017 王立美術館にて
「あ、あいしてる」
自宅リビングにて、言い慣れない愛の言葉を口にし、思わずどもる私。
「ブッブー。駄目。はい次」
「好きだ」
「……駄目、はい、次」
「結婚しよう」
「…………次」
「地獄の果まで離さない」
「言われて結婚しようとか思うわけ?」
「わかんない!!わかんないってば!!もうやめる」
私は真っ赤になって腕組みをしながら頬を思い切り膨らませた。
「母様が意気地なしなのが悪いのに」
私に恨み節を炸裂させているのはマルセル君だ。その手に握られているのはまさに工具のドライバー。未来のユリウス・クラーセンが開発した超時空転送ドライバーである。
私とマルセル君は現在超時空転送ドライバーに思いつく限り、ユリウス・クラーセンが言いそうな、というか一般的に思いつく限りプロポーズに使われそうな言葉をドライバーに入力している所である。
「というか、ドライバーって本当にドライバーだとは思わなかったんだけど」
「持ち運びも便利だし、父様って天才だよね」
嬉しそうなマルセル君に「どこが?」という顔を向ける私。
ユリウスは私が知る限り、一番凄いと思える魔法使いだ。けれどネーミングセンスと発明品は何処か残念さがつきまとう。まぁ、凡人の私には天才の考える事は理解出来ないのであろう。
「ねぇ、何で休みなのに父様とデートしないの?時間は有限って母様の口癖なのに。それにさ、普段は母様って一人で何してるの?」
「うっ」
私はリビングの机に突っ伏して死んだふりをする。
今日は念願の休日である。
普段の私であれば、お昼過ぎまで睡眠を貪ったのち、寝間着姿でありあわせのパンを齧る。
そしてそのまままたベッドで夕方まで本を読みながらうつらうつら。眠い、でも続きが気になる、眠い、続きが……と最高な時間を過ごす。それが私の休日だ。
しかし、現在私に降りかかる親の義務。それが私に堕落した生活を許さなかったのである。
「そうね……美術館巡りかな?」
思い切り見栄を張る私。
「一人で?」
「悪い?」
「寂しくないの?」
マルセル君の澄んだ瞳が私の心を容赦なく射抜く。
「さ、美術館に行こうか」
傷が浅いうちにと、私は重い腰をあげた。
そして意を決して私は肌触りが良く、いい感じに毛羽立った寝間着から外出着のドレスに着替える。
本日私が袖を通したのは明るいピンク色のワンピースである。社交界デビューしたての子が着るようなひたすら夢見がちなピンクではなく、グレーが入った落ち着いたピンク。けれどピンクはピンクに変わりない。お店で見た時は生地の色味に引かれて仕立てたものの、十七歳にしては幼稚かなと思いクローゼットの奥底に眠らせていたドレスである。
何故今更そのドレスに袖を通したかというと、マルセル君が「絶対似合う」とイチオシしてきたからだ。やはり子供は着る側の歳を考慮する事なく、ひたすら明るい色を好むようである。
ただ、コルセットを締め上げるのに、子供がいるとわりと助かる事に私は気付いた。
「もっと真剣に引っ張って」
「えー、もうコレ以上は無理」
「いいえ、あと三ミリはいける」
「誰も気づかないよ、たった三ミリの違いなんて」
「いいえ、全然違うから。マルセル君、ファイトよ!!」
などというやりとりのち、私は自分的に満点。理想的な腰のくびれを手にした。そして貴族の子どもらしい外出着に着替えたマルセル君を伴い、意気揚々とアパートメントを飛び出したのであった。
★★★
セントラル地域に存在する、王立美術館。併設するのは大きな公園。周辺にはお土産屋さんに画廊。それにカジュアルなものからリッチなものまで。予算に合ったレストランをよりどりみどり選ぶ事が出来る。
王城と同じような立派な建物に収蔵されるコレクションは、三万五千を超えるらしい。そんな貴重なコレクション全てを観覧しようとしても、到底一日では周りきれないほどの広さを誇る場所。それが今日私がマルセル君と訪れた王立美術館である。
「だから今日絶対観賞するぞってものを決めておかないと駄目。闇雲に回ったら一日があっという間に終わっちゃうから」
「えー、でも父様はその日の気分でブラブラしていると、思わぬ出会いがあるって。いつも何も決めないよ?」
館内案内図の看板を前に、さて今日はどこから回ろうかと頭を悩ませる私。そんな私の横でマルセル君が思いもよらぬ言葉をかけてきた。
