018 腐れ縁
一体どうしてこうなったのか。それはマルセル君の「いいこと思いついた」のせいである。私は目の前の状況に薄目になりかけ、伯爵家の娘である自分を思い出し何とか耐えた。
「まぁ、それではお二人はご学友でしたの」
「えぇ、まぁそんなところですわ」
現在私は美術館近くにあるレストランに足を運んでいた。割と高級な部類の店である。何故ならユリウスが赤髪美人の為にわざわざ予約したという店だったから。
高級店を女性の為に予約する。それはもうデートだし、本命なのだろうと私は理解した。だから私はそこでさり気なくユリウス達と別れようとしたのだが、マルセル君がそれを許さなかった。
「父様は僕の事が好きじゃないの?」
などと涙をうるませたのである。子供の涙に打ち勝てる大人などいない。よって、ユリウスが公爵家の威厳をここぞとばかり行使し、店側に急遽私とマルセル君の席を付け足した個室を用意させたのである。
つまり現在ユリウスと彼のデート相手。そして諸悪の根源マルセル君と被害者の私とで同じ席についているという、まるで地獄絵図のような状況なのである。
「父様は魔法科の生徒で母様は家政科の生徒。二人は同じ敷地内だけど、違う科に通っていたんです。因みに僕は父様みたいに魔法科に入学したいです」
利発そうに、しかし厄介でしかない言葉を次々と吐き出すマルセル君。誰か止めて、というかむしろユリウスに色々バレちゃうしと内心焦る私。
「まぁ、そうなの。あなた、お名前は?」
「僕の名前は、マルセル・クラーセ……ぐぬぬ」
「この子は私の遠縁の子なんです。事情があって私が預かっているだけですの。名前はマルセルです。あらマルセル君、口元に汚れが!!気づかなくてごめんなさいね」
私はマルセル君の口元に「ごめん。でも黙ってようか?」という気持ち満載でハンカチを押し付けた。
「確か、この子の両親は喧嘩しているんだろう?」
「ま、まぁそんな所ですわ」
ユリウスの助け舟、かどうかはわからない。とにかくユリウスの状況説明の補足に対し、私はとりあえず肯定の言葉を返しておく。
「それにしてもユリウス様のお子様だなんて、どうしてそんな事を?子供に嘘を教えるのは教育上良くないと思うのだけれど」
紫ドレスの女性が訝しげな顔を私に向ける。その視線に軽蔑した雰囲気を感じ取った私は重大な事に気付いた。
もしかしなくても、私は勝手に自分が生んだ子の父親をユリウスの子だと子供に言い聞かせているパターン。つまり妄想癖のある女だと思われていたりするのだろうか……。
だとしたらかなり私は痛い子ではないか。断じて違う。父親はこいつだと私はユリウスを睨みつける。しかしユリウスはしれっとした顔で、私の咎めるような視線に気付かないフリをしている。
コレはもはや育児放棄と言える状況だ。
全く最低な男だと私はユリウスにキリキリする。
「嘘じゃないけど。それよりあなたは誰なんですか?」
妄想癖というパワーワードに自爆したのち、ユリウスに憎悪の視線を浴びせる私。そんな私の代わりに大人びた口調のマルセル君が、確かに一番気になる事を質問した。
「こちらはセシル・コーレイン。コーレイン商会のお嬢様だ。そしてこちらは私の親友、ベレンゼ伯爵家のゾーイ嬢。先程話題に上がった通り彼女とは十二の頃からの付き合いでね。言わば腐れ縁だ」
ユリウスがマルセル君の問いかけに淡々と答える。
私はユリウスに親友と紹介され、その事は嬉しく思った。けれどすぐその後に、腐れ縁と付け足され微妙な気分になる。しかし問題はそこではない。
セシル・コーレイン。私はその名前でピンとくる。ソフィー様が話していた、あの人だと。
「いたっ!!」
テーブルの下で確実に私の足が蹴られた。咄嗟にマルセル君を確認すると、落ち込んだ顔で綺麗に並べられたカラトリーを見つめている。となると犯人はただ一人。素知らぬ顔をしてシャンパンを口にしているユリウス・クラーセン、お前しかいない。
私はテーブルの下でユリウスの足を思い切りヒールのつま先で踏みつけた。
「うっ」
ユリウスが顔を顰めたのち、私に意味深な視線を送ってくる。一体何だと言うのだとユリウスを睨み返し、そしてふと気づく。
もしかしてユリウスの意味深な視線の意味は……。
「そうなんです。私とクラーセン卿は魔法省入省を目指し切磋琢磨した、言わば戦友みたいなものですわ。それにこの子はクラーセン卿の子ではありません」
「母様!!」
マルセル君が私を今までにないくらい睨みつける。
