国でいちばんかしこいネコ
これは、割と最近の話ではありますが。ある国の城下町に、随分とかしこいネコがおりました。どれくらいかしこいのかと言うと、そっくりそのまま人間の言葉を喋るのです。
赤いレンガでできた猫ばあさんの家に十年ばかり住んでいる、明るい木目模様でひだまり色の瞳をしたネコです。
「あんたときたら、本ばかり読んで」
ネコはする事がないので、日がな一日中本にかじりついておりました。爪と肉球をうまいこと使って、本をいためずに読むのです。
「そうは言ってもね、おばあさん。この家には一匹のネズミだっていやしないのよ」
この家にはたくさんの、本当にたくさんのネコがおりまして、何匹かはネズミとりに出稼ぎに行くほどでした。
「あんたときたら、一体いつになったらあたくしに子ネコを見せてくれるんだい」
おばあさんは、アヒルの毛で作ったハタキでネコを叩きました。
「そうは言ってもね、子ネコが八匹もいるのよ。箱からあふれているわ」
おばあさんは子ネコが好きでした。しかし大きなネコも好きでしたのでネコは増える一方でした。
「なんだい。自分はかしこいから、もうネコを増やすべきじゃないとお説教する気かい」
おばあさんはクッションごとネコを移動させ、棚の掃除をしました。
「そう言うわけじゃないけれど──そうね、飢えと寒さに苦しむネコを救ってあげるのは構わないけれど、これから先の事も考えなきゃいけないわね」
ネコはあまりにもかしこいので、おばあさんの寿命の事を考えていましたし、どんどん増えていくネコのエサ代や、はては暖炉にくべる薪の本数まで考えておりました。
「と言うわけで、あたしは何か仕事を探しに行こうと思います」
ネコは戸口から出て左に曲がり、三回角を曲がりました。そうすると、大きな広場に出ます。
噴水の前に立て看板がありました。ネコは近寄り、首を伸ばして書かれている内容を読みました。
『国で一番かしこいネコを求む』
「まあ。あたしのことじゃないかしら」
この国広しと言えども、喋るネコはあまり見かけません。
ネコは自信を持って、前足、後ろ足を出してしゃなり、しゃなり、と歩いてお城までゆきました。
「かしこいネコでございます」
ネコはお城の門の前で、キリリとした顔をしました。門番たちは驚き、道をあけました。
ネコは王子さまのところに案内されました。彼はネコを見て、手を叩いて喜びました。こんなに堂々たるネコは見たことがなかったからです。
「ほら見ろ。おまえの求める賢い猫だ」
ネコは王子さまと同じ方向を見ました。そこには、なんだか悪そうな顔で、カラスみたいな髪の毛で、真っ白い手の魔法使いがむっつりした顔で座っておりました。
彼は無理難題を王子に押し付けたつもりで、本当の本当に賢いネコが現れるとは、夢にも思っていなかったのでした。
「私はネコが嫌いです」
「構うもんか。さっさと氷の花を探しに行け」
王子さまは魔法使いを追い立て、去ってゆくその肩にネコを乗せました。
魔法使いはお城を出て、雪山へずんずんと進んでいきます。ネコは魔法使いの肩の上で縮こまりました。
「ああ、お給金の話もしないうちにお仕事に駆り出されてしまって、困りますね」
「たしかに、賢いことには違いない」
魔法使いは感心したように言いました。
「それはもちろん」
ネコは、えへんと喉を鳴らします。
「ああ、ついでにあたしの体がもっと長くて毛がふさふさだったなら、ちゃんとした襟巻きになれたでしょうに」
ネコはあまり大きくありませんので、魔法使いの半分はもこもことしてあたたかく、もう半分は吹き晒しで寒々としていたのでした。
「いや、これはこれで悪くはない」
魔法使いは別にネコが嫌いなわけではなく、世界の大体全てが嫌いなのでした。しかし、実はネコの事は一目見た時から気に入っておりました。
「まんまるお月さまの瞳をした人、あなた様はどちらに行かれるので?」
ネコは魔法使いの耳元で、甘い声で囁きました。かしこいネコはかわいいネコでもあったので、それが人間のやる気を出させることを知っておりました。
「氷の花をとりにゆく」
「どうしてまた?」
「悪い魔法使いが国で一番綺麗な花を氷にしてしまったから、それを取り戻さねばならない」
どんどん吹雪が強くなってきましたので、魔法使いはネコを外套の中にしまいこみました。
「それは大変なお仕事ですね」
