001 空から子どもが降ってきた
幼馴染属性ものです。
お楽しみ頂けると幸いです。
今日私こと、ゾーイ・ベレンゼは信じられない悪運に襲われました。というのも、男の子が空から降ってきて、見事その男の子の下敷きになったのです。
「うぅ、いたい」
「だからまずいんだってば。って理解しましたか?母様」
「母様かどうかはわからないけど、ひとまず私の上から退いて頂けると嬉しいな、なんて」
「逃げない?」
「逃げない」
「なら、退いてやる」
「その言い方……」
「何?」
「記憶の端に微かに存在する、私にとってミジンコと同等な人に言い方が良く似ていたもので」
「……だからそれ、たぶん父様だよ」
「勘弁してよ……」
はははははと私は薄ら寒い笑い声を上げ、全面降伏とばかり、ぐったりと体の力を抜いた。勿論しっかり目を閉じ、死んだふりである。
「だ、大丈夫?」
男の子の不安げな声がする。
「いいえ駄目です。お家が遠い。泣きそうです」
本音をポロリと口にする私。すると比較的長い時間、私の背中に存在感たっぷりに乗っていた男の子は、ようやく私の背中から退いてくれた。
私はゾンビが蘇るが如く、のそりのそりと起き上がり、私に絡んできた男の子をチラ見する。しかしいかにも貴族のおぼっちゃま風な装いをした男の子は下を向いている。生憎こちらからでは顔が確認出来ない状況だ。
何故警備が厳重なはずの城内に子どもが?と疑問を抱かなくもないが、そこを追求すると王族のどなたかに行き当たりそうな予感がする。という訳で、その件について私は気付かぬフリだと自分を誤魔化す。
となると男の子が空から降って来たのは、自殺願望があるからで、左側に見える魔法科学研究局の窓辺から飛び降りた可能性が高い。
私は謎に満ちた男の子の存在に強引に理由をつけて自分を納得させた。そして「こんなに小さな子が自殺願望とは世も末だ」などと呟きつつ、ローブについた埃を払う。
「僕の名前は、マルセル・クラーセン。母様に会えて良かった」
さっきまで私の背中に乗っていた男の子、自称マルセル・クラーセン君はそう口にするや否や、私のあまり綺麗とは言い難い黒いローブにむぎゅっと抱きついた。
「母様、早く父様と恋に落ちて」
背中にいた時から何度も繰り返される言葉。
正直意味がわからない。
だってよく考えてみて欲しい。
私は勤務先である魔法省魔法管理局から疲労困憊と言った状態で帰宅途中、城内を歩いていたら突然男の子が空から降って来て、私は見事地面に潰されたのだ。
挙句、突然降って沸いた男の子は、私を母様呼びするし、私のせいで帰れないなどと口走るし、更には恋に落ちろと私に迫っているのである。
しかも男の子が恋をしろと迫る相手は、私がミジンコ以下と称する男性、ユリウス・クラーセンのようで。
正直これは新手の嫌がらせだと思った。
何故なら私の職場、魔法管理局はその名の通り、ありとあらゆる魔法を管理する側だからだ。
『一に規則、ニに規則、三、四が魔法規定で、五に捕縛』
これを合言葉とし、正しい魔法社会を築くため、人を殺せそうなほど分厚い魔法規定全集を片手に日夜、違法魔法、そしてそれにまつわる犯罪などを取り締まっている。
規定に沿って業務を遂行するため、私達は融通が利かない。その性質上、嫌われ者になるのは世の常。だから身に覚えはなくとも、誰かに恨まれている可能性は捨てきれない。だからこんな不可解で理不尽な目に遭うのだと私は理解した。
そんな訳で私は、早速身元不明の男の子、自称マルセル・クラーセン君をとっとと警備兵に突き出そうと思った。
けれど、ローブに張り付くマルセル君の体は僅かに震えている。実に心に訴えかける状況である。
「大丈夫だよ。正直意味がわからないし、子どもを使った悪質な詐欺にも思えちゃうけど、でも大丈夫。私はあなたをちゃんと然るべき場所に届けてあげるから」
気付けば驚くほど優しい声で、至って常識的に励ましの言葉をかけたあと、私はマルセル君の小さな体をおそるおそる抱きしめていた。
この時私の中にも母性が存在するのだと驚いた。
しかしすぐに私は、結婚どころか、婚約者すらいない自分を取り巻く現実に思い当たり、母性なんぞ感じてもそれを活かす機会はしばらく訪れないだろうと、何だか悲しさが倍増した気分になったのであった。
★★★
思いのほか母性が爆発した私は職権乱用とばかり、魔法管理局の取調室にマルセル君を連れ込んだ。業務に抜かりのない私がマルセル君を連れ込んだのは、VIP 用の取調室。
葉っぱの模様が連なるブルーの壁紙に、金色の縁取りがされているやたら座り心地の良い椅子。それに加え、紅茶とクッキーもマルセル君に実費で支給した。
ついでに警らにも連絡済み。取り調べが終わり次第引き渡す手筈は整えてある。
だから幼児虐待及び誘拐などと言う不名誉極まりない嫌疑を私が誰かにかけられる事はない。
そう、私はいつでも完璧なのである。
「だからさ、ちゃっちゃと告白しちゃってよ。好きなんでしょ父様の事。というか僕の話、ちゃんと理解してる?」
目の前にいるのは新緑色の髪色をした、マシュマロみたいに柔らかそうなほっぺたをしたマルセル君。
生まれたばかりの甥っ子に目元が少し似ていて、可愛い、尊いなぁと眺めていたら、大事に取っておいたお菓子を食べられてしまったかのような、物凄い怖い顔で睨まれた。
