031 マルセル君の帰還に向けて
私とユリウスは甘いムードもそこそこ。急いでマルセル君の部屋に戻った。
「上手く行ったようだね」
部屋で待っていてくれたアントン殿下の言葉に私とユリウスは顔を見合わせる。
「叔父上、それって」
「マルセル君の透け感が戻ったって事ですか?」
私とユリウスは矢継ぎ早にアントン殿下に問いかけつつ、マルセル君が寝かされたベッドへ急ぐ。そして私は恐る恐るマルセル君の顔を覗き込む。
「あ、透けてない!!」
私は心からホッとしてマルセル君の小さな体を掛け布団ごと抱きしめる。
「本当だ。良かった。これで無事に未来に帰れるといいな」
ユリウスが思いの外、安堵したような声を出した。私に比べるとマルセル君に対し冷静に対応していたように思えるユリウス。だから私はマルセル君の事を思いの外心配してた様子のユリウスを少し意外に思った。
「ユリウスも心配してたの?」
「そりゃ、自分そっくりなどと言われたら、嫌でも気になるし、無視なんてできない。それに俺は君と将来一緒になりたい。そう願っていたから、未来から自分の子供が来た。それは何ら不思議な事ではないと思っていたし」
「な、なるほど」
さり気なくユリウスの密かなる想いを聞き、私は途端に恥ずかしくなる。
「ふふふ、もうすっかり恋人同士ね」
「むしろ子供を心配する姿は既に親の顔にも見えるね」
クラウディア妃殿下とアントン殿下の生暖かい視線と言葉が、私の気恥ずかしく居た堪れない気持ちに拍車をかける。
「今日は君たちも疲れただろう。うちに泊まっていくといい」
「お気遣いありがとうございます」
「それに横になりたければ隣の客室を使うといい」
「そうですね。でもきっとゾーイ嬢はここを離れないと思います」
「そうか。とは言え、体を休める事は大事だ。何故なら君たちはできるだけ早くマルセル君を未来に戻す必要があるからね」
アントン殿下とユリウスが私の背後で交わす会話。その内容に私は途端に置かれた状況に気付かされる。
「マルセル君は罰せられるのでしょうか?」
すっかり忘れていた。けれどマルセル君は許可なくこの時代に侵入した事は間違いない。
「通常であれば、子供の犯罪は保護者が監督責任を問われる。確かに君達は彼の両親である可能性が高いだろう。けれどそれは未来での話。よって罪を問われるのは未来を過ごす君達という事になるだろうね」
この先、自分が罪に問われる。その事を先に知り、私は何とも言えない気分になる。予め不具合が起きる事がわっていて、可愛い我が子を過去に送り出す。私はそんな経験を私はしないといけないのだろうか。
「あっ、もしかしてユリウスが超時空転移ドライバーの開発をやめれば、マルセル君もこんなに苦しむ事もないし、将来ユリウスと私が罪に問われる事はない……」
私は名案でしかない閃きを口にする。
「それは無理だ。今後の流れとして俺たちはマルセル君の記憶を消されるだろうから」
ユリウスの口から飛び出した言葉に私は目を丸くする。
「そうだね。正しい未来へ向かうよう、君たちはマルセル君が無事に未来へ戻された後、時空警察によってマルセル君に纏わる記憶を消される事は間違いない」
アントン殿下の言葉を受け、私はふと気付く。
「私の現在の状況。つまりユリ……クラーセン卿と思いを確かめあった記憶。それに対し影響はないのでしょうか?」
私がユリウスに恋をしていると気付いたのは、マルセル君がきっかけである。いや、正確にはユリウスに対し素直になれた、といった方が正しいかも知れない。とにかく私はマルセル君のお陰でユリウスと両思いになれた。けれどその記憶からマルセル君が抜け落ちた場合、私の中にはユリウスに告白した記憶だけ残り、その結果、「何でユリウスに告白したのだろう」と記憶が混乱する事にはならないのだろうか?