ネコは何気ない調子で話を合わせました。しかし、魔法使いは驚くべき事をネコに語り始めます。
「わたしは悪い魔法使いの弟子だったので、その悪行をすっかりそそいでしまうまでは頑張らねばならんのだ」
「なんですって?」
本人ではなく、悪いやつの弟子だったから罰を受けなければならないなんて、そんな馬鹿な話があるものか、とネコは思いました。しかし魔法使いは続けます。
「神様と、王と大臣がお決めになったのだから仕方ない」
神様がそう言うのなら、ネコに言える事は何もありませんでした。魔法使いの流した涙が頬と首筋をつたい、ネコの鼻先まで落ちてきました。
「あとどのくらいお仕事が?」
ネコは外套の隙間から這い出て、魔法使いの涙をざらざらとした舌で拭いました。
吹雪はひどく、氷の粒がどんどんと耳に入ってきます。
「氷の花を溶かしたら、あと一つだ」
「最後の一つは、何でしょう。さっするに、ご主人はあたしにそれを手伝って欲しくて呼んだんじゃありませんか」
魔法使いは水分を含んでずっしりと重い雪の上を慎重に歩きながら、言いました。
「悪い魔法使いは人間をネコに変えてしまう魔法をあちこちで使った。それにより、たくさんの人がネコになってしまった」
氷のかけらがネコの喉につきささり、彼女は何も言えなくなりました。
「あらかた呪いをといたが、最後に一匹だけ、残っていると神のお告げがあった。お前、元人間だと言うネコを知らないか」
ネコはやっとのことで、返事をしました。
「いいえ……わかりません」
ネコはがっかりしました。心当たりはなく、自分のかしこさが魔法使いにとっては何の役にも立たないことがわかったからです。
魔法使いは氷の花を摘み取り、山をおりました。ネコはその間ずっと外套の中でしょんぼりと丸くなっておりましたが、時折魔法使いはなぐさめるようにネコを撫でました。
お城では仕事ぶりに満足した王子様が「これでよし!」と朗らかに仰いました。仕事さえうまく回っていれば、彼には何の文句もないのです。
「お前にこれをやろう」
魔法使いはネコに金貨の入った袋を与えました。ひと冬豪勢に過ごすことができるでしょう。
しかし、ネコはまだその場を離れたくありませんでした。魔法使いの出す、薪がなくても燃え続ける火が名残惜しいのではありません。やりのこしたことがあると、ネコの小さな脳みそはぐるぐると回転しておりました。
ネコは日当たりが悪く、ジメジメして、植木鉢の一つどころかクッションもない殺風景な魔法使いの部屋を眺め回して言いました。
「ああ、なんてことでしょう」
かしこいネコは、自分の考えに気がつきました。
「わかってしまいました。あたし、あなたの事をすっかり愛しているんですわ」
魔法使いは驚き、そして喜びました。彼もまた、すっかりネコのことを愛してしまっていたからです。
ネコは足取りも軽く、おばあさんのところへ帰りました。自分が幸せだからって、おばあさんの年越しを蔑ろにしていいことにはならないのですから。
「おばあさん、あたし、お嫁に行こうと思います」
「そうかい。早いとこあたくしにひ孫を見せとくれ」
おばあさんはたっぷりのご馳走をネコのために作り、毛糸でできたカゴを編んでやると約束しました。
レンガの家の全てのネコは、こんなに大量の金貨を稼ぐなんてさすがにかしこいのだと口々に彼女を褒めそやしたので、すっかりご機嫌になりました。
魔法使いはネコを待つ間、うきうきして、日当たりの良い部屋に引っ越して、ありとあらゆるところにクッションを敷き詰め、銀の水呑み皿を用意しました。
しかし、いつまで経ってもネコは現れませんでした。年が明け、雪がすっかり溶けて春になり、若葉が芽吹き、子イヌや子ネコが一人立ちをし、葉っぱが赤や黄色に変わる頃になっても、木目模様のネコがお城に現れることはありませんでした。
魔法使いはがっかりして、本当に悲しんで、また薄暗い部屋に引っ込んでしまいました。
さて、ネコはどこに行ってしまったのでしょう? 約束を守らないのは、彼女らしくないですよね。
あそこに赤いレンガのお家がありますね。
そこには、少し前までネコではなく、茶色い巻き毛でひだまりの瞳をした女の子がおりました。
勘のするどいあなたの事、もうおわかりでしょう。そう。ネコは魔法使いに呪いをかけられる前は、女の子だったのです。