「理解してる。つまり人探しをするんでしょ?だったらまず警ら部に連れて行ってあげる。あなたは割と運がいいよ。何故ならこう見えて私は魔法管理局に勤務しているエリートだから。色々と顔が利くの」
私は得意げに告げる。子供相手に虚しい気持ちが沸き起こらなくもない。しかし特段容姿に恵まれているわけでもなく、平々凡々な私は他に誇れるところがない。私の取り柄は所属している組織が食いっぱぐれのない公的な機関であること。それくらいしかないのだから仕方がない。
「……母……って……こんな……だったんだ」
マルセル君が眉間に皺を寄せ、ボソリと呟く。
うまく聞き取れなかった私は聞き返そうと口を開きかけ、それは叶わなかった。
「ねぇ、全然人探しなんかじゃないんだけど。今まで僕が必死に訴えた事、聞いてた?」
聞き返すより先にマルセル君が私に確認するような態度を取る。
「勿論聞いてたよ」
「じゃ、状況を説明して」
腕組みをし、上目遣いに私を睨みつけるマルセル君。
こういう、ふてぶてしい所はユリウス・クラーセンに似ているなぁと思いながら、私は今しがたマルセル君によって聞かされた話を振り返りながら口にする。
「まずあなたは未来から来た子。どうして未来から来たのかと言うと、えーと」
「母様を喜ばせようと思ったんだよ。何回も言わせるなよ、恥ずかしい」
マルセル君の生意気具合に、流石に私もムッとした顔になる。
しかし相手はどうみても十歳以下のお子様だ。方や私は既に成人済み。十七歳の立派な大人である。だから同じ舞台に立っては駄目だと、一言二言態度を改めるように告げたい気持ちを何とか堪える。
「これはこれは、大変失礼致しました。つまり母親思いの優しいマルセル君は身重なお母様を喜ばせようと、王城で管理されているムーン草を過去、つまりここに盗みに……コホン、取りに来た。こちらに来る方法として使用したのはお父様が開発されたという、超時空転移ドライバー。しかしお父様が開発されたという、そのいかにも怪しい装置が不具合を起こし、未来へ戻る時空の裂け目が閉じてしまった。更に付け加えますと、超時空転移ドライバーの再起動には、お父様がお母様に送ったという大事な言葉の入力が必要。しかしマルセル君はすっかりその言葉を忘れ、帰宅困難者となった。以上です」
実にそれっぽく良くできた話である。しかし私を騙そうとするには、まだまだ甘いなと言ったところ。私はふぅと大きなため息をつき、マルセル君の言葉を待つ。
「理解してるなら何で僕を警らに差し出そうとするんだよ」
「だって、私は魔法管理局のしがない職員だし、迷子はきちんと」
「迷子じゃないし」
「じゃ、遺失物って事で」
空から降って来た時空を超えた遺失物。
それには違いないよね?と私はマルセル君に迫る。
「母様は僕を信じられないの?」
マルセル君が突然泣きそうになりながら、切なげな顔を私に向けた。
私はまるで犯罪者が観念し自白するかの如く、居た堪れない気持ちで項垂れる。
「えーと、違うの。信じたい気持ちはあるけど、信じられないのよ」
「どうして。僕のこの髪色は母様と一緒だし、僕の紫色の瞳は父様と一緒。母様の髪色も父様の目の色も珍しい色だ。それが二つも揃った僕を見て、それでも母様は僕が嘘をついているっていうの?」
認めがたいが、言われてみれば確かにそうだと私は頷く。
私の若草色の髪色は先祖代々、ベレンゼ伯爵家にのみに遺伝する大変珍しいものだし、ユリウス・クラーセンの瞳の色である紫も、王家に連なるクラーセン公爵家のみが持つ色で間違いない。
しかし、この国には魔法というものが存在するし、髪を染める事も目の色を変えるなんて変装も、やろうと思えばやれる。というか、犯罪者ほど身分を偽る為に元の容姿をいじる事に躊躇しない。
それに何より、どうしたってマルセル君の主張を認めがたい事が一つある。
「でもマルセル君、私はちっともユリウス・クラーセン様を好きじゃないよ?」
どちらかと言うと、嫌いですけど。
一応それは言わないでおいた。しかし私と彼は周囲の誰しもが認める油と水の仲。だから一体何がどうなったら、私がユリウス・クラーセンと結婚する羽目になるのか……。
「まさか、政略結婚!?」
「違うけど。二人は恋愛結婚だって」
「またまた、ご冗談を」
「因みに、僕の父様と母様は今でも仲睦まじいし、今度妹が生まれる予定」
「妹?」
「そう。この前父様が母様のお腹を超魔法音波検査、略して「わかっちゃうマシーン」で調べたんだ。そしたら女の子だって。だから妹」
「ち、超魔法に全然略してないわかっちゃうマシーンとやら。そのひたすら痛いネーミングセンス。あいつならつけかねない」
私はうっかり黒髪の見た目だけは良いミジンコユリウスを脳裏に思い浮かべてしまい、顔を歪める。
「母様はそんな嫌そうな顔をしていなかった。率先して父様に調べてもらってた!!」
マリウス君が思い切り私に頬を膨らませ抗議してきた。
そんなマルセル君を傍目に私は、率先してユリウスに膨れたお腹を突き出し、超魔法なんとかを施術されている自分を想像した。そしてやはりあり得ない、むしろおぞましいと寒気すら感じ、実際私はしっかりとその身を震わせたのであった。