7 護兵と商人
早朝。男は寝ている女に毛布を掛け直すと彼女の髪を耳にかけ頬に口付けしてから如雨露を浴び終わると飲物を口にしようとした。その時、電子機器から音が鳴り彼は、そちらに目を向け声を出す。
「これはこれは偉大なるお爺様どうなさいましたか?」
『子蛇また奴隷と寝ているのかい?』
通信された低く穏やかな声に子蛇と呼ばれた彼は機器に指先を伸ばし言う。
「私は役目を遂行していますので、そう言った小言は、お止めください。切りますよ」
スッと電源を切ろうとして、その前に声がかぶさる。
『眠り姫が予言を伝えたよ』
子蛇の指の動きが止まった。
「……あの方ですか」
『そう、どうやら、そちらの国から厄災が始まるとの事。何処かで聞いた事のある言葉だと思わないかい』
「……」
『映像を流そう』
椅子に座った子蛇が電子機器から浮かび上がった映像に目を向ける。そこには少し人に似てはいる独特な見た目をした生物が映っていた。
*
薄暗い広い部屋。機械類が並び、その中央には大きな丸い水槽があり沢山の管が、その水槽と繋がっている。液体の中央に浮かんでいた、ソレは顔を上げると甲高い超音波に近い音を身から響かせた。すると、その音は段々と人語に近づき耳奥へと入り込む。
【ぉ、お、おき、るっ】
映像の中にいる白衣を着た若い男達が、ざわつき水槽の周りへと集まる。
【く、も、がくれ】
ベキベキと身体を鳴らして身体の下半身に付いている尾を動かし水槽の中をくるりと回ると大きな瞼が重い睫毛を持ち上げて目を白衣の男達に向けた。
【雲隠れ龍の尾にて失われ心を満たせぬ器が涙を流す】
顔の中央にある一つだけ付いた大きな瞳が、ゆらりゆらりと光の線を残しながら光る。
【選択の時を忘れるな】
白衣の男達は息を飲んだ。
【愛しき子よ役目を果たすのだ】
音が止まると白衣の一人が訊ねた。
「……姫よ。それは何時、起きますか」
口に似た見た目の部分から長い長い舌のようなモノが伸びて身を揺らし高い音が、キィ、キュゥ、キキッと鳴り響く。姫の笑い声。その声は言葉となる。
【お前は可愛いから教えてやろうかのう】
触手のような舌がペタリと水槽の内側に張り付いて白衣の男の前で蠢く。
【災いは直ぐじゃ。見ものじゃのう?これは宴をせねばならぬ。さぁ、お前、わらわに酒をくべるのじゃ】
それを聞き白衣の男達は動き出す。
「姫が求めたぞ!急げ!」
慌てて何やら機械を動かしたり連絡をし始める男達。その中で、触手と姫の瞳を見つめている男だけは動かない。
【可哀想に見えたのじゃな?】
頷く男に姫は笑い言う。
【そうかそうか】
男は震える手で水槽に手の平を付ける。すると姫は内側から触手で彼の手を優しく撫でたのだった。
*
「朝から目が覚めるモノを、ありがとうございます」
『先刻だから新鮮だよ』
「はは……ピチピチでした」
『本題に入るが今の依頼主殿は、お元気かい?』
「常々、穴の中です。部下や雇った護兵を取り換えては出てきませんね」
『まあ、そうだろうね』
「ええ……」
『それで、どうする?もし逃げたいと言うのなら可愛いお前の為だ足ぐらいは用意しよう部下も連れてくるといい』
「……」
『時間は有限だ、お茶を飲み終えたら返事を聞こう。それでは』
「はい」
通信が切れ子蛇は椅子に身を預け、深いため息を吐いたのだった。
*
護兵という者は昔から魔物を討伐し生計を立てている集団の事だ。彼らは独自の情報や協力関係の元に依頼を受けたり斡旋したりしている。護兵の殆どはロストの血の保有者が多く濃度の差異はあれど魔物とはれる体力を持っていて彼らの多くは古来学卒業生の率が高く学生時代からの関係を、そのまま維持し鎖も強いものとなっていた。
「あっれ~母国語激しい感じぃ?」
「あちら側の共通言語になると流暢な感じがするな」
大きい天幕に忙しく出入りする中間、雇側の面々。彼らは大陸、龍日国とは違う外から来た人々だ。能力面でみれば彼らは十分に強いが人数がいるとの事で護兵が多く雇われている。
「俺らが向こうの言葉喋ったら幼児みたいになんの?ボクゥタタカゥ!」
「笑うから」
二人がゲラゲラと笑いながら目的の場所に向かい目線の先で一人の狼型の獣人が目に入った。
龍日国独自の文化を支える彼らは日々忙しく、その分、稼ぎも良い。狼型の獣人は長い間続く大陸から来た精霊術士一派との契約で懐が潤い忙しくとも、ホクホク顔である。
「今日も、ごