015 首がもげたらしい1(過去)
私は氷漬けのバッケル伯爵を駆けつけてくれた警らの人に引き渡しつつ、アントン殿下に連絡をし、後は任せたとばかり事後処理を押し付けた。
それからイースト地区を駆け抜け、魔法省の基地局からグリフォンに飛び乗り本部である王城に帰還。脇目もふらず猛ダッシュをし、託児所へ直行。
そして今日もまた昨日同様、託児所に向かう働くお母様と駆け足の勝負。勿論予想通り敗北を期した。けれど昨日より引き離される距離が縮まった気がしたので私は自分の秘めたる可能性に気付いた。
「お、追い越す日は近いかも」
肩で息をしながら、託児所の玄関で達成感いっぱいにマルセル君を待つ私。
「今日のマルセル君はお父様のように、将来は魔法科学研究局の研究者になりたいと沢山本を読んでいましたよ、お母様」
年長組を担当する先生が実に恐ろしい言葉を含ませつつ、笑顔でマルセル君の一日の動向を報告してくれた。根掘り葉掘り聞かないのは、既にマルセル君から父親の正体を聞いているからか、それとも先生のプロとしての矜持なのか。母親業務二日目の私にはいまいちわからなかった。
それからマルセル君と仲良く我が家へ帰宅する途中。
「やっぱり母様は眼鏡が似合うね。目がいつもより大きく見えて面白いし」
マルセル君が褒めているのか、けなしているのか、微妙な言葉をかけてくれた。
ただ、どうやら未来の私もまだ眼鏡をかけるような時があるらしい。その事は理解した。
そしてその日の夜。久しぶりに魔法を使ったせいだろうか。
マルセル君を私のベッドで寝かしつけ、そのままベッドに頭をぐたりと付けたままうたた寝に突入した私は、久しく見る事のなかった十三歳の時の夢を見た。
★★★
私は魔法が使える。
けれどそれは秘密だ。
「あ、見て。やっぱりユリウス様の魔法が一番派手で綺麗よね」
「火属性って花形ですもんね。ねぇ、ゾーイもそう思うでしょ?」
「まぁ、遭難した時とか簡単に火が起こせるのは悪くないかも」
友人達と家政科の五階の窓から隣の校庭。つまり併設する魔法科の校庭を見下ろしながら私は思う。
果たしてユリウス・クラーセンが得意とする火と私が密かに得意とする氷。
一体どちらの魔法が優勢なのかと。
出来る事ならば、一度くらい手合わせを願いたい。けれどそれは叶わないこと。何故なら私が魔法を使える事、それは誰にも明かしてはならない秘密だから。
「結婚出来ないのは嫌だし」
父から言われた言葉を信じる私は一人静かに呟く。
それに私は、親元を離れ家政科で寮生活をして早一年とちょっと。その間に親の目を気にせず、のびのびと過ごす楽しさを知った。
現状を詩人的に表現するのであれば、この世界に色がついて見える気がする。ありきたりではあるが、そんな感じだ。
だから私は怒られてばかりのあの家にずっといなくてはいけない。そんな人生は嫌だと思うようになっていた。出来る事ならこのままずっと、家政科の生徒のまま、時が止まればいいと思っている。
だから私は魔法なんて使わない。そうやって、息を潜めて生活をしていたのに。
入学して二年目の春。十三歳の時のこと。ユリウス・クラーセンが魔法の暴発に巻き込まれ、大怪我をしたという大ニュースが家政科の生徒を震撼させた。
丁度その時私は、「戦地に赴く旦那様に贈るハンカチ」という題材で刺繍の課題を仕上げる授業を受けていた。
婚約者がいる子はお相手のイニシャルを。密かに想う人がいる子はその人のイニシャルを。それ以外、何も思いつかない人は家族でも自分でもオッケー。
そんなアバウトな課題をこなすため、私は丸い刺繍枠にはめた真っ白なシルクのハンカチに自分の名前を赤い糸で必死に刺繍している所だった。
「ユリウス様は血だらけだったそうよ」
「腕が取れていたんですって」
「あら、私は首がもげたって聞いたわ」
「流石にそれは死んじゃってるでしょ」
友人が大騒ぎする中、私が的確に指摘すると、みんなに冷酷だと非難された。
「もう、ゾーイは人として心配じゃないの?」
「そうよ。去年は一年間ずっと、交流会のペアをしていたじゃない」
「首が取れちゃってたのよ?」
「想像しただけで失神しそうだわ」
家政科は平和だなと、微笑ましい気持ち全開になる私。
「でも実際の所、面会謝絶なんですって」