「でも目的があった方が無駄な時間を過ごさないで済むじゃない。因みに未来の私はそれに従ってる?」
「うん。母様は父様とのデートで初めて工芸品部門に行ったんだって。タペストリーが絵画にも負けないくらい素晴らしかったと感動したんだってさ」
館内案内図を眺めながら何気なく明かされる未来の私の秘密。
確かに私はいつも絵画部門の有名な絵を見て「さすが」だとか「これがあの有名な」だとかありきたりな感想を抱いていた。勿論心揺れ動かされる好きな絵はある。ただ、確かに工芸品にはあまり観賞する価値を見出していなかったかも知れない。
「なるほど。じゃ、今日はマルセルの言う通り、気ままに何も決めずに回ろう」
「父様のでしょ?というか、誘えばよかったのにな」
「さ、いこう」
意気地なしとマルセル君の口から飛び出す前に、私は彼の小さな手を取った。
それから気ままに歩く事数分。
「思わぬ出会いがあるって、そうきたか」
「父様また浮気?母様が早く告白しないから」
「したよ?だけどちょっと失敗しちゃっただけで」
「どうしたら失敗するの?」
「……大人には色々あるのよ」
「色々って?」
「それは……天候とか、気温とか……色々よ」
歯切れ悪くマルセル君に答えつつ、私は柱の影にサッとその身を隠す。
そして顔だけ出して前方にいる一際目立つ美男美女のカップルに鋭い視線を送った。
如何にも貴族然といった感じ。パリッとした上品な黒いスーツに身を包むのはユリウス・クラーセンだ。問題はその隣、シックな紫色のドレスの女性。赤髪をゆったりとまとめ上げ、うなじに垂れた数本のカールしたおくれ毛が女性の首筋を美しく見せている。あれは確実に計算され、垂らされたおくれ毛だ。
「あの人って、前にも見た人かも」
私はクルンと丸まったおくれ毛から、しっかりと女性の顔に視線を移し見たことがある。そう思った。
「そうかも。前に父様と遭ったレストランで見た人かも」
「となると二回もデート現場に遭遇したというわけか」
「それって、かなり本気の浮気ってこと?」
マルセル君の声のトーンが下がる。
「何かあの人の服、父様の目の色と同じみたい。気持ち悪い。それにあの色は母様だけのものなのに」
マルセル君は不快感を顕にする。
私はそんなマルセル君の態度につられるように、心に針を刺されたようにチクンと痛む。
「紫色は公共の色だよ、マルセル君。それに誰がどの色を着たって自由だし」
「だけど、母様の方がずっといい」
マルセル君は私のスカートをギュツと摘んだ。その姿を見て更に私は胸が痛む。
何故なら私からすればユリウスは赤の他人だ。けれどマルセルからしてみれば、ユリウスは自分の父親なのである。しかもここ数日みせたマルセル君の言動から、彼はユリウスを尊敬する父だと思っているフシがある。
そんな父親の浮気現場を目撃したら、私が何故か感じる喪失感のようなものよりずっと、深く心が傷ついている事は間違いない。
「マルセル君、お昼にしようか?」
「やだ。監視する」
マルセル君はユリウスに鋭い視線を向け口をへの字にした。私はそんなマルセル君の手をしっかりと握る。そして「ならば策を練らねば」と、一先ず売店へ急いだのであった。
★★★
美術館は実に様々な人がいる。
観光客に、家族連れ。デートに使う人もいれば、美術学校の生徒が勉強の為に彫刻のデッサンをしていたり。ただ単に飾られた美術品を通し、過去を感じる不思議な感覚を楽しむだけの人もいる。
そんな様々な目的を持った人が一日中楽しむ事が出来るよう、美術館には折りたたみの椅子が用意されている。タダで使用出来るその椅子は、好きな作品の、自分が一番しっくりくる場所に自由に設置し、思う存分眺めるための椅子である。
現在私とマリウス君はさり気なくユリウスと女性を観察出来るポジションにその椅子を設置した。そして二人で一緒に椅子に座り、ガイドブックになった冊子を大きく広げ顔を隠し、ユリウスと女性をしっかりと観察している所だ。
「ユリウス様。こちらの絵はお好きですか?」
「そうだな。とても先進的でこの時代に生きる者にはなかなか思いつかない、とても斬新で革新的な絵、だと思います」
「ふふ、実はこちらは私の父が寄贈したものなのです」
「確かに、以前そんな記事を新聞で拝見しました」
「父にユリウス様が素晴らしいと褒めていたと、伝えておきますわね」