「その件だけれど、君の性格からして最悪やり直しになるかも知れないよね」
アントン殿下は言いづらそうに、取り繕った嘘っぽい笑顔を私に向ける。
「やり直し……」
私は告白に至るまでの紆余婉曲を思い出し暗い顔になる。流石にまた一からは勘弁願いたい。
「だって君はマルセル君が現れるまで、ユリウスをミジンコと同等とか口にしていたくらいだし。その上、何で告白したのか、そのきっかけを失うわけだから。私には「酔った勢い」だとか「からかおうと思った」だとか、ユリウスに対する告白をあの手この手でなかった事にしようとする。そんな君の姿しか思い浮かばないけど」
「ミジンコ……」
アントン殿下の容赦ない暴露にユリウスが私に氷のような眼差しを向ける。
「でも、マルセル君の存在は嘘ではない、現実だわ。だから遅かれ早かれ二人は想いを確かめ合う運命になるのだと、私はそう思うけれど」
クラウディア妃殿下が意味深長な笑みを浮かべた。
「妻の言う通りだ。それにユリウスを将来の伴侶にと選んだきっかけ。今回は偶然マルセル君だったようだけれど、やっぱり自分で気付くべきじゃないかな。自分の子供にフォローしてもらうって、それは本来おかしな事だからね」
「それにこれから先の人生の方が長いもの。しかもそれは良いことばかりが続くわけではない。どんなに好きな人とでも、喧嘩はするし、意見が衝突する事がある。それを乗り越える為にも、最初にしっかりと相手への想いを自覚しておくべきだと思うわ」
クラウディア殿下がアントン殿下に微笑みかけた
「それに。素直に謝る勇気は絶対に必要だよ」
「まぁ、私がいつも殿下に謝罪を求めているいみたいじゃないですか」
「そりゃ、愛する妻に嫌われたくないからね。私はこう見えて未だに君の愛を乞う、哀れな男なのさ」
「まぁ酷い!!」
「うわ、冗談だってば」
クラウディア妃殿下はアントン殿下を軽く睨みつける。けれどアントン殿下はとても嬉しそうだ。そんな微笑ましい光景を目の当たりにし、私は夫婦っていいなと漠然と思った。
そりゃ喧嘩はするかも知れないし、こんなはずじゃなかった。そう思う事も多いだろう。けれどその喧嘩は幸せになる為の喧嘩なのだと感じた。
勿論私とユリウスがしてきた言い合いもお互いの心が近づくきっかけとなったのだから無駄ではない。けれど夫婦喧嘩はその先。お互より同じ方向に進むための喧嘩なのだ。
「何だか結婚って意外に奥が深いのね」
「俺も今密かにそう感じてた」
私とユリウスはお互い本音を漏らす。
「とりあえず魔法省の方には私から連絡しておく。だから君たちはこの子としっかりお別れが出来る準備をしておきなさい」
アントン殿下はユリウスと私に告げると、クラウディア妃殿下と共に静かに部屋を後にした。
朗らかな笑い声を私達に提供してくれていた明るい夫妻が部屋から立ち去り、途端に静けさを増す室内。アントン君の定期的に繰り返される呼吸音が部屋の中に響く。
私はアントン殿下が口にした「お別れ」という言葉にしおれた花のようになる。
私はユリウスと両思いになり、共に歩む事になるであろう未来に喜びや期待を感じている。けれどそれはマルセル君とのお別れを意味する事でもあるのだ。
「マルセル君」
私は急に寂しさが募りマルセル君の体を掛け布団の上から抱きしめる。
すると隣に並ぶユリウスもマルセル君の頭に手を伸ばし、若草色の髪を優しく撫でた。
「一時的な別れだとは理解しているが、どうにも寂しいな」
「うん。それにもし私がまたユリウスに対して素直になれなかったら、マルセル君と再会出来るのは、近い未来じゃなくなっちゃうかも知れないし」
今の私はユリウスが好きだと自分で観念したように、しっかりと認めている。けれど、それはマルセル君のお陰だ。そしてこの先ユリウスと共に歩むのであれば、確かにアントン殿下やクラウディア妃殿下のおっしゃる通り、私は自分自身の努力でその事にもう一度気付く必要がある。
「私は素直じゃない所があるみたいだし」
「あるみたいじゃなくて、全然素直ではないな」
ユリウスが私にダメ出しをする。
「けれど、俺は君との未来を諦めるつもりはないし、この子の事がなくてもそろそろ君に俺の気持をわからせないといけないと、それなりに焦っていたから。多分大丈夫だと思う」
ユリウスはマルセル君に視線を向けたまま、自信たっぷりな様子だ。
「わからせないとって、何か不穏な感じがするんですけれど。出来れば穏便にお手柔らかにお願いします」
「それは君次第だな」
そう言ってユリウスはにんまりと企みのこもる笑みを私に向ける。
「うわ、嫌な予感しかしないんですけど」
「何が嫌な予感だよ。そもそも君が素直に俺の事を認めれば何も問題はない」
「おっしゃる通りです」
「ま、そういう一筋縄でいかない所も、俺にとってみれば君の魅力でもあったりする」
「なっ!?」
私はユリウスが発した糖分を含む告白に、たまらず頬を染め上げる。
「表情は素直なのにな」
ユリウスは余裕の表情で私のおでこをピンと軽く弾いた。
前触れもなく行われたユリウスの行為に、私の羞恥心は呆気なく限界を迎える。
「ふ、ふれあい禁止!!」
息も絶え絶え、かろうじてユリウスに注意を口にし、私はマルセル君の布団に顔をうずめ、心身ともに呆気なく撃沈したのであった。