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011 情報屋ソフィー様

 フィッシュアンドベアーズでユリウス・クラーセンと遭遇した翌日の朝。


「父様に会ったら、ちゃんとご馳走様って伝えておいてね?」


 託児所の入り口でマルセル君に念を押される私。というのも、昨日フィッシュアンドベアーズでお会計を済ませようとしたら、すでに私達の飲食代はユリウス・クラーセンによって支払われていたのである。


 私は一瞬いつもの調子で、「奢られる理由はないんだけど」とユリウスに即刻、飲食代を返金しようとした。けれどマルセル君の脅し文句、「親の義務」という言葉をふと思い出し、素直に奢られるという状況を甘んじ、受け入れたのである。


 それは決して、ユリウス・クラーセンに素直になれと言われたからではない。ユリウス・クラーセンがマルセル君に施した親の義務を受け入れただけ。ついでに現在養育しているのは私なので、私の分の飲食代は養育費の一環として、ありがたく頂戴しておいた。


 状況だけ見れは結婚のち、離婚をした夫婦のよう。

 既に自分が独身である。その事をうっかり忘れそうである。


「母様、今日こそ告白しておいてね?」

「善処します」


 そんな会話を最後に私はマルセル君を託児所へ預け無事出勤した。


 それから午前中は抱える問題を忘れるくらい忙しく業務をこなし、そして現在。


 私は詮索好きなソフィー様と王城内に設置された職員用の食堂で昼食を取っていた。


「それで、あの子は本当の所誰の子なの?」

「……親族の子です」

「ははーん。言いたくないと。まぁいいわ」


 私は目の前のマカロニアンドチーズにフォークを差し込み、料理に夢中になるフリをする。

 本日私が選んだ献立は、バター、生クリームに塩胡椒。それにチェダーチーズがどろどろに溶け込んだマカロニを使った料理である。濃厚な味が食べ始めは美味しく感じるけれど、後半飽きてくるタイプの料理である。


「でもね、ゾーイと謎の子供。わりと噂になってるわよ?」

「えっ、そうなんですか?」

「そりゃ、独身女性が急に子連れ出勤したらみんな気になるでしょ」

「でも親族の子を預かっているだけですよ?」

「だって、あの子。あなたの事を母様と呼んでいるらしいじゃない」


 ソフィー様の口から私が必死に内緒にしているはずの事実が明かされる。

 確かにマルセル君は私を「母様」と呼んでいる。けれど人前では流石にそれは駄目だと、「ゾーイ姉様」でも、最悪「おい」でもいいから、とにかく「母様」と呼ぶのだけは禁止だとマルセル君と約束していたはずである。となると、一体どこで聞かれたのだろうか。


「因みにその噂はどこで?」


 早速私は単刀直入にソフィー様に尋ねる。


「託児所のママ友ネットワークよ。子供と侮るなかれなのよ?ちびっ子達は純真無垢であるが故、聞かれたら何でも素直に答えちゃうんだから」

「そ、そうなんですか……」

「夕飯のメニューから、両親が喧嘩したこと。母親が上司の悪口を口にしていたとか。そういう大人にとって隠したい事も全部しっかり見ているもんなのよ」

「な、なるほど」

「そして大人に聞かれても、聞かれなくても悪気なく何でも得意げに喋っちゃう。だからある意味子供は家庭のスパイみたいなもんね。秘密を隠し通したいのであれば、子供を侮っちゃ駄目よ」

「り、了解しました」


 私は驚きの事実に目を丸くしながら納得する。

 ソフィー様の説明が事実であれば、確かに託児所は情報の宝庫かも知れない。

 となると託児所でついうっかり、私の事を「母様」呼びしてしまったマルセル君を責める事などできない。そしてそれを自分の母親に話して聞かせた他の子もまた悪くない。何故なら彼らは大人のように裏表なく純粋なだけだから。


 つまり完全に子供という存在を軽く見誤っていた私が悪いのである。


「それで、あれからご両親は何も言ってこない?」

「今のところは何も」


 ソフィー様の言う「あれから」というのは、私が舞踏会において招待状を提出したのち、即刻帰宅のルーチンワークが両親にバレた事を指している。

 王立学院家政科の先輩であり、幼い頃から顔見知りでもあり、そしてしがない伯爵令嬢仲間でもあるソフィー様は、私の貴重な情報網兼友人。そして困った時の相談相手でもあるのだ。


「ゾーイもそろそろ素直になった方がいいよ。じゃないと、前みたいな軍人さん。つまり、あなたの嫌う規律正しく真面目しか取り柄のない、そんな人をまたもや親から紹介されちゃうわよ?」