「何だか、君のお父上に媚を売っているように思われないだろうか?」
「まぁ、そんな風におっしゃらないで。父はきっと喜びますわ」
私には一体何が題材として描かれているのかイマイチわからない謎の抽象画の前。私といる時よりずっと、紳士然とするユリウスと、その態度に嬉しそうな表情の女性。
「完全に大人のデートじゃない」
「でも父様はちょっと気取りすぎじゃないかな」
「そうよね、わかる、その気持ち」
「それに母様といる時の方が楽しそうだし」
「そうなの?」
「うん。絶対そう!!」
「マルセル君、声が大きい」
私は小声でマルセル君に注意する。
「あっ、父様がこっちを見た」
「マルセル君隠れて!!」
私とマルセル君は慌ててガイドブックの冊子で顔を隠す。
「ユリウス様?どうかなされました?」
「いや、何となく知り合いの声が聞こえたような気がしたもので」
ユリウスの言葉に私とマルセル君は同時にビクリと肩を震わせた。
「どうやら気のせいだったようです」
「お探しにならなくて大丈夫ですの?」
「ええ。先程声が聞こえたと思った知り合いは出不精なんです。まさか休日の、しかもこんなに混雑した場所になど、足を運ぶとは思えませんので」
「まぁ、そうなんですね。今度是非、そのお知り合いにご紹介願いますわ」
「近い内に必ず」
ユリウスのあんまりな言い方にムカっときた。
けれど私を指しているとは限らないと気付く。
「ユリウスのお友達って案外引きこもりが多いのかしら」
「確実に母様の事だと思うけど」
「やっぱそうか……」
マルセル君の容赦ない指摘に私は項垂れる。
「あ、母様移動した。行こう」
「ラジャー」
私とマルセル君は椅子を畳み、人混みに紛れつつユリウスと紫ドレスの女性の後を追う。
一体何をしているんだ私は?と虚しい気持ちもする。けれどこれは全てマルセル君の為、強いては親の義務だと、もはや自分でもよくわからない状況だ。
「ユリウス様、次はどれをご覧になりますの?」
「そうですね、ここからだと屠殺された子牛が近い。ご覧になりますか?」
「まぁ、嬉しい。私の好きな絵だわ」
「では参りましょう」
ユリウスが当たり前のように女性に腕を差し出す。女性はその腕を取って仲良く歩き始める。目の前のユリウスはスマートな貴族の青年。私の前では絶対に見せない姿だ。
「つまり私はエスコートするに値しない女ってこと?」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない。デートで屠殺された子牛を見せるって、凄い感性だなと思って」
「まぁ、芸術作品だし。あの人は好きって言ってたし。まぁ、趣味は疑うけど」
いっちょ前な口を聞くマルセル君に心がふっと和らぐ。
和らいだついでに、私は先程からずっと何故か落ち込む気分になるのは気のせいだと、私は自分に言い聞かせた。
「ユリウス様が下調べしてきて下さったお陰で、今日はいつもよりずっと効率的に回れている気がします」
「ここは広いですからね。目的もなく歩いていたら、一日があっという間に終わってしまう」
ユリウスの言葉に私は隣のマルセル君を見下ろす。
「話が違うんだけど」
「でも父様はいつも気の向くままがいいって、そう言ってた。僕は嘘なんてついてない」
私に抗議するするように頬を膨らませるマルセル君。
私はその頬を笑顔で突く。
「きっと家族にだけ教えてくれる秘密の回り方なのかもね」
マルセル君は私の言葉にパッと顔を明るくさせた。
「そうだよね。というか、僕いいこと思いついた!!」
「えっ、やめようか」
絶対それはいいことじゃないと、私はマルセル君の企みの顔を見て察した。
そもそも子供が口にする「いいこと」が本当に「いいこと」であったためしがない。
「見てて?」
「だめよ」
私はマルセル君に絶対やめてと、首を振る。
しかしマルセル君は私が彼の服を掴むより前に急ぎ足で前方に歩き出してしまう。そしてあろうことか、とっても可愛らしい声でこういったのである。
「父様、みーっけ!!」
私は他人を装うべくくるりと後ろを振り返った。
そして世界一有名な微笑を何百年も続ける名画に描かれた女性としっかりと目を合わせる。
「実に素晴らしい微笑みね」
白々しく口にした私はというと、この美術館に飾られているどの名画よりもずっと、素晴らしく引き攣った顔を晒していたのであった。