003 ファーストインプレッション(過去)
私とユリウス・クラーセンの出会いは遡ること五年前。十二歳で私が王立学院の家政科に入学した時である。
当時の私は今以上垢抜けておらず、若草色の髪色をお下げにし分厚い眼鏡をかけていた。それに加え学校の規定通りを絵に描いたような、シミひとつない真っ白なブラウスに黒い胸当て付きのワンピースドレスを身にまとい、個性はなし。規律こそ全て。
教師から、「流石、ベレンゼ家のお嬢様」と言われる事に満足し、「当たり前でしょう?」と内心鼻高々。ひたすら真面目な、けれど叱られるのが嫌だから、人目にはつかないように最大限警戒するという、一風矛盾した気持を抱える多感な時期を迎えていた。
そんな冴えない私に対し隣合う敷地に存在した王立学院魔法科に、「見目麗しい公爵子息が入学された」と家政科で大騒ぎされていたのが、現在私がミジンコ以下と称するユリウス・クラーセン、その人である。
そんな地味を地で行く私と華やかな噂を纏うユリウス・クラーセンは、交流会のパートナー決めのくじ引きで仕方なく出会う事になる。
社交デビュー前の貴族の子供達を集め、大人の真似をしながらマナーを学び、いずれこの国の中核を担うこととなる青年、少女を引き合わせ国を守り立てて行こう……という名目で定期的に開かれていたのは、王立学院における名門三科の交流会。騎士科、魔法科、家政科の合同交流会である。
その実態は私から見れば、初めて親元から離れ寮生活をする若者達が羽目を外すにはもってこいであり、日々山積みにされる課題を一時でも忘却の彼方に追いやり、明日を生きるための生気を補充するいい機会。そんな風に映し出されていた。
とは言え、王立学院に通う生徒は貴族のみ。リリロサ王国で貴族籍を保有する親の手間、羽目を外すと言っても可愛らしく恋の駆け引きを楽しむ程度。
婚約者である彼がいながら他の男の子と踊ってみたり、意中の彼に勇気を出してダンスの申込みをしてみたり、はたまた想い合う二人が裏庭で初めて二人きりになって緊張してみたり……。大人になってみれば、その程度でドキドキしていたのか可愛かったねと、あっけらかんとした顔で思い返せるほど、ある意味子供らしく、清らかで真っ直ぐで、とても微笑ましいものであった。
そんな中、どうしても私を憂鬱にさせたのは、三科の生徒会が主張したありがた迷惑でしかない提案である。
その提案とは、婚約者がいない者同士が強制的にくじ引きでパートナーが決められるというもの。しかも今後一年間、絶対にその二人がペアになって参加しなければいけない上に、ダンスまでしなければならないというペナルティ付き。
全くもって生徒会の提案は私にとって、おぞましい以外の何物でもなかった。
「誰しも公平に学院生活を楽しむ権利はあるわ」
「自分から勇気がなくて異性に話しかけられない者もいるだろうし」
「そんな方達の為に、公平にくじ引きでパートナを決めましょう」
「交友関係を広める事は悪いことではありません」
「ただし、ノーブレスオブリージュの精神を忘れずにな!!」
生徒会の面々は如何にも慈悲深いでしょう?といった感じで得意げであった。
実際の所、いつもスポットライトを浴び続け、舞台の中心に堂々と立つ事が出来る彼らは未だもって、あの交流会が来るたびに胃薬が欠かせなかった子の存在や、ストレスで円形脱毛症になった子、実家に帰りたいと涙していた子がいたなんて、彼らは気付いていないだろう。
常に壁の花やら染みやらに甘んじる面々を、くじ引きという一見公平に見え、しかし逃げ場のない罠を張り巡らせ、わざわざ表舞台に出す事。それがどんなに酷なことか、きっと輝かしい星の下に当たり前に生まれてきた彼らは気付くことなく人生を終える。
ありがた迷惑という親切がある事を、彼らはきっと知らずに生きて行くことが許された、ある意味幸せな側の人達なのである。
一方で当時の私はお下げに眼鏡の地味っ子だ。
羽目を外してみたい気がするけれど、実家にそんな自分の行動が報告され、叱られるくらいなら壁の染みで参加する人をこっそり観察しているに限る。
そんな風に割り切って、他人事気味に毎回交流会の時間を潰していた。それで充分満足していたのである。
しかしそんな私が魔法のくじ引きで引き当てた相手は現在同様、キラキラしく輝いている、家政科で誰もが一度はダンスのお相手を願いたいとされていた公爵子息。ユリウス・クラーセンだったのである。
「よろしく、ええと」
「お初にお目にかかります。ゾーイと申します。ベレンゼ家の次女ですわ」
「なるほど、ベレンゼ伯爵家か。だからその何というか、教本から飛び出してきたような格好なんだね?」
私を頭の天辺からつま先まで不躾に眺め、当時流行りであった胸元を大きく開けた軽やかに見えるドレスではない事を案に非難するユリウス。
確かに私は襟の詰まった、良く言えば自然豊かな葉を思わせる深緑色。悪く言えばジメジメとした林に生息する苔色。そんな絶妙にデザインも色も、親世代にしか受け入れられないようなオーソドックスなドレスを身にまとっていた。
