020 願いのクッキー(過去)
私はユリウスと魔法の特訓を開始し、かれこれ一年ほど経っていた。
その日も学院の敷地内。誰からも忘れ去られたような旧実験室にて私はユリウスに魔法を教えてもらっていた。
因みに私が抱える「親から魔法を使用してはならない」という事情をユリウスが私と共に先生に説明してくれたお陰で、親には内緒だけれど学校は承知しているという、いいのか悪いのか。とても複雑な状況下で私はユリウスに魔法の特訓をしてもらっていた。
最低でも週に一回。多い時は毎日。長期休みを除きひたすら真面目にユリウスの弟子として魔法の練習に励んだ結果、私は魔法科の入学試験を受験出来る程度には、魔法を使いこなせるようになっていた。
その日はユリウスが作り出す炎を私が氷で固めるという特訓の最中だった。
魔力をコントロールすることで無事に氷から水に変換出来る事に成功した私は、次なる段階として氷のまま、炎を閉じ込めるという荒業を取得すべく励んでいたのである。
「あのさ、お前ら、そろそろ作るんだって?」
「主語がないけど」
私はユリウスの作った炎を固めようと魔力を杖の先に集中させながら返事を返す。
「……調理実習でクッキー」
「あー、願いのクッキーのこと?」
「呪いの、の間違いじゃないのか?。全く恥ずかしいネーミングつけんなよ」
自分で話題を振っておいて、不機嫌になるユリウス。
「ユリウスの作った緊急連絡装置。ホウレンソウよりはずっとマシだと思うけど」
「いや、ホウレンソウの方がずっとマシだ」
「そのセンス、絶対みんなに秘密にしとくべき」
私はユリウスの事を完璧な人だと思いこんでいる友人達の顔を思い浮かべ、お節介気味に伝えた。
「何でだよ」
「ファンの子を幻滅させたら可哀相でしょ」
「別に」
「ユリウスが良くても、みんながショックを受けちゃうから駄目」
私はユリウスが格好いいという一点だけで素敵だと大騒ぎできるほど、自分にピュアな心があるとは思っていない。みんなが格好いいねとユリウスを話題にし、それに対し私が冷静にツッコミを入れ、盛り上がる友人達との会話が好きなのだ。そのためにユリウスにはいつまでもみんなの王子様然としていてもらいたい。いやそうであってくれないと困る。
私は自分勝手な思い満載に、ユリウスにそのままでいろと伝える。
「他人なんかどうだっていいだろ。こっちからすれば、見た目で勝手に判断するなって感じだし。それより、そのクッキー。お前は誰にあげるんだ?」
あーついにその事に気付いてしまったかと私はげんなりする。家政科では年に数回、これまた生徒会行事の一環として、家政科の生徒が一致団結して行うおぞましい行事があるのだ。
その一つが「願いのクッキー頒布会」という何とも茶番でしかないイベントだ。
このイベントはフォーチューンクッキーと呼ばれる、おみくじ入りの月の形をしたクッキーを使ったイベントである。当初は「感謝のクッキー頒布会」と呼ばれ、それこそお世話になっている人へ感謝のメッセージが入ったフォーチューンクッキーを渡すという、至極真面目で健全なイベントだったらしい。しかしそれは年月を経て、「願いのクッキー頒布会」とその名を変え、今では家政科の生徒の一大告白イベントと様変わりしているのである。
そりゃ婚約者などの相手がいる人は盛り上がるし、好きな人がいる子はいいきっかけになるのだろう。けれど私のように婚約者もおらず、好きな人も思いつかない場合、虚しい気持ちにしかならないという悪魔のイベントなのである。
「感謝のクッキー頒布会なら迷わずユリウスに渡すけど、何か今のって変な意味が付加されてるから、今年も去年と変わらず寮母さんにあげると思うよ」
「は?」
驚いた顔を私に向けるユリウス。その態度に私が驚く。
結果二人で目を丸くし、驚いた表情をしばし向け合う事になった。
「えっ、だから寮母さん。わりとお世話になっているし」
「世話になっている、その程度具合で計った場合、俺だってお前を世話してるだろ」
ユリウスがわざと召喚した炎を大きく揺らめかす。
「でもユリウスは去年も、その前も、両手に抱えるほど貰ってたよね?」
なんせユリウスは恋に恋する女子生徒にとっては丁度いい崇拝対象者だ。
去年も、その前も、ユリウスが家政科の生徒から沢山クッキーをプレゼントされた事を私は勿論周知している。
「あれは、そういうのは俺にとって何の意味もないから。だから今年から断る事にした」
私とユリウスを挟む炎に顔を向けたユリウス。その口からボソリと呟かれたかなり衝撃的な告白に私は再度驚く。
「それって、みんなにアピールしてる?」
渡す側である家政科の生徒代表として私はユリウスに尋ねる。
何故なら誰しも当日恥をかきたくないので、絶対に受け取って貰える状況をしっかりと根回ししておく。それが暗黙の了解だからだ。つまりユリウスなら断らない。それは過去二年間の実績から今年もそう思われているであろうし、その神話が当日になって急に覆されたりするのは大事件だからである。