正直私は胸が張り裂けそうになほど痛んだ。けれど私の予想だとユリウスは理由があって、セシル・コーレインに思わせぶりな態度を取っている。先程の意味深な目線は口裏を合わせろという指示が込められた視線なのだと私は察したのである。
「親と引き離されたマルセル君は、少しホームシックなのです。ですから、男性を見るとつい、お父様と呼んでしまう癖があって」
「君も経験がないだろうか?教師につい、お母様だなんて呼びかけてしまう経験」
ユリウスと私はセシル嬢の抱いた疑念を晴らそうと、瞬時に同盟を組む。
「確かにそのような経験はありますけれど……」
セシル嬢の怪訝な表情が少しだけ柔らかいものになる。私はもう一押しとばかり真実を織り交ぜた言い訳を追加する。
「それに、私が仕事をしている間、マルセル君は王城の託児所に預けられているのです。私とクラーセン卿は職場も近い。ですからマルセル君とクラーセン卿は自然とお会いする機会があって。それでお父様と呼ぶくらいまで懐いてしまったのです」
「寂しそうな思いをしている子供は無下に出来ないからね。それに別にそう呼ばれる事を私は不快に思わないから」
ユリウスがマルセル君の頭に手を置き優しく撫でる。すると落ち込んだ様子で俯いていたマルセル君がゆっくりと顔をあげた。
「君は誰よりも賢いしな。君が本当に私の子であったらと願わずにはいられないくらいに。だから父様と呼ばれるのは嬉しいし、迷惑ではない。それは君の母様だってそうだ」
ユリウスはマルセル君の頭を撫でながらきっぱりとそう言い切った。ユリウスの行動は演技であって、マルセル君に私達の行動は本意ではない事を伝えようとしているだけ。そう理解しているのに、私は何故か自分が認められたような気持ちになり、嬉しいような、恥ずかしいような。とてもわかりにくいふわふわとした気持ちが一気に押し寄せる。
「クラーセン卿、ごめんなさい。父様だなんて呼んでしまって」
察しのいいマルセル君。流石我が子だと私は鼻高々な気持になる。
「気にするな。言ったろ?私は君と出会えて嬉しいと。早く君の両親が仲直りができるといいな」
ユリウスがマルセル君に私が見た中で一番優しく、そして何処か大人の余裕を感じる笑みを向けた。その表情を目の当たりにした私は、ついうっかりドキドキしてしまい、頬に熱が込み上がるのを感じてしまう。だから私はユリウスから慌てて顔を逸らす。自己防御発動である。
「うん。でも大丈夫。父様と母様は腐れ縁だから。もうすぐ仲直りすると思う。それに母様は父様にちゃんと告白するって言ってたし!!」
マルセル君の言葉にギョッとする私。何故ならそれはもはや、間接的に告白したも同然だからだ。違う、業務的な告白をするつもりであって恋愛的なものではなく……って、こっちみんな。
ユリウスがニヤつく顔を私に向ける。
「ほほほ、そうなのよね。マルセル君のご両親もご学友だったものね。お母様はマルセル君の将来を思って業務的に仲直りの告白をしようと思っていらっしゃるみたい。おほほほほ」
私は全力で誤魔化した。
「ユリウス様はお優しいのですね。ねぇ、ベレンゼ伯爵令嬢。少しご一緒しません?」
すっかりその存在を忘れかけていたセシル嬢。
突然私に化粧室への同伴を求めてきた。これは嫌な予感しかしないやつだ。
けれど私とセシル嬢が席を外す事で、ユリウスがちゃんとマルセル君のフォローをする時間が稼げると私はセシル嬢の誘いを受ける事に決めた。
「バッケル様、ここで出会ったのも何かの縁ですもの。私の事はゾーイとお呼び捨てくださいませ。それに丁度良かったですわ。私も是非ご一緒したいと思っておりましたの」
私は笑顔で答え、隙きを見せたらやられるの勢いで、家政科で培った淑女力を発揮する。
すなわちそれは、視線で給仕に合図。それから給仕が椅子を引くタイミングに合わせ伯爵令嬢らしく余裕の態度で椅子から優雅に立ち上がることである。
「では私の事も、セシルとお呼び捨てください」
セシル嬢も私と同じ様にゆっくりと給仕に椅子を引かれ立ち上がる。
ここでは引き分けといったところ。しかしまだまだ勝負はこれからだ。
私は笑顔で、しかし最大限に警戒する。
「ゾーイ嬢、マルセル君の事は任せてくれ」
ユリウスが珍しく私を案ずるような視線を向けて来た。私は「大丈夫」と言う意味を込め、小さく頷く。するとユリウスはゆっくり瞬きをして私に了解の合図を送ってきた。
「ありがとうございます、クラーセン卿。マルセル君、いい子にしていてね」
「……うん」
私は戦場に向かう戦士のように、心は勇ましく、態度は淑女の教本通り。
顔に穏やかな微笑みを携え、部屋を後にしたのであった。