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019 化粧室は女の戦場

 レストランの化粧室はある意味、舞踏会のお化粧室と同じ。

 誰のドレスが素敵だとか、久しぶりに見た何とか男爵が垢抜けていたとか。はたまた何とか子爵とだれそれ伯爵令嬢がいい雰囲気だったとか。そんな噂話が飛び交う社交場であり、そして場合によっては戦場にも成りうる場所なのである。


 そして現在私は後者である、戦場と化した化粧室にその身を置いていた。


「あのさ、あんた何歳?」

「十七歳ですわ」

「ふーん。あたしと同じか。全然そんな風に見えないね」


 スパー、スパーと沸騰したお湯が入ったケトルの注ぎ口から吹き出す蒸気のように、口から煙を吐き出すセシル嬢。彼女は化粧室につくや否や、オシャレなゴールドのクラッチバックからあまり見かけない、紙に巻かれた煙草セットを取り出し一服し始めた。

 私自身は煙草を嗜む習慣はない。けれど最近の流行りは嗅ぎ煙草だと思っていた。ただそれは私の周囲、つまり貴族界隈の話であって、もしかしたら資産階級を示すブルジョワジー界隈ではセシル嬢のような煙草が流行っているのかも知れない。


 それにしても煙いなと思いつつ、別に禁煙ではないので文句すら言えず、私はせめてもと鏡に向かって崩れた化粧を直している。


「あんた本当にユリウス様と腐れ縁なだけ?」


 化粧室に入った途端、あけすけな物言いになるセシル嬢。流石に貴族の子女ばかりが集められた、家政科時代の友人にこのタイプはいなかった。私はある意味、わかりやすい彼女の変わり身の早さに感心する。とは言え、私もユリウスの前だとわりと口が悪い事は自覚しているので、人のことはどうこう言えた立場ではないけれど。


「ええ。私はただの腐れ縁で同僚なだけですわ」

「そうは見えない感じだったけど」


 なるほど、騙し通せていなかったようだ。

 流石一代でその名声を手に入れたと言われているピム・コーレインの娘である。思っていたよりずっと、洞察力に優れた女性のようだ。


「それは誤解です。確かに親愛の気持はありますけれど、それは友情の延長線上にあるものです。恋愛感情はありません」

「へーあくまで認めないんだ。でもあの子、マルセル君だっけ?あの子は本当にユリウス様の子じゃないの?」

「えぇ違いますわ」

「でもユリウス様にそっくりじゃん」

「え?」


 やっぱりそっくりなの?と私は驚く。


「何で驚くの?そっくりじゃない。眉毛の形も目の形もユリウス様に。鼻はあなたっぽいけど、全体的にユリウス様をそのまま小さくした感じじゃん。それに黒い髪色はユリウス様で琥珀色をした目の色はあなた。さっき三人で並んでいる所を見たら、十人中十人がユリウス様とあなたの子だって言うと思うけど」


 口から煙を吐き出し、鏡越しに私を睨みつけるセシル嬢。

 そう言えばアントン殿下もマルセル君をひと目見て、「甥っ子に似ている」と私に告げた。それはつまり、私は身内だから気づかないだけであって、実際はわりと沢山の人に私とユリウスの子なのではないかと、実は疑惑を持たれているのかも知れない。


 もしやみんなの優しさで私は生かされている!?と私は今更周囲の人の気遣いに思い当たる。


「でもまぁ、ユリウス様に愛人がいても構わないし」

「どうしてそう仰るの?」

「だって、お金持ちの男って大抵そういうもんじゃない。あたしの父さんもそうだし。自分の名声をあげるための道具としてしか女を見てないのよ」


 セシル嬢は忌々しいといった感じで顔を顰める。

 私はグリフォンに騎乗しながら目を通した、『王国で最も影響力のある百人』という雑誌の内容を振り返る。すると確かにピム氏は結婚、離婚を繰り返し、現在の奥様は四人目だと小さく掲載されていた事を思い出す。しかも、現在の奥様は娘と変わらない年齢だとか。