「君にはもっとこう、明るい色の方が似合うと思うけど」
追い打ちをかけるようなユリウスの言葉。
私だって流行りのドレスに身を纏いたいという願望は人一倍持っていた。
けれどそれは規則を重んじるベレンゼ家としては許容範囲を越えたもの。
『何だか開放的なドレスが流行っているようだけれど安心なさい。ゾーイのために年相応、学校行事に相応しいドレスを仕立てるよう、テレンスに伝えておいたから』
事前に実家の母により贔屓にしている洋品店に根回しされていた以上、私がオーダーする事が許されたのはお年寄り受けしそうな、ハッキリ言って時代錯誤も甚だしい、古びたデザインのドレスであった。
だから当時の私には、ユリウスの飾らない本音がひどく心に突き刺さったのである。
「ご迷惑をおかけしますか?」
「そういう訳ではない。でも流行に流されないのはいいけど、逆に目立っているって言うか」
「クラーセン様だって、いつも目立ってらっしゃるじゃないですか」
だから別にいいでしょと私は開き直る。
初めて交流会において日の当たる場所に駆り出され、今にも倒れそうなほど緊張している私に比べたら、普段から他人の探るような、好奇に満ちた視線を浴びる事に慣れているユリウスは、私の奥ゆかしい格好を我慢すべき。私が実家に叱られるくらいなら、これで甘んじると諦めている以上、とやかく言わないで下さいなどど、確かあの時の私は出会って数秒、感情を爆発させてしまった気がする。
口にしてから、しまったと後悔した。
けれど当時の私は今よりずっと面倒な子どもで、素直の対極に存在する星、思春期星に囚われた住人だった。
そして私の言葉を受けたユリウスは当然ながら驚いたのち、ムッとした顔になっていた。
「君の事情はわかるけど、それは僕には関係ないだろ」
ユリウスの真っ当な意見。
密かに自分の非を認めていた私は、「わかってるし」とひねくれ気味に感じていた。そして勿論素直に謝る事など出来なかったわけで。
「それに、僕だって好き好んで目立ちたいわけじゃない。出来れば目立たないに越した事はないとすら思っている」
「じゃ、私みたいに地味な格好をすればいいじゃないですか」
その日のユリウスは洋品店のショーウィンドウから飛び出したような、完璧に流行りに寄せたウエストコートにブリーチーズを見事に着こなしていた。更に言えば、エメラルドグリーンのくるみボタンにまで細かい草花の刺繍が施してあるという逸品。
「そんなに素敵な衣装を纏っているんだもの。目立ちたくないなんて、完全にあなたの我儘だと思うけど」
流行りの服に身を包み、文句を口にするユリウス。私の奥ゆかしすぎる苔色のドレスに比べたら、ずっとマシなくせにという思いで私は鼻息も荒くユリウスに迫る。
「仕方ないだろう?君が実家に逆らえないように、僕だってそうなんだから。母上がどうしてもこれを着ろと言うのを断れるとでも?僕はもっと普通がいいのに」
「流行りに敏感なお母様で羨ましいじゃないですか」
「何だよ、僕の気も知らないくせに」
「えぇ、理解できませんわ。はじめましてですから」
「くっそ、お前生意気すぎるぞ」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
「褒めてない!!」
「もう行きましょう。これ以上目立ちたくないですわ」
「あぁ、同感だな」
私達はお互いプイと横を向いて顔を逸した。
これがユリウスと私の長きに渡るいがみ合いが開始された、記念すべき瞬間だ。
「ほら、ダンスするぞ」
「望むところよ」
苛々としながらも当時の私はユリウスが自分に差し出した腕を取った。
因みにユリウス様と歪み合うキッカケとなったこの話をすると、周囲は大抵不思議そうな顔をする。
曰く――。
「何でそこで腕を取れたの?」
「普通は絶対嫌だよね?」
「というか、仲良しにも思えるよね?」
そんな意見が圧倒的多数を占めている。
しかし、今も昔もユリウスと私はお互い真面目なところがあるので、この日生徒会によって伝達されていた「ペアと必ず最初と最後にダンスをすること」という決定事項に背くという選択を取る。そんな思考に思い当たらなかったのである。
その結果。
「転ぶなよ」
「私を転ばせたりしたら、あなたが恥をかくのよ?」
「くっそ……絶対転ばせないからなッ」
「期待せず、おまかせしますわ」
「お前、なんかムカつく」
「あら、奇遇ですわね。完全同意ですわ」
などとお互い険悪さ満載でありながらも、傍目には優雅にダンスをしているように見えたと、後に友人達に私は聞かされた。
これが当時十二歳であった、私とユリウス・クラーセン。
二人のファーストインプレッションである。
あれから五年。
あの時より大人になった私は当時の事を振り返る度、自分の行動を反省し、いつか謝りたいと思わない事もない。
しかし、今のところその機会は一向に訪れる気配はないのである。
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