れた声で恨みがましく呟く。
「俺はもうとっくにお前を好きだ。そろそろその事実に気付いて欲しい」
さらなるユリウスの告白。私の体は一気にアルコールがまわったようにカッと熱く火照る。
「な、何の冗談?私は今日最低な日を更新中なんだけど」
「冗談なんかじゃない。俺がお前に関わるのは、お前が好きだからだ。そもそも好きでもない女の為に決闘なんかしない。悪いが俺はそこまでお人好しじゃない」
ユリウスの表情はいつになく真剣なもの。だから私も酔った頭で必死に状況を受け入れようと思考を巡らせた。
「ユリウスは私が好き?」
しかもその「好き」の意味は色恋絡みのようである。だけど冷静に考えると、ユリウスは人気者で私は一言で言えば目立たない眼鏡。到底ユリウスに自分が相応しいとは思えない。
「お姉様ならともかく」
私は周囲が認める冴えない子である。
「お前の姉の事じゃない」
「お姉様に近づきたいとか?」
「やっぱそうくるか……」
ユリウスはその場でガクリと肩を落とす。
「常識的に考えた結果だよ。だってみんなそうだもん」
今までだってそうだった。
そしてつい先程一緒に飲んでいた青年だってそうだった。
みんながみんな、私をお姉様に近づく道具にするのだ。
「それに私とユリウスじゃ無理だよ」
そもそもユリウスと私は釣り合わない。万が一、私がユリウスの気持ちを受け入れた場合、「何であの子と付き合う事にしたのだろう」と周囲に疑問を提供してしまう事は間違いない。それに家政科を卒業し、新たな環境に身を置くだけでも不安で一杯なのに、ユリウスに似合うよう自分を外見も内面も磨く事も同時進行しなければならない。そんな器用な事はきっと今の私には出来ない。
私の頭の中はやっぱりいつも通り、マイナス思考で一気に埋め尽くされたのであった。