「それって重症ってこと?」
「それに噂によると、顔に傷を負われたらしいわ」
この世の終わりといった感じ。一斉にどんよりとした雰囲気に包まれる友人達。
「医務室の先生は回復魔法のスペシャリスト。だから治るよ、たぶん」
私がみんなを励まそうと実直な意見を口にする。するとみんなは刺繍する手を止め、可愛らしい顔を一斉に私に向けた。
「ゾーイって案外冷めてる所あるわよね」
「うん、冷たい。冷酷」
「去年はずっと生徒会の交流会でパートナだったのに」
「いつも仲良く踊っていたじゃない」
「そうよ、ずるい」
「うらやましい」
友人達の言葉に思わず苦笑するしかない私。
確かに私はユリウス・クラーセンと昨年交流会で一年間もペアを組んでいた。でもそれはくじ引きでお互い仕方なくである。
『お前さ、もうちょっとマシなドレス持ってないのかよ』
『あなたこそいつもヒラヒラしちゃって、過度な装飾品は邪魔なだけなんだけど』
お互い身にまとう衣装の事で揉め。
『お前、俺の背を超えるとか、生意気だぞ』
『生意気で背が伸びたら、リリロアは巨人の国になっちゃうわ!!』
私の方が身長が先に伸びた事にイチャモンをつけられ、もはや意味のわからない言い合いをし。
『お前のその眼鏡、二十五日に一回くらいは見ておかないと、何だか落ち着かなくなってきたんだが』
『わかります。私も二十五日に一回くらいはクラーセン様の、その派手なシャツのビラビラを見ないと落ち着かない気持になるんです』
『なんだろうな、この感じ』
『なんでしょうね、この感じ』
お互い罵り合いながらもその中に、得体の知れないほんのり色付くような何かを感じ始めたとき。丁度一年が経ち、ユリウスと私はパートナーを解消する事になった。
その後無事に二年生に進級し、新しいパートナーがくじ引きで決められ、ユリウスと私は全く接点がなくなった。
それでも最初は新しいパートナーに慣れず、何となく交流会で、気付けば私はユリウスを目で追っていた。そしてユリウスと良く目が合って、何とも言えぬムズムズとした気持を感じたりもしていた。
けれど一回、また一回と新たなパートナーと交流会に参加するたび、私がユリウスを目で追う事もなくなり、逆にユリウスからの視線を感じる事もなくなった。
だからみんなに「去年は」と言われても、去年は去年で、今は違う人とちゃんと踊っているのにな、と私は内心確かに冷めていた。
今思えば、ユリウス・クラーセンという人物は家政科の生徒から別格扱い、みんなで憧れる存在。誰しもが初めて経験する甘い気持を友人達と共有し、向ける対象として丁度いい存在だったのだ。それは本当の恋ではなく、恋に恋する自分を満足させてくれる存在。そんな感じだ。
現にあの頃、ユリウスが好きだと騒いでいた友人達は皆、現在違う男性の妻になっていたり、恋人に収まっていたりする。意外に薄情者なのである。
「でもさクラーセン公爵夫人ってお体が弱いからもう子を望めないって。だから唯一の子、ユリウス様を溺愛なさっているって話じゃない?」
「確かにクラーセン公爵家のお子様はユリウス様のみですものねぇ」
「だとすると、怪我なんかさせたらまずくない?」
「最悪先生はクビになっちゃうかも。何せ相手は恐れ多い公爵家だし」
私は友人達の言葉を聞きながら、ブスリと布に針をさす。
何となく苛々とした気持になるのは、私がクラーセン公爵夫人を流行に敏感で、息子想いのおしゃれな婦人だと都合よく、いいイメージで認識しているからだろう。
毎回ユリウスは自分が着飾っているのは母親のせいだと口にする。けれど流行りの御洒落を楽しむ事がしたくても出来ない私からすれば、彼のそれは存分に贅沢な悩みだと思うのだ。それにお体が弱いお母様が一人息子に目をかけたくなるのは当たり前。兄や姉と比べられ厳しくされる我が家よりずっとユリウスの方がマシなのでは?と私は針を布に刺しながらそんな風に感じていた。
「ねぇ、腕がもげてしまったら、魔法でくっつくの?」
「程度にもよるのかも知れませんわ。あと時間とか。処置が早ければいいってのは聞いたことがあります」
「それより首は?首がもげても人間って生きていられるの?」
「流石に死ぬでしょ」
呑気な友人達に私は無慈悲に言い放ったのであった。