021 媚薬で我を失いかける(過去)
私はユリウスに対し、時折ムカつきつつも年齢の経過と共に着実に親友へ近づいている。そう思っていた。だから、ユリウスに対し恋心のようなものは一切感じていないと思っていた。
けれど、ユリウスを本気で好きな子からはそうは見えていなかったようで。
未だに誰がそんな事をしたのかはわからない。
けれど、私は教科書を隠されたり、私が不幸になるようにとひたすら願われた手紙を机の引き出しに入れられたり。調理実習で使うエプロンに落書きをされたり。仕舞いにはユリウスと放課後二人きりでいやらしい事をしている。このまま改善が見られなかった場合、家族に報告する。そのような事が書かれた手紙が私の自室に届けられた。
しかもユリウスにこの事を告げたら、学校中に私とユリウスの関係をばらすと追伸の後にご丁寧に書き込まれているという親切なのか、何なのか。とにかく私は嫌がらせを受けていた。
「流石にまずったかも」
やましい事なんて一つもない。けれど、確かに二人きりはまずい。親元から離れ、侍女もおらず自由を満喫し私はすっかりその事を忘れていた。けれど年頃の男女が二人きりという状況は、あまり褒められたものではない。ましてや貴族界隈ではタブーに近い行為だ。
その事を思い出した私はユリウスにハッキリ告げた。
もう魔法の練習は卒業すると。
「何でだよ」
「充分だからよ」
「俺から見たらまだお前には伸び代があるように見える」
いつもの場所。いつの間にか居心地良く徐々に整えられていった、忘れ去られた旧実験室。
持ち込んだベンチに並んで座るユリウスは納得がいかないようでとても怒っていた。
だけど私も譲れない。
親に知らされるのは勘弁だし、居心地の良い家政科で友人達に後ろ指をさされ、仲間外れにされるのも嫌。それに何より親切心から付き合ってくれているユリウスに、これ以上迷惑はかけられないと思ったからだ。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど私達も十四歳だし。貴族の決まりとして男女が二人きりになるのはまずいような気がするの」
「男女がって。お前は俺を男として見てないくせに」
「そうだけど、でもユリウスは家政科の生徒にはなれないもん。だから男の子だよ」
「まさかお前、誰かに嫌がらせとかされているのか?」
こういう時に限って、勘の良さを発揮する困ったユリウス。私は悟られてはいけないと、浮かんだ言葉を慎重に選びながら口にする。
「まさか。家政科ではそういうくだらないイジメはないよ。ただ、みんなとはこの先もずっと仲良しでいたいから」
口にして墓穴を掘っているなとすぐに気付いた。みんなと仲良くしたいからユリウスと魔法の練習は出来ない。つまりユリウスと魔法の練習をしているとみんなと仲良く出来ない事を白状してるも同然だ。
「みんなと仲良くって、やっぱお前嫌がらせを受けてるんだろ?」
「それはないよ」
勘の良いユリウスにこれ以上探らまいと、私はベンチから立ち上がり強制的に話を終える。
「クラーセン様、ありがとうございます。この御恩はいつか、必ずお返ししますから!!」
私は言い逃げをしようとその場を駆け出す。
「おい、待て!!クッキーの約束は!!」
最後まで気にするところはそこか。
私はいつもと変わらぬユリウスに、自然に笑みを浮かべる。
「それは必ず。ユリウスに恥をかかせないよう、当日上手く渡す努力はするから安心して」
私はユリウスの最大感心事項に回答し、猛ダッシュで実験室を後したのであった。
そしてとうとうクッキーイベントの日がやってきた。
私はユリウスに何のアクションも起こしていない。けれどあれだけクッキーの事を気にしていたのだから絶対に来ると確信を持って旧実験に足を運んだ。勿論その手には怪しく緑色に染めあげられたクッキーを持って。
そして早めに旧実験室に到着した私は嗅ぎ慣れない香りが部屋に漂うのに気付いた。
甘ったるくて、いい香り。私はその香りが気に入って思い切り肺に吸い込む。するともっと、もっと。香りをひたすら渇望する思いが私の心に充満する。
そして私はその気持ちに逆らう事なく香りを懸命に吸い込んだ。すると段々と身体が熱くなり、胸が苦しくなってきた。ようやくこれは何か変だ。そう気付いた時には時すでに遅し。私の身体はまるで熱に侵されたように火照る。何でもいい、誰かに縋り付きたいような、心が誰かを求め、気が狂いそうになる。
