012 貴族の流行り、それは
ソフィー様からピム・コーレインの話を聞いた私は、シーラ様が盗聴器が仕掛けられているという屋敷に一度足を運んでみようと思った。
目的としては、シーラ様のアパートメント周辺の聞き込み。それに事前調査済みである、シーラ様のアパートメントに住み被害を受けてもなお、住み続ける勇者様。その人の話でも聞けたら最高だ。しかしなんぜ現在の私は魔法管理局職員でありながらマルセル君の母親という、二つの肩書を持つ多忙な人間である。
「時間が足りるかどうか。ま、とにかく外出許可を取ってから考えよう」
私は外出準備を整えた後、アントン殿下に外出する旨を伝える為、アントン殿下の机に向かい、外出したい旨を伝えた。
「で、君はローブを脱いで、分厚い眼鏡までかけちゃって、潜入捜査する気満々みたいだけれど、何か掴めそうな目処が立ったってことかな?」
アントン殿下は前に立つ私をつま先から頭の天辺まで一瞥すると苦笑した。
「おかしいですか?」
私はアントン殿下に問いかけつつ、自分の姿を確認する。
現在私は、確かに魔法省所属者の証、黒に金色のラインが入った、格好いいローブを羽織っていない。その代わり、襟元や袖に赤い小花柄の刺繍の入った、オフホワイトのよくある綿素材のワンピースに袖を通している。そのワンピースの上からブルーの前掛けをし、ごくごくありきたりな、庶民の格好に変装しているのである。
それに加え久しぶりに瓶底眼鏡をかけ、若葉色の長い髪は、わざとほぐした感じで両耳からお下げにしてあるという念の入れよう。
つまりこれなら、現場をウロウロしてもまさか魔法管理局の人間であるとは、誰も気づかないという、完璧な装いであるはずなのだが。
「おかしくはない。だけど、これが噂の眼鏡かと思って」
「これですか?」
私は鼻にかかる眼鏡のブリッジの部分をクイッと中指で押し上げた。魔法のコンタクトレンズに頼りきった現在、その感覚にとても懐かしさを感じる。
「それって、ユリウスから送られた眼鏡?」
「……まぁ、そんな事もあったような」
私はうっかり心の奥底に眠る記憶を刺激され、げんなりする。
「それに感慨深いなと思って」
「感慨深いですか?」
「昔ユリウスから家政科に在籍する分厚い眼鏡の女の子の話を聞かされててさ。その度に一体どんな子なんだろうって想像してたから」
アントン殿下の言葉にギョッとする私。
しかし確かに私は就職と同時にコンタクトレンズに変えた。だから確かにアントン殿下は私の眼鏡姿をご存じない。しかしそこまで話題にする事だろうかと、私は眼鏡をクイッと上に上げた。
「なんか新鮮。当時ユリウスはなるほど、こういう姿の君に……」
惚れたってこと?と私は勝手にアントン殿下の言葉に付け加える。そして直ぐに自分の傲慢さに腹が立った。
私は確かにマルセル君という存在を通し、自分がユリウス・クラーセンと結婚する未来を知っている。だから先程食堂で、ソフィー様からピム・コーレインが三番目の娘、セシル様を嫁がせたいと画策していると言う話を聞いても動じなかった。
実際の所、私は未だユリウスに業務的な告白も出来ていないにもかかわらずに、である。
それでもやや呑気に構えていられるのは、マルセル君の存在だ。彼がここにしっかりと存在してくれるお陰で、私に諦めと安心感をもたらしているのである。曰くその諦めと安心感とは、「どうせ遅かれ早かれ私はユリウスと結婚するし」というものだ。
その結果、さもユリウスは私が好き。そう思い込んでしまっている。しかし私は本人に気持ちを確かめたわけでもない。だから思い込みは危険だ。何かしらそうせざるを得ない事情が起き、渋々私と結婚したのち、同情心から数年越しに私を好きになるという可能性だってある。
なるほど。私は大変な勘違いをしていたのかも知れない。となると、とにかく早くユリウスへの告白は済ませておいた方が良さそうだと私は気付いた。勿論私は嫌だけど、マルセル君のために。
「で、さっきの質問。何か掴めそうな目処が立ったってこと?」
私の手元に視線を落としたアントン殿下は業務的な顔になり、私に同じ質問を繰り返した。
「いいえ。とりあえず問題のお屋敷周辺の状況を確認しようかと。時間は有限ですので。それにまぁ、その、延長料金も馬鹿になりませんし。ですから移動中にこれはサクッと調べようかと」
私は手に持った雑誌をアントン殿下に向ける。
「なるほど。君は絶賛育児中だもんね。だからその、『王国で最も影響力のある百人』その雑誌を手にしているわけだ」
「はい。運良く表紙がピム・コーレインだったので」
私はアントン殿下に雑誌の表紙を見せつける。
そこに映るのはブロンドヘアーに神経質そうな、キツネ目の男だ。
「ピム・コーレイン。なかなか手強い相手だから、証拠を掴むまでは慎重にね。それと危ないと思ったらまずその身を守る事を優先しなさい」
アントン殿下は至極真面目な顔をして、優しい言葉で私に警告したのであった。
★★★
アントン殿下から外出許可を得た私は早速シーラ様が所有するアパートメントがあるというイースト地区へ向かう事にした。