「嫌いじゃないですよ。それに真面目な人は誠実とも言えますから」

「だったら、前みたいな軍人さんをまた紹介されてもいいわけ?」

「それは……」


 思わず私は口籠もる。何故ならソフィー様の言葉に刺激され、かつて経験した苦い記憶が私の脳裏に蘇ってきたからだ。


 私はマルセル君に年齢イコール恋人なし。

 そう思われているが、実際はそうとも言えない。

 何故なら家政科時代、一度だけ私にも婚約者がいた時期があるのだ。


 ただあの経験は、正直誰かと付き合ったと胸を張り主張するには厳しく。なおかつ私の中、そして家族の中で既になかった事と抹消している、そんな苦い記憶なのである。


 そもそも規律正しく真面目。それは悪い事ではない。これは間違いない事実である。

 ただちょっと、かつて父が紹介してくれた男性は、流石規律を重んじる父のお眼鏡に叶ったといった感じが過ぎる真面目すぎる青年だっただけだ。


 子爵家の三男で騎士科に通っているというその青年は、チリ一つないパリッとした軍人さんらしい装いに、約束の時間ピッタリのお迎え。甘いムードの欠片もなく、街で見かけるちょっとした規律違反に対し「ああはなりたくないな」と軽蔑した眼差しを向け、理想的な家族バランスは、両親に子供が二人が望ましい。万が一男子二人、女子二人と続いた場合のみ、三人目も視野に入れている。妻は夫を支えるべきであり……ということを会ったその日にしっかり告げてくれる、誠実すぎる人だった。


 実際のところ、私もその青年に対しいいなと好印象を抱いていた。何故ならお姉様のように美しくもない、そんな私を妻にしても良いと言ってくれているのだ。それに家長である父が紹介してくれたのだから、断るなんてあり得ないと思った。しかも毎月行われる学院の交流会で、惨めにパートナー決めのくじ引きを引かなくて済む。それは私にとって大事な事であった。

 だから感じる違和感に蓋をして漠然とこの人の妻になるのだなと、それなりに覚悟していたのである。


 けれど私の思いとは裏腹に、私は彼に呆気なく振られる事となった。


 何度かデートと呼べるのかどうか。今となっては微妙ではあるが、とにかく両親公認でデートを重ねた数回目。訪れた劇場に機材トラブルがあり、開幕時間が遅れた。よって全ての幕を鑑賞すれば彼が父に約束した帰宅時間に合いそうもないという状況。


『そろそろ時間です帰宅しましょう』


 彼に帰宅を促された時、舞台上では愛するヒロインが死んだと勘違いしたヒーローが、敵役との戦闘に勝利したところ。そして既に亡くなっていると勘違いをしているヒロインの後を追い、今まさに自害しようとしているという、最大のクライマックスシーン。


『えっ、帰るのですか?』

『帰りましょう。約束は守らねば。僕らは未成年ですし』

『でも、あと数分で終わりそうですよ?しかもまだ時間には余裕があるような気がするのですが』

『いえ、何があるかわかりませんから。早めに行動しておきましょう』

『え、でも……』

『それに遅い時間に男女が一緒にいるなんて、周囲からどう思われるかわかりませんし。誰かに見られでもしたら困ります』


 私はその言葉に納得出来なかった。こんなに遅いと言っても、観劇をしているというしっかりとした理由がある。それに父には行き先だって告げてあるし、別に観劇することは後ろ指をさされる理由には成りえない。更に私は既に寡黙で真面目なこの青年に仄かに恋心を抱いていたのである。


 つまり、甘い雰囲気など微塵もなくともただその人と一緒の時間を過ごしたかったわけで。


『私はまだ帰りません。最後まで観てから帰ります』


 意を決し私が告げた所、お相手の方は驚愕の表情を浮かべた。それから「帰らない」という意思を固く持ち、貝のように口をつぐんだ私に仕方なく付き合ってくれた。


 その結果やはり、彼が父に私を返すと約束した時間に数分ほど遅れてしまったのである。


 ひたすら父に頭を下げる彼。その時の彼は私のせいだと、一言も口にしなかった。

 そこが凄く素敵に見えて、仄かな恋心は一気に開花。たぶん私はあの瞬間、本気で彼を好きだと、ハッキリと自覚していた。


 その後私も父に帰宅時間を守らなかった事についてお小言を頂戴した。けれど私は父のお小言なんて右から左へと聞き流せるくらい浮かれていた。何故なら真面目を絵に描いたような彼が我儘を聞いてくれた事、そして父から私を庇ってくれた事が嬉しかったからだ。


 そして数日後。

 我が家へ来訪の約束を取り付け、現れた彼から「この話はなかったことに。我儘がすぎる。約束を遵守出来ない女性はちょっと。疲れました」と私は両親の前でやんわりとフラれたのである。

