033 卒業式(過去)
その日私は四年間通った王立学院家政科を無事、卒業する事が出来た。
先生方の有り難くも長い話に耐え、無事に卒業証書を受け取り私達は晴れて家政科の卒業生となった。
「次皆様にお会い出来るのは、ユミィの結婚式かしら?」
「やだ、その前にお茶会をしましょうよ」
「そうね、領地へ帰ったら議会のシーズン中しかお会いできなくなるし」
「でもゾーイは魔法省に入省したもの。みんなで王都に集まればいいのよ。ゾーイのお家は四人くらい泊められるでしょう?」
「うーん、ギリギリかも。でも王都に来た時は絶対、遊びに来て欲しい」
中庭で集まり、四年間を共に過ごした仲間とお互い、涙で濡れた顔を向け合いながら別れを惜しむ。
「って、卒業パーティの準備をしなくちゃ」
「ドレスに着替えなきゃね」
「今日くらいは羽目を外そうとっと」
「ゾーイも出席するでしょ?」
みんなの視線が私に集中する。
ついにこの時がきたかと私は内心窒息しそうなくらい、心が苦しくなる。
「残念だけど今日はどうしても、この後予定があって」
私は最後の嘘を友人達に吐き出す。
「えっ、参加されないのですか?」
「一生に一回ですのに?」
「何か事情があるの?」
「私達に出来る事はある?」
みんなが私を心配してくれる。
けれど流石に「父と喧嘩をして、ドレスを新調出来なかった。喪服みたいなドレスを着てパーテイに参加するくらいなら、死んだほうがマシ」なんて、そんな子供地味た理由でパーティーを欠席するだなんて言えなかった。
今日は一生に一度の卒業パーティー。そんな晴れの日に私の個人的な事情で友人達の浮かれた気分に水をさすような事は流石に出来なかったのである。
「違う、違う。新しく住む所の引き渡しがどうしても今日じゃないと駄目みたいで」
もっともらしい嘘を、明るい顔でみんなに告げる私。
友人達はそんな私の嘘を確実に見抜いていたと思う。けれどその件について深く詮索される事はなく、だからこそ彼女たちと仲良く出来たんだなと私は改めて感慨深く思った。
そして私は近い内に絶対に会おうと約束し、一人校舎を後にしたのである。
★★★
その日の夜、私は一人酒場にいた。
諸事情によりパーティに参加は出来なかった。けれど私も自分の四年間を密かに祝う権利くらいあると思ったのである。
そこで選んだのは、貴族の若者の間で評判がいいと聞いた「マーメイドクラブ」と言うセントラルにあるお店だ。
本当は予算的にも、気分的にも下町の酒場に行きたかった。けれど、私はまだ成人なりたてな上に家政科を卒業したてのひよっこだ。それに何だかんだ言っても私は結局貴族の世界で生きてきた。だから庶民が集う酒場は未知の世界で怖かった故の選択だ。
マーメイドクラブは若者向けとあって、明るい店内に明るい音楽。置かれた調度品もどちらかというと、シックと言うよりはモダン寄り。
アルコールと香水の匂いが充満し、まるで媚薬を嗅がされているようだと思った。けれど、入店した時のドアの開閉音でチラリと視線で確認されたのち、すぐに何事もなかったように飲み続ける客を見て、これなら行けると私は思った。
「ま、飲みますか」
私は迷わずお一人様専用カウンターへ進む。
そして一時間後、私は酔っ払いつつ、隣に座った男性相手に愚痴をこぼしていた。
「それで、父は最後に何と言ったと思いますか?」
「眼鏡を取ると、君は案外可愛いじゃないか」
「可愛い?違います。私は姉のように垢抜けていないから、だから嫁の貰い手がいないから、仕事に逃げたんだと、そんな風に言ったんです」
「垢抜けてないって事は、磨けば光る可能性はあるってことだと思うけど」
「……まぁ、それは追々。社会人デビューしますから追々。って問題はそこじゃないんです。私は逃げたんじゃない。挑戦したんです!!」
私はひたすら話を聞いてくれるいい人を相手に、完全に酔っ払っていた。勿論こういった店で声をかけてくる男性には下心あり。だから気をつけろという話は知っていた。けれどまさか私相手にはないなとすっかり油断していたのである。
「わかった。だったらさ、僕と挑戦してみようよ」
「あなたと?」
男性の顔が思いの外近い。こんなに親身に愚痴を聞いてくれる男性。もしや知り合いなのかも知れないと私は気づいた。私は男性の顔をしっかり確認しようと、眼鏡のフレームを指先で押し上げようとし、そこにあるべきはずの眼鏡がない事に気づいた。
