030 思い出を振り返る
ユリウスに話を振った私。
月の位置が気付くとさっきより傾いていて、思っていたより時間が経っているようだと私は気付く。温度を下げた風が頬を撫で、マルセル君は大丈夫ろうかと私の心は少し心細くなる。
「俺は、ないかな」
長い沈黙の後、ユリウスは何とも欲がないというか、冷めた感じというか。とにかく「ない」と口にした。やはり魔法の才能もあり、容姿にも優れ、公爵位を継ぐ嫡男様には、願わなくともむしろ願いの方から近づいてくるのだろうか。
「そうは言っても何か一つくらいあるでしょ?」
「俺はもうずっと一番欲しいと願っていたものは手に入れていたし」
「容姿?爵位?魔法省に入ったこと?あ、でもそれはずっと前ってわけじゃないか……」
私は思いついた事を口にして直ぐに後悔した。
何故なら私の言葉を受けたユリウスが僅かに傷ついたような表情を見せたからだ。
「そんなものを喜ぶ男に見えるんだ」
「あ、えっと……でもさ、ない人からしたら欲しいって思うけど。私だって出来たら可愛く生まれたかったし、爵位だって高い方がいいに決まってる。それに魔法省だって誰でも入れるものじゃないし」
「君が口にしても説得力がないな」
腕組みをしたユリウスに鼻で笑われる私。
確かに私は伯爵家の娘で、努力した結果が実り、魔法管理局に就職できた。容姿に関して言えば、最上級過ぎるお姉様やユリウスと比べるから落ち込むだけ。たぶん私は相当可愛い、そうだ可愛い……私は自分をとても虚しく感じた。
「俺は、君の気持ち。それが俺に向いているって気付いてたし、だからやり残した事なんて特にない」
「えっ?わりと嫌いだったけど」
ほんきで。と言いかけ、しかし大人の私は言葉を咄嗟に飲み込んだ。
「最初に交流会でくじ引きでパートナーになった時、あの時のユリウスは嫌いだったけど」
私は本音を少しだけ口にする。今思えばいっとき我慢すれば良かっただけのこと。親の目を離れ就職した現在、私は新しい仕立て屋で好きなドレスを作る自由を得た。
だけど十二歳の私にとって、よく言えば清純な、悪く言えば古めかしい。そんなドレスを見に纏う事は恥ずかしかったし、納得がいかなかった。何より私も周囲と同じように流行りのドレスを着たかったのだ。
諦めたふりをして誤魔化した、十二歳のあの瞬間に感じていた気持ち。それは大人になって流行りのドレスに身を包んたとしても、消し去る事はできない。
そんな私にユリウスはあの時追い討ちをかけた。つまり私の傷に塩を塗っ……いや、振りかけたのである。
「どう?振り返ってみれば俺の事が好きだっただろ?」
ユリウスが自信ありげな顔を私に向ける。
「振り返って見た」
「それで?」
「やっぱりユリウスは酷いと思いました」
私は今更ながらユリウスに正直な気持ち、つまりやっぱりユリウスは酷かったと伝える。
「確かに。出会いの時。あれは強烈な出来事だった。けれど君だって割と俺に酷い事を言っていたような気がするけどな」
「うっ、それは売り言葉に買い言葉的な。言わば私とユリウスの挨拶みたいなもので」
私も確かに調子に乗って、というか八つ当たり気味に苛ついてしまった自覚はある。
「ごめん」
「いや、俺も配慮が足りなかった。ごめん」
時を経て私達は和解した。記念すべき瞬間である。
「でも俺はあの時、別に君が嫌いだとは思わなかったけどな」
「そうなの?」
「苛々とした記憶は確かにある。しかし嫌いではなかった。君だってそうだろ?だから俺が授業で魔法の暴発に巻き込まれた時、医務室に様子を見に来たんじゃないのか?」
言い切られるとわからなくなる。
確かにあの時の私はユリウスを心配する気持ちを抱いていた。だけどユリウスの主張通り、好きだったかどうか。多分好きじゃなかった気がする。よくわからない。
だってあの時は――。
「首がもげたって噂があったから確かめに行ったんだよ」
「首がもげたら既に死んでいると思うが」
ユリウスが苦笑しながら私に指摘する。
私も確かあの時友人にそう指摘した。そしてそれを「冷たい」と非難され、そして私はそんな事はないと医務室に向かったのである。その時の事を懐かしく思い出し、私は自分が幼かったなと振り返る。
「それに、放課後の魔法の特訓。あれだって嫌いな奴には教えてもらおうだなんて思わないだろう?」
「まぁ、確かに」
「それから、君が俺のせいで女子生徒に嫌がらせをされた時」
「えっ、知っていたの?」
私はユリウスに驚きの顔を向ける。
「まぁな。君は俺と関係を経ったから嫌がらせがなくなった。そう思っているだろうけど、それは違う。俺が懇切丁寧に君に変な手紙を送った犯人を説得したからなんだ」
「説得?」
私は本当に説得したくらいで嫌がらせがパタリとなくなるものなのだろうかと、ユリウスに訝しむ視線を向ける。するとユリウスはスッと私から視線を逸した。実に怪しい。
「それに君は俺に、衝撃的なクッキーをくれた」
「あれは、ユリウスが一個も貰えないと可哀相だと思ったからよ」
「そんな風に思っていたのかよ」
「違うの?」
私がユリウスの顔を覗き込むと、ユリウスは慌てたように続ける。
「あ、あとはラウレンスに決闘を挑んだ時も、君は俺が必要以上にあいつを痛めつけるのを止めた」
「えーあれは迷惑だと思っていたけど」
「……それに」
「えっ、まだあるの?」
「媚薬を飲まされた時、あの時俺に好きだって言ったじゃないか」