イースト地区は何と言っても我が国最大の港がある事が特徴だ。そしてその港に関係する倉庫業や各種軽工業が特に発達した場所である。となれば、それらの職に従事する、言わば労働者達が周辺に居を構える事となるわけで。その結果、私の住む王城近くのセントラルと呼ばれる地域に比べると残念ながら治安はすこぶる最悪な場所。それがイースト地区である。
本来であれば魔法省お抱えの、国内移動用に設置された転送装置、通称ポータルを使う事でものの数秒もあれば現地の基地局に到着する事が出来る。しかし生憎現在は時空不法侵入の件で、一切のポータルは使用禁止になっているとのこと。
説明する職員に申し訳無さそうな顔を向けられたが、私の方が申し訳ないくらいである。
だって、その原因は明らかにマルセル君だし。
だから私は笑顔で「気にしないでください。グリフォンに久々乗りたかったし」などと職員に明るく声をかけ、心に浮かぶ罪悪感を打ち消した。
その後私は魔法省が抱えるグリフォンの厩舎に向かった。その途中、わざと洋服に泥で染みをつける事も忘れない。何故なら、イースト地区は労働者の街。やりすぎと思うくらい衣服を汚しておかないと、逆に目立ってしまう。そんな場所だからだ。
私はグリフォンの背にまたがり、魔法省のイースト基地局を目指す。そして騎乗したグリフォンの上で隙間時間を利用し、敵の情報を得るため『王国で最も影響力のある百人』という雑誌をめくり、ピム・コーレインのページにざっくり目を通す。
「なるほど。土地開発で一儲けしたってことか」
雑誌によると、現在ピム・コーレインは貴族から借り受けた土地を次々と開発し利益を出しているようだ。どうも資金繰りに困窮している貴族を嗅ぎ分ける独自の情報網を持っているようだと記載されていた。
「なんだかハイエナみたいね。でもまぁ困っている貴族からすれば救世主なのか」
私は記事に目を通し、ピム・コーレインに対しそんな感想を持った。
そもそもここリリロア王国の土地は王族、そして代々の国王から領地を付与された貴族。そのどちらかが所有者だ。
例えば我がベレンゼ家であるが、我が家はご先祖様が戦果による報奨として当時の国王陛下よりリリロア王国の西に位置するベレンゼ領の支配権を付与して下さったところから、貴族としての歴史が始まった。
現在ベレンゼ家は私、そして伯爵家に嫁いたお姉様以外の面々は、ベレンゼ領の丘の上に建つカントリーハウスに住み、今なおベレンゼ領を治めている。
そして、議会が開かれるシーズンになると父と母、それから兄様の家族は王都にあるタウンハウスに滞在し、数ヶ月をそこで過ごすといったサイクルを毎年こなしている。
しかし近年、貴族階級の間では他国との戦争もなく平和な世の中が続いているお陰か、一年で圧倒的に過ごす時間が長いカントリーハウスを重視する傾向が高い。そのため、タウンハウスの建つ土地を「定期借地権」という形で一定の金額と引き換えに、コーレイン商会のような建設や宅地造成などを得意とする商会に、所有する土地を貸し出す貴族が増えているのである。
「まぁ、屋敷を維持するには莫大なお金がかかるもの」
我が家は何とかなっているようだが、貴族の中には領地経営がうまく行かず、返領せざるを得ない貴族もいるとかなんとか。
そんな極貧貴族の救世主が、ある意味コーレイン商会のようなブルジョワジー。つまりお金持ちの商人だと言える。
貴族は定期借地権で土地を貸し出す事により、常に一定の賃貸料を得ることが出来る。それに加え、自分たちの金銭的負担なくして土地開発し、その都度土地の価値を上げていくことも可能。
そしてコーレイン商会側は貴族から一定金額で借り受けたその土地の開発を行い、開発した土地に建設した住居や店などを貸し出す事で利益を得るという仕組みらしい。
「何より、貴族から定期借地権を購入する事で、貴族とのつながりが持てるってわけか」
私はグリフォンの背で風を受けながら、ソフィー様が口にしていた言葉を思い出す。
『彼が唯一手に入れていないもの、それは爵位』
そこに繋がるのである。そしてピム・コーレインが現在狙うのがユリウス・クラーセン。
お金持ちな商人とは言え、最初から公爵家の嫡男を狙うとはなかなか驚きである。
「しかもクラーセン公爵家の所有する土地は、王城近くの一等地だったような。今はまだタウンハウスが建ったままだけど、いずれは時代の波に飲まれて貸し出す場所もないとは言えない。となるとあの土地が定期借地権の制度を利用し貸し出される事になったら……」
ある意味、是非にと願う人が多すぎて、もはや値段などつかないかも知れない。
「つまり、ピム・コーレインは自分の娘がクラーセン様と結婚すれば、爵位も手に入り一等地の借地権を我が手にする権利を得るってこと」
どうやら私が思うよりずっと、ユリウス・クラーセンは、国内最大級レベルで優良すぎる結婚相手のようである。
「やっぱ早く告白しないとかも」
私は憂鬱な気持でグリフォンの手綱を握りしめたのであった。