金貨を持ち帰り、仲間達と大騒ぎの宴会をして新年の朝日が登った頃、女の子の呪いはすっかり解けておりました。
しかし、彼女はネコだった頃の記憶を綺麗さっぱり忘れてしまいました。どんなに賢くとも、記憶をなくしてしまってはどうにもなりません。
おばあさんは「神さまは増えすぎたネコの代わりにあたくしに孫娘を遣わされた」と思いになり、そのまま女の子の面倒を見ることにしました。女の子もおばあさんの面倒を見ますから、お互い様ですね。
その年の冬、女の子は仕事を探しに広場へ出かけました。だってネコより、女の子の方がうんとお金がかかりますものね。
女中募集の立て看板の横に「国でいちばんかしこくてかわいいネコを探しています」と書いてありました。
ネコには心あたりはありませんでしたが、女中の仕事にはなかなかの自信がありましたので女の子はお城へ向かいました。
彼女に割り当てられたのは、冬の日陰のようにつめたい、悪そうな顔の魔法使いのところでした。誰も彼もが怖がって逃げてしまうので、そこはいつも人手不足でした。
「あいつときたら、せっかく自由の身になったと言うのに」
王子様は見知らぬ女中にそうこぼしました。
この世界に呪われたネコはいなくなり、魔法使いはただ悪そうな顔をしているだけの善良な魔法使いとなりました。
しかし何かが変わるわけでもなく、ただネコを失っただけでしたので、彼の偏屈さ加減は前よりいっそうひどくなったと王子は言います。
女の子は魔法使いにほとんど無視されながらもよく働きましたので、さすがの魔法使いもほんのちょっとずつ元気になっていきました。
春が近づいてきたある日、魔法使いは暖炉の火をながめ、ポロポロと涙をこぼしておりました。
「ご主人、どうなさったのです。一体、何が悲しくて泣くのですか」
「この暖炉が素敵だと言ったネコがいなくなってしまったのだ」
女中は、たしかにこの燃えない火の暖炉は限りなく素敵だと思いました。自分がネコだったならば、たちどころに好きになってしまうでしょう。
「あらまあ。それはご愁傷様でした。ネコならあたしの家に一山いくらと言うほどおりますよ」
「明るい木目模様で、ひだまりの瞳をしていて、国で一番かしこくてかわいいネコはいるか?」
いませんね、と女中が短く返すと、魔法使いは大の大人のなりをして、よりいっそう、ぼろぼろと泣きました。
「ああ、あたし、あなたに何かしてあげたいのに」
女中は魔法使いの涙を拭いてやっているうちに、素晴らしい考えをひらめきました。
ネコを探すなら、自分がネコになれば良いのです。悪い魔法使いが人間をネコに変えてしまうのなら──それを超える良い魔法使いが、ネコに変身したり、戻ったり、出来ないわけがないのですから!
魔法使いはすっかり泣き止み、君は国でいちばんかしこい女中に違いない、と言いましたので彼女は得意になりました。
翌朝女中が魔法使いの部屋に行くと、一匹の大きな、毛の長い黒ネコが暖炉の前に座っておりました。
女中は巨大な猫を持ち上げ、首に巻き付けます。
「なんて仕事が早いんでしょう。さすがは国で一番の魔法使いです」
女中は感心して、自分にもネコになる魔法をかけてくれるよう頼みました。一匹より二匹の方が探しやすいと思ったからです。
魔法使いは女中の肩からおりて、彼女に魔法をかけました。彼が瞬きをすると、ちょうど窓から太陽の光が差し込むところに、明るい木目模様の、ひだまりの瞳をしたネコがちょこんと座っておりました。
「あらまあ」
彼女は自分の事をすっかり思い出し、恥ずかしくなって前足で顔をゴシゴシとこすりました。
「なんてこと。こんな簡単な事に気がつかないんじゃ、あたし、かしこいネコの座を返上しなくちゃなりませんね」
黒ネコの方は元々、あまりかしこいとは言えませんでしたので、頼りになる女中と可愛い女の子と大好きなネコが全部一緒になって頭の中に押し寄せてきたので、その勢いで今までの悲しい出来事を全て忘れてしまいました。
え? それからどうなったのか、ですって? これは作り話ですから、お話はここまで。
おや、赤いレンガの家で、おばあさんとひ孫が庭で遊んでいます。昨夜はずいぶん雪が降りましたからね。窓からは大きくて毛が長い黒ネコと、中くらいの木目模様のネコがそれを眺めています。とても幸せそうに寄り添っていて、めでたい話ですね。