「関係各所には公示してある」
ブスッとした顔で業務的に答えるユリウス。
「そう、じゃあみんなは知ってるんだ」
それなら私も文句は言えない。何故なら渡すのも受け取るのも基本強制ではないからだ。
私は杖の先に魔力をふたたび流し込もうと、握った杖に力を込める。
「だから、まぁ、今年はお前から貰ってやる」
偉そうな言葉をユリウスが吐き出すと、彼の杖の先から出される炎が明るく揺らぐ。
私はかけられた言葉にひたすら動揺し、思いの外大きな氷の塊を杖の先から召喚してしまった。
「……そのいい方」
「世話してるだろ」
「そりゃそうだけど」
「貰ってやるって言ってるんだ、黙ってよこせ」
「もはや山賊のようですけど」
「何か文句あるか?」
ユリウスが不貞腐れた、けれど真っ赤に染まる顔を私に向けた。
「一旦休憩しない?」
私はユリウスの炎が情緒不安定気味に揺らぐのを見て、一先ず休憩を提案する。
魔力は精神に直結すると言われている。つまり魔法を扱う時は感情を平坦に保つこと。それが最重要だと、私はユリウスに教わった。しかし当の本人は現在それを実行出来ていないようである。
「あー。もう。いいか?俺は今年、受け取らないと宣言した」
ユリウスが手に召喚した杖を仕舞い込み、私とユリウスで持ち込んだベンチに腰をかける。
私も同じ用に杖を仕舞い、ハンカチをベンチに敷いてからユリウスの隣に腰をかける。
「それにそもそもこのイベントは、普段世話になった人間に感謝の気持を込めるイベントだったと聞いている」
「そうだね」
「だったら、お前は俺にそのクッキーを渡すべきだ」
私はこの時ユリウスが何故こんなにもしつこく私のクッキーを欲しがるのか。その理由に思い当たる。ユリウスは去年まで両手に抱えきれないほどのクッキーをプレゼントされていた。けれど今年、その全てを断った。しかしきっと男子生徒の間でこんな会話がなされるのだ。
『お前何個もらった?』
『俺三個』
『俺は本命から一個』
『俺は義理だけど一個』
『俺はゼロ』
『悲しすぎるな』
つまりユリウスはゼロを回避したく、私に帳尻合わせ。つまり見栄を張るためだけに存在する、ダミーのクッキーを用意しろと告げているのである。
となれば、あげない事もないかなと私は思う。何故なら確かにお世話になっている事実はあるからだ。ただそれには問題が一つある。
「わかった。クッキーはユリウスにあげる。でも、それ相応の覚悟はしておいてね」
正直私はお菓子作りが得意ではない。貴族の子女が集まる家政科の調理レベルはそもそも低い。その上で、私は最低点を叩き出しかねないくらい、お菓子作りが得意ではないのだ。
何故なら調理すること。それはコック、もしくはキッチンメイドの仕事だからだ。だから友人も私も、そもそも実家の調理場に入る事なく育った。けれどここ数年、大変困った事に、暇を持て余す貴族のご婦人達の間で、お菓子作りが流行りだしてしまったのである。
その結果、私達家政科の必修課程に「調理」の項目が追加される事となった。全くいい迷惑でしかない。流行りに乗るなと私は声を大にして叫びたいくらいだ。
「か、覚悟ってなんだよ。まさかお前、俺に告……」
ユリウスの目が大きく開かれる。それから膝に置いた手をニギニギとし、ユリウスは恥じらうように私の顔から視線を逸した。
「まさか私のクッキーの情報を?」
私は既に私がお菓子作りに関し最低点を叩き出している事を知られているのでは?と焦る。まさか魔法科の生徒にまで私の壊滅的な料理センスについて知られているとしたら、ますます結婚相手が現れない事になる。それは困る。大変困る。もし魔法省に入省できなければ、私は絶対に家に戻りたくないので結婚する。そう密かに決めているのである。
「何だよ、クッキーの情報って。あ、俺は甘いのが苦手なんだ。だからチョコとか混ぜたやつはやめてくれると有り難い」
ユリウスの図々しいお願いに私は一先ず安心する。
どうやらユリウスは私のクッキーに対し前向きなようである。つまり不信感は抱いていないということ。となれば、私の壊滅的な料理センスについては家政科内で留まっているということに他ならない。
「わかった。でも色々と期待しないで」
「そんなの、わかってるし。世話してる礼って事だろ」
ユリウスはしょぼんと項垂れる。
いや、流石に頑張るよ?人に渡すとなれば、衛生面には気をつかうし、思いつきで薬草を練り込んだりしたくなる気持は充分に押さえるつもりだ。あっ、でも甘いのが苦手となると、むしろ苦味を追求したほうがいいのだろうかと、私の頭はユリウスに渡すクッキーの案で埋まる。
「ま、殺したりはしないと思う。たぶん」
「何でそんな物騒なんだよ、クッキーだよな?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ!!」
「ひみつ」
私は普段偉そうな態度のユリウスがひたすら動揺するのがおかしくて、わざと勿体ぶったのであった。