 セシル嬢はピム・コーレンの三女であり十七歳。流石にそれよりは上だと思いたい。だって自分の父親が私と同じくらいの年齢の子と再婚とか生理的に無理だ。そんな事が起きたら、私なら確実にグレる自信がある。


「つまり、セシル嬢もお父様の道具にされているということかしら?」

「そ。じゃなきゃユリウス様になんかに近づかないし」

「なるほど。タイプではないというわけですわね」


 意外に思う私。何故ならユリウスは家政科でも人気だったし、現在王城でも大人気だ。つまり比較的好まれやすい性質持ちの人間なのである。まさかセシルさんは珍味派なのだろうかと、私は幾分同族を見る目を向ける。


「ねぇ、あんた真面目にそんな質問してるわけ?」

「えぇ、とても真面目ですわ」

「顔がいい。金持ちで公爵家の嫡男。そして優しいじゃん?こんな男がタイプじゃないなんて口にする馬鹿な女がいると思うわけ?」

「こ、恋しちゃうかもですわね?」


 私はその馬鹿な女とやらはここにいますと答えそうになり、咄嗟に回避する。


 私はユリウスが疲れるとすぐにキラキラしたオーラを発しなくなることも知っているし、発明品につけるネーミングセンスが悪い事も、かつては私以上に口が悪くて意地悪だった事も知っている。だからセシル嬢が口にした通りだとは思わない。

 けれどユリウスは成長とともに人前で取り繕う技術を身につけた。つまり姑息な男になったというわけだ。だから周囲からすれば完璧な青年に見える。確かにそれは間違いない。


「そうですね。彼は完璧ですもの」


 私は本人には聞かれませんようにと思いつつ、同意の言葉をセシル嬢に告げる。


「でしょ?だからあんたも狙ってるってことでしょ?」

「それは違います」

「子供が既にいるからいい的な?」

「それも違います」

「ふーん。ま、あんたの気持ちなんてどうだっていいや。だってあたしはユリウス様と結婚するし」


 プハーとタバコの煙を鏡に向かって大きく吐きかけるセシル嬢。鏡にぶつかった煙が横に広がり、私は白い煙に包まれ思わず咳き込む。


「どうして結婚するって言い切れるか知りたい?」

「コホ、コホ、それはまぁ、お話して、コホ、下さるというのであれば、コホ、是非」


 私は咳き込みながら、教えて欲しいと何とか伝える。


「ユリウス様のお母様って死にそうらしいじゃん」

「その言い方は、コホ、公爵夫人に失礼ですわ」


 私は涙目になりながら、鏡越しにセシル嬢を睨みつける。


「だってそろそろやばいって噂じゃん。それに結婚するなら姑がいない方が良くない?嫁いびりされないわけだし」


 私の中にムクムクと怒りが込み上げてくる。ユリウスのお母様は一人息子であるユリウスに対し愛情過多な所はあったし、それが思春期のユリウスにとって迷惑なものであった事も確かだ。

 けれどユリウスも、公爵夫人も時を得てお互いの事を理解できるようになった。今はもうユリウスは公爵夫人を恨んだりはしていないはずだ。何故なら公爵夫人の病状について、あまり良くないという話を、時折職場の中庭でふと思い出したようにユリウスが私に伝えてくれるからだ。


 その時のユリウスは不安げだし、心から母親を心配する息子の顔をしている。そんなユリウスに対しどう言葉をかけるべきか。毎回真剣に悩む私にとってみればセシル嬢のまるで公爵夫人の死を望むような物言いは許せないと私は思った。