「眼鏡がないわ」
テーブルの上を探すが見当たらない。
「これだよね?」
男性が掴むのは間違いない。私の眼鏡である。
「まるで手品のようですね」
「手品か。ふふ、ある意味そうかも。ねぇ、眼鏡を返して欲しい?」
「勿論。それがないと良く見えないし、何より意外に高いんですよ、それ」
「あー確かにフレームに草花の模様が彫ってあるね。君の髪色に合わせたのかな?」
男性が私の眼鏡のフレームに視線を落とし、感心した声を出す。
「それは知り合いが、意味不明に決闘したんですけど、その時私の眼鏡が壊れたんです」
「決闘?まさか君絡みで?」
「どうでしょうね。よくわかりません。とにかくその時、今までの眼鏡を直すのに時間がかかっていたら、「とりあえずこれをかけておけ」とその眼鏡をくれたんです」
「なるほど、その人は気前かいいんだね」
「だって、その人のせいだから」
私の脳裏にユリウスの顔が浮かぶ。元の眼鏡が修理から帰ってきて、返却しようとしたら「俺には眼鏡は必要ない」と断られた。だから何となく受け取ってしまったのち、かけ心地が良くて現在私のお気に入りのポジションにいる眼鏡。それが今、目の前の男性が持つ眼鏡である。
「でもそう言えば、何で私のレンズの度を知っているんだろう?」
「同じ眼鏡屋さんで頼んだのかもね」
「……何で私の眼鏡屋さんを知っているのかしら?」
「わかんない。でどうする?」
男性が口にしたどうするの意味がわからず私は首を傾げる。
「眼鏡を返して欲しいか、欲しくないか」
「返して欲しいです」
「じゃ、散歩しよう」
「散歩ですか?」
「君はちょっと酔ってるだろう?夜風に当たって少し酔いを覚ました方がいい」
「あー、なるほど」
確かにその言い分には一理あると私は思った。だから私は男性と共に店を出た。
それからしばらく歩いて大通りに出ると、馬車寄せまで歩かされた。古き良き馬車を利用する貴族は、自分が用事を済ませる間、家の馬車をここで待たせておくのである。
「でも何で馬車?」
「ちょっと乗らない?」
そこで私は自分の失態に気付いた。眼鏡を私から奪った男性は、私と一夜を共にしたいと願う、恐ろしく珍味な人間なのだと。
「えっ、無理です」
私はいつの間にか繋がれていた手を振り解く。
「僕も今日一人で過ごすなんて無理だよ」
「本気で言ってます?」
「うん、本気。君ってベレンゼ伯爵家の次女ゾーイ嬢だよね?」
「……」
この時点でとても嫌な予感がした。私は幼い頃からこのパターンで身に覚えのない嫌がらせを受けた事が何度かあったからだ。
「まさか、お姉様にフラれた腹いせで私を傷つけようとしてます?」
「傷つけようとはしていないよ。それに君のお姉さんはすでに人妻だろう?でも君はフリーだ。しかも今は野暮ったいけど、フロール嬢と同じ血を引いているわけだし、磨けば光るかなと思って」
「光りませんよ。返して下さい」
私は男性の手元に手を伸ばす。
「一晩付き合ってよ」
私の手が届かないよう眼鏡を持った手を上に伸ば少し男性。私はその渡すまいとする気迫にあてられ、これはもう眼鏡は諦めようと私は即座に判断する。
勿論ユリウスに悪いとは思った。けれどユリウスはここで私が諦めることを責め立てるような事はしないと確信していた。
「もういいです。眼鏡はどうぞご自由に」
私はくるりと振り返る。すると、あろう事か男性は私の腕を掴んだのである。
「ちょっと、やめて下さい」
「ここまで着いてきたくせに」
「で、でもあなたは私が好きな訳じゃないですよね?」
「そういうの関係ないから」
「私には関係あるんです」
路上で押し問答をするうちに、人垣が出来てしまう。
私は急に恥ずかしくなった。と同時に家族の知り合いに見られたりして、両親に告げ口をされたらまずいと焦る。折角魔法省に就職する事を勘当気味にではあったが許されたのである。両親に悪気はなくともそれなりに酷い事もたくさん言われ傷ついた。それが全てなかった事になるのは困ると、私は泣きそうになった。
「おい、何してるんだよ」
人垣の中から見知った声が聞こえて私はつい気が緩む。お酒も入っていたせいか、私はその場でまるで子供のように泣き出してしまったのであった。