ユリウスは私に話が違うと言わんばかりの口調で告げる。
確かに私は言った。それも何回も。何ならユリウスを襲う勢いで抱きついてもいた。
残念な事に私は、あの時の醜態を「媚薬」という言葉がトラウマになるくらい、しっかりと覚えている。
「言ったけど。というか、どうせ媚薬に酔わせるのなら、意識を飛ばすくらい強いやつにしてくれればよかったのに」
私は八つ当たり気味な気持ちで今更な願望を口にする。
「国内に出回る媚薬は潜在的な気持ちを引き出す程度。つまりあの頃の君は確実に俺に好意を抱いていたといえる」
「……でも違法のものだったかも」
「それはない。媚薬を仕込んだ奴に直接確かめたから」
私はユリウスが密かにあの事件に関し、調査していた事を初めて知り驚く。言ってくれればよかったのにとも思った。しかしよくよく考えて見ればあの時期、私は自分からユリウスに近づかないよう、避けていたのだ。
「そっか、ユリウスが解決してくれたんだね。ありがとう」
当事者同士で振り返って見ると、所々思い違いはあるようだ。けれど私の中にはかなり濃厚な思い出が詰まっている。それらを共有できるのはユリウスだけなのだと思うと、私の中で途端にユリウスが特別な存在に思えてきた。
「別に俺の勝手なお節介だし、君は被害者だ。もっと早く気付けばと今でも悔やむ気持ちすらある。俺の顔がこんな風なのが悪いんだ。君は何も悪くない」
ユリウスは思いつめたような表情になる。人によっては嫌味でしかない容姿自慢にも聞こえる。けれどユリウスは、その人並み外れた整った顔のせいで、普通の人よりずっと気苦労が多い。だとすると、顔がいい。それは本人にとって褒め言葉でも何でもないのかも知れない。
「俺たちは十二歳の時、偶然交流会でパートナーになってからずっと、思い出を共有しているよな?」
「良くも悪くもだけどね」
口にした途端、私はユリウスに睨まれた。
「それでも、あれは全部、俺と君だけの大事な思い出だから」
ユリウスがしっかりと私に顔を向ける。
「俺達は色々あった。確かに思い違いや幼さで、自分の気持ちを上手く伝えきれていなかったのは認める。でも、ゾーイ」
ユリウスが珍しく私の名前を口にした。
馴染みある声で呼ばれたその名は、ユリウスの口から飛び出すと、まるでショートケーキの上に乗ったいちご。最後まで大事に取っておきたくなるような、そんな特別な物のような気がした。
「君が過去の俺を許してくれるのであれば、私はこの先も君と思い出を重ねていきたいと思っている」
ユリウスの紫色の瞳が魔石灯の光を写し込み深みを増す。青色にも赤色にも見えるとても神秘的な瞳だ。そんなユリウスの瞳を覗き込み、今まで私はユリウスの瞳をこんなに真っ直ぐ見たことがなかった事に気付く。
そして今、その瞳の中に小さく私が写り込んでいる。
ユリウスの瞳が映す私は不安げでまるで紫色の渦に囚われたよう。だけど、私はそれを不思議と嫌だとは感じない。むしろもっとその瞳に自分を映して欲しいと願いたくなる。
多分今感じた気持ちが恋なのだと、私は気付いた。
「私はユリウスがすき」
私は自然に口にしていた。気付けば何度も口にした言葉だ。けれど今はかつてないほど、その言葉が今の私の気持ちにピッタリな気がした。
「うん、知ってる。で、君は俺が君を誰よりも必要としていて、大事に思っているという事は気付いているよな?」
私の好き。その言葉を真似すればいいのに、ユリウスは彼らしく回りくどい言い方で私に告白をしてきた。嬉しくて、少しだけ恥ずかしい気持ちになった私はユリウスの真似をする。
「うん、知ってる」
「そうきたか」
ユリウスがやられたと言う表情になった。
そして二人で同時に笑い出す。
私とユリウスの好きは、ユリウスの放つ魔法のようにパッと燃え上がるような派手さはない。どちらかというと、種を蒔き実をつけるその日まで、長い年月をかけゆっくりと成長する果樹のようだ。だけど桃やりんごといった成長に時間のかかる果樹は老木になり、枯れ果てるその時まで、まるで育ててくれた恩を大地に、人々に返すかのように長い間しっかりと実をつける。私はユリウスに対し自分はそんな果樹のようになりたいと思った。
「ユリウスと出会えてよかった。ありがとう」
私は改めて今までの分を込め、ユリウスにきちんとお礼を口にする。
「こちらこそ」
笑顔を返してくれるユリウスはかつてないほど、私に優しい笑みを返してくれる。
「じゃ、プロポーズの言葉をお願い」
「えっ、改めて?」
「そう。出来れば超時空移転ドライバーのパスワードに成りそうな感じで」
「意味がわからないのだが。それにさっき俺はわりと素直な気持ちを伝えたような」
「えっ!!」
まさか既にユリウスからプロポーズの言葉をもらっていたというのだろうか。咄嗟に今までの流れを振り返ってみるが、私の中では決定的な言葉。それが全くわからない。
だとすると――。
「君と思い出を重ねていきたい。あれか……」
「まぁそうかも」
「もしくは、君を誰よりも必要としていて、大事に思っている……これもあやしい」
「意外にしっかりと覚えているんだな」
「って、ユリウス。もう私達は両思い。ということはマルセル君の透け感が戻ったかも!!」
私はその場で立ち上がる。
「母親スイッチが入ったのか」
「マルセル君を確認しなくちゃ!!」
ユリウスの呆れたような声を無視し、私は一目散に屋敷に向かって走りだしたのであった。