その時バタンと音がして、私の鼻に澄んだ空気がたどり着く。
「おい、って、この臭い!!」
焦った声がして、私はこの部屋に入って来たのがユリウスだと気付いた。すると突然私の心はたまらなくウキウキとした気分に包まれる。私は考えるより先にユリウスに近づいていた。
「ユリウス、クッキーを持ってきたよ」
「うわ、お前……既に手遅れか」
私の顔を見て、素早く距離を取るユリウス。そして何かユリウスは自分に魔法を素早くかけた。
「いいか、気を確かにもつんだぞ?」
「うん」
誰もを虜にするその美しい顔はうんざりとしているように見える。ちょっと悲しい。
「一先ず空気の入れ替えを」
ユリウスが慌てて窓という窓を開ける。その横にピタリと張り付く私。何故かそうしたいと、そうしなければと思ったからだ。
「ユリウスが好き」
心に浮かぶ言葉をストレートに口にする私。すると不思議とさっきまで苦しかった体が少しだけ楽になった気がした。
「わかってる」
ユリウスは部屋の中を縦断し、窓を開け放つ。そして私はそんなユリウスを後追いする。
「ユリウス、好き」
「あーもう!!」
ユリウスに超接近し、好きの押し売りをする私にユリウスがとうとうキレた。
「いいか、お前は今媚薬にやられている」
「媚薬?」
「そうだ。意識はあるか?」
「ある、ような気がする」
「俺は誰だ?」
「私のすきな人」
「ふむ、重症だな」
「でも好きって吐き出すと、心が軽くなる気がするの」
「それは、あれだ……」
口を継ぐんだユリウスの顔が赤くなる。
その行動の意味はわからないけれど、でも私は照れたユリウスもいいなと思った。だから沸き起こる気持ちを押さえきれず口にし、行動に移す。
「ユリウス、大好き。いつもありがとう」
「……まぁ、俺もお前がわりと、その……って駄目だ。これは媚薬であって、お前の本心ではない。いや、存在的にはそうなんだろうけど、魔法で心をコントロールされている状況なんだ」
「なるほど」
ふむふむと私はユリウスに近づき、そして一度は私が追い越して、いつの間にかまた追い越されたユリウスに腕を伸ばし、ギュッと抱きしめた。
「幸せーー」
「くっ、これはまやかし、まやかし、まやかし。流されるな俺」
「ユリウス、そうだ。クッキーを受け取ってくれる?」
「そうだな、それは一応貰っておこう」
私は離れがたい気持ち満載で、一旦ユリウスから自分の身を剥がす。そして手に持っていた紫色の包みをユリウスに差し出す。
「味は保証しないけど、感謝の気持ちは込めたから」
「うん。ありがとう」
「それと、ユリウス大好き」
私はまたユリウスに抱きつく。
「……嬉しくない」
ユリウスがボソリと低い声で呟く。私は拒絶されたようで悲しい気分に囚われる。しかしとにかく触れたい気持ちの方が勝るので私は悲しみなんて我慢する。
「俺はお前の本心が知りたいと思ってた。けど、それはこんな形じゃない。離れてくれ」
ユリウスは怖い声を出して私の体を無理矢理自分から引き剥がした。私はそんなの死んじゃうと、ユリウスに手を伸ばす。
「来るな」
殺気立ったユリウスの声に私は肩をビクリとさせる。
「どうして、私はユリウスが好きなのに」
私は拒絶された事が悲しくて涙が溢れてくる。大好きな気持ちは溢れ出して止まらないのに、ユリウスはどうやら私が好きではないようだ。そう思ったら益々悲しくなって、私は泣きながらその場に立ち尽くす。
「一体誰なんだよ、こんな悪趣味な魔法を使った奴。絶対に許さないからな」
「ごめんなさい。でもすきなのーー」
「あーもう!!」
私がゾンビのように前に出し、行き場をなくし彷徨わせていた手。それを怒った顔をしたユリウスがしっかりと掴んだ。
「触れてれば落ち着くんだろ。これで我慢しろ。ただし距離はそのままだ」
お互い前に手をピンと伸ばした状態で握手し合う状況。もっと触れたい。抱きつきたい。何ならキスしたいくらいと思うくらい私はユリウスを求めている。それなのに遠い。
私はまるで獲物を狙うライオンのように、こっそりすり足でユリウスに近づく。
「動くな。これは適切な距離だ」
「でも」
「でもじゃない」
「じゃ、キスして」
「は?」
「そしたら楽になる気がする」
「するかよ!!」
ユリウスは私をキリリと睨みつける。
「そういうのは、こういう状況じゃない時に口にしてくれ」
眉をハの字にし、耳を赤くするユリウス。繋いだ手が何となく汗ばんでいる気もする。でもそれは今の私にとっては些細なこと。
「はやくキスさせて」
「だめだ、全く話にならない。恐ろしいな媚薬って」
「ケチ」
「言ってろ」
「すき」
「……黙ってろ」
「大好き」
「うるさい!!」
「ア・イ・シ・テ・ル」
「ダ・マ・レ」
それから私は三十分とちょっと、ユリウスと適切な距離で手を繋ぎ、思いつく限り愛の言葉を口にした。そんな私に対しユリウスは苛々しながらも否定の言葉を返し、何とか私を正気に戻そうとしてくれていた。
そして段々と頭がクリアになってきて……。
私は繋いでいた手を慌てて離した。
「あ、あのさ、私、おかしかったよね?」
「だいぶおかしかったな」
「あれは全部……」
「薬にやられていただけだ」
「うん」
「俺は何も聞いていないし、覚えていない」
「うん」
ユリウスは私の醜態をなかった事にしてくれた。
けれど流石に気まずい。
「と、とりあえず。ありがとう」
お礼だけはちゃんと伝え、私はその場から逃げた。
流石に媚薬に侵されていたとしても、一生分を遥かに超える愛の告白をした。
その事実に私の羞恥心が耐えられなかったのである。
★★★
後日私は図書館で媚薬について調べていた。
「様々な種類があるが、基本的に対象者を指定して調合する媚薬は禁じられている。そのためリリロア王国で使われる媚薬は、本人の潜在的な気持を引き出すタイプのものであり……って」
私は青ざめる。本に書いてある事が事実だとしたら、私はどうやら潜在的にユリウスが好きらしい。しかも告白をした。そしてなかった事にされた。つまり失恋……。
しかしその実感はないし、私はユリウスが好きだなんて思わない。
「おい、めがね。ようやく見つけた」
「ヒィィィ!!」
突然目の前に現れたおばけ、ではなくユリウス。
未だ媚薬事件の事を根に持っているのか、私を物凄い勢いで睨みつけている。
「あのクッキーは何だ」
「え?」
「あれのお陰で俺は三日間、舌が痺れて味覚異常に侵されたんだぞ!!」
「あ、えっと」
私は挙動不審気味にユリウスから視線を逸らす。
ユリウスは甘いものが苦手。それを知らされた私は苦味を追求した。ケールにピーマンにカカオ。その結果、焼いている瞬間から「あ、これはどうなんだろう?」そう自問自答しながら、「ま、いっか」で解決し、味見もせずユリウスに渡した。
確かに自分でも酷いなとは思う。けれどみんなに「誰にあげるの?」と聞かれ誤魔化すのにも限界があったし、それに私を脅してくる人が何処で見ているかわからない以上、のんびりクッキーを作ったり、味見したりする時間がなかったのである。
でもそんな事はユリウスには口に出来ないと、私は何とか顔に笑顔を貼り付ける。
「だから、味は保証しませんとお伝えしましたよね?」
「くっ。そ、それに、中に何も入ってなかった」
「入れた。ちゃんとメッセージは入れました」
「じゃ、教えろよ。お前が何て書くか、わりと楽しみにしてたのに」
ユリウスはがっかりしたような顔になる。しかし私は思った。中に紙を入れた。確実に入れた。それがないとなると。
「生地に紙が吸収されちゃったってこと?でもま、あの紙って元々は植物だから食べても平気か。ヤギとか平気で食べてるし」
「おい、ヤギと一緒にすんな。しかもヤギだって紙を食べたらお腹を壊すだろ。で、なんて書いてあったんだよ」
「えーと、それは」
「それは?」
ユリウスが緊張した顔を私に向ける。
「ひみつ」
「おい、めがね、勿体ぶるな、教えろ!!」
私は目を吊り上げて怒るユリウスがおかしくて、淑女らしかぬ声で笑った。
本当は、大した事は書いてない「いつもありがとう」だけだ。だけど、ユリウスと私はいつも売り言葉に買い言葉、意地の張り合いがお互い得意なので、改めて感謝の気持ちを今ここで口にするのは恥ずかしい。
私は教えろと迫るユリウスに勿体ぶった顔で秘密を連発。
そしてユリウスがうっかり食べてしまった紙に書かれた内容。
それは十七歳になった今もまだ、ユリウスには教えてあげていない。