 けれど喧嘩腰になっていては情報が引き出せない。

 私は怒りを溜め込んだまま、渋々話を本題に戻す事にする。


「それで、どうしてご結婚なさるといい切れるのですか?」

「それはね、私の父が東方の国の秘薬のレシピを持ってるから」

「秘薬?それは魔法薬とは違う種類の薬の事ですの?」

「そう。天然素材の薬草を配合した万能薬らしいよ」

「万能薬?」

「そう。それを飲めばユリウス様のお母様を苦しめる病が治るかも知れないんだってさ」


 そんな馬鹿なと私は思った。魔法ですら全ての病気を完治する事が出来ないのである。天然素材の薬草を配合しただけで不治の病が完治するとは思えない。


「ユリウス様はその薬を欲しがってる。と言っても、実際欲しがっているのはユリウス様の父親らしいけど」

「クラーセン公爵が?」

「そう。まぁ妻を愛してるって感じなんだろうけど。でもさ、息子を……っていうかまぁ、あたしの父さんと一緒。ユリウス様があたしと結婚して、セントラルにある屋敷の定期借地権をあたしの父さんに差し出す。その代わりに秘薬のレシピをあたしの父さんは公爵に渡すらしいから」

「そんなことって……」


 本当にあるのだろうかと私は最大限訝しむ。

 しかし愛する妻の病状を何とかしたいと公爵が血眼になる可能性はゼロではない。愛が深ければ深いほど、妻を生かすためばらばと血迷う事もあるかも知れない。

 もしくは何か水面下でピム・コーレインを貶めるような計画をした上で、その怪しい話に乗っているフリをりしているということも考えられる。むしろそちらの可能性の方が高い。


 先程ユリウスに蹴られた脛の痛みを思い出し、私は騙されているのはピム・コーレインの方だと確信した。一体どの系統から降りてきた案件かはわからない。けれどユリウスが任務についているのだとしたら、同じ魔法省に勤務する同僚として任務の邪魔はすべきではない。つまりマルセル君の事は絶対に隠し通さなければならないということだ。


 私はその事を肝に銘じ、鏡越しにセシル嬢に怪しまれないよう同意する。


「確かにクラーセン公爵が奥様を大事にされていること。それはとても有名ですものね」

「まぁそうなんだろうね。息子を取引き材料にホイホイ出しちゃうくらいだから」


 またもや私は内心カチンとくる。貴族にとって結婚は家同士の繋がりが重要視される。その繋がりの先にあるのは国の繁栄を願う気持ちのはずだ。だからもしコーレイン商会とクラーセン公爵家が手を結ぶことで国が栄えるのであれば、誰も何も文句は言わないはずだ。


「子供を政略の駒ととるかどうか。それは外部の人間では噂程度にしか判断できませんわ」


 私は曖昧な返事を返しておく。


「ま、貴族ってのは家の為に結婚とかそういうの当たり前みたいだしね。あたしはうんざりだけど」


 煙草を深く吸い込み、それからプハーと一気に吐き出すセシル嬢。私は今度は吸い込むまいと咄嗟に息を止めた。


「それにさ、あんたには悪いけど私も既にお腹にユリウス様の子がいるんだよね。だから認知してもらわないとって感じなんだ」

「赤ちゃんが?」

「そ。あたしの子がもし男の子だったら悪いけどあんたの子、マルセル君だっけ?あの子は認知させないから。そのつもりでいて」


 タバコ片手にこれ見よがしにお腹をさするセシル嬢。

 私はあまりの衝撃に、目の前が真っ白になった。


「それって、どういうことですの?」

「あんただけが、ユリウス様に抱かれてたわけじゃないってこと」


 不適な笑みを私に向けるセシル嬢。抱かれてないけど?と冷静に指摘しそうになり、私は慌てて手に持ったコンパクト閉じる事で、なんとか反論を飲み込んだ。


「それに、媚薬を使えは愛なんかなくたって子どもはできるしね」


 意味ありげに勝ち誇った笑みを私に向けるセシル嬢。

 一方私は媚薬、その言葉に青ざめる。何故なら私はかつて媚薬とやらを嗅がされ、人生最大の失態を犯した事があるからだ。


 その事を思い出した私は、セシル嬢が話した秘薬だとか、ユリウスの子どもを孕っているだとか、それに対し何処か冷静にあり得ないと思っていた、その思いを途端に見失う。


 媚薬を使われたらユリウスだってきっと好きとか嫌いとか、そんな事を思う暇なくその場の雰囲気に呑まれてしまうに違いない。


 私はセシル嬢の言葉で最後にきっちりトドメをさされ、化粧室の戦いに敗北を期したのであった。

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