 確かに私も大人気なかった。ただ私はあの時、ちょっといいなと思い始めていた彼と、どうしても観劇を最後まで見たかったのである。そしてその気持ちを押し通したら、呆気なくフラレてしまったのだ。


「ちょっと、聞いてる?」


 ソフィー様の声で私は長く苦い回想を終える。


「あ、大丈夫です。戻ってきました」

「やだ、まだあの男のことを引きずってるの?もう三年以上前の話でしょ?」

「ですよね」


 ソフィー様の言う通り、これは過去の話である。よって今はもう何とも思わない。思わないけれど、思い出すと少し辛い。だって初恋だったから。


「追い討ちをかけるようで申し訳ない気持ちはあるけど」


 ソフィー様がジッと私の顔を見つめる。


「最近クラーセン様にも縁談の話が持ち込まれているってチラホラ耳にするわよ?」


 ソフィー様は言い終えると、私の向かい側でハンバーグを切り分ける作業に取り掛かった。


「そんなの今に始まった事じゃないですよね?」


 見目麗しく、人当たりも良いと評判良し。更に付け加えると公爵家の嫡男でもあるユリウス・クラーセン。私なんかよりずっと浮いた過去の話を持つ男である。


「そりゃ今までだって色々な令嬢と噂にはなっていたわ。けれど、どれも正式なものではなかったじゃない?」


 ソフィー様の言葉に頷く私。確かに噂は多いが、未だユリウスには決まった相手がいない。それは私と結婚するから……。自分でふと当たり前のように思い浮かんだ気持ちに、私はゾッとした。


 どうやらマルセル君のせいで、ユリウスが私と結婚するのは当たり前のこと。私はそう洗脳されかけているようである。それはまずい。非情にまずい。そう警戒する一方で、私がユリウスと結婚しなければマルセル君は消えてしまうかも知れないという事実を思い起こす。それを阻止するためには、どうしたって私はユリウスに告白しなければいけないのである。そしてその先に待つものは結婚。


 私はフォークに乗せた短いパスタを複雑な思いでジッと眺めたのち、時間差で頬を染めた。


「それがさ、今回ばかりは信憑性が高い情報なのよ」


 ソフィー様はハンバーグを切り分ける手を止め、ぐぐぐとこちらに身を乗り出して、意味深な顔を私に近づける。


「ピム・コーレインが彼の三番目の娘、セシル様をクラーセン公爵家に嫁がせたいみたい。実際既に関係各所に働きかけて、本人同士を引き合わせる事に成功したみたいよ」


 周囲を気にしながら、ひっそりとした声でソフィー様は驚きの事実を教えてくれた。


「ピム・コーレインって、コーレイン商会の会長ですよね?」


 私はユリウスの事はともかくとして、コーレインという名前から、昨日シーラ様に土地を売って欲しいと持ちかけたという、コーレイン商会の事を思い出す。


「そう。何かと腹黒い男だって話。だけどやり手である事は確からしくて、一代で莫大な財産を築いた上に、最近何かと政治の世界にも口を出し始め、その影響力は馬鹿にできないみたい。何でも先を見る目を持つ男だとかなんとか」

「先を見る目ですか……」

「現在彼はイースト地区の土地区画整理事業に積極的らしいわ」

「でもあそこは、政府が推進してもなかなか難しかったって、数年前に計画は頓挫ましたよね?」


 イースト地区は言わば労働者階級が多く住まう街だ。今にも潰れそうな貧弱な家がひしめく場所。そもそも住む場所すらなく路上で生活している人も多い。そして失業者が多く流れ着く場所柄、治安も悪い上に住人を把握しきれていない、言わば無法地帯。

 それを何とか政府は改善しようとはしているが、どこに彼らの住居を移設するかの問題。それに加え住人の反対に遭い、土地区画整理事業は未だ頓挫したままだ。


「政府が上手く行かない事をやってのける。だから益々彼の評判はうなぎのぼり。でも、裏では何か強引な事をしてるのでは、そんな噂があるわ」

「何でそんな事をしてまで、イースト地区にこだわるんだろう」


 私は一体イースト地区にどんな価値があるのだろうと考える。


「そんなの決まってる。貴族とのコネクションが欲しいからでしょ」

「なるほど。政府がやり遂げたい事を代わりにすれば、確かに名声は上がりますもんね」


 どうやらピム・コーレインという人物はかなり上昇思考の強い人物らしい。


「あのね、ピム・コーレインはたった一つを除いて、全てを手に入れた男と言われているのよ」

「たった一つ?」


 私はソフィー様の言葉に首を傾げる。


「彼が唯一手に入れていないもの、それは爵位」


 ソフィー様は得意げな顔で私にそう告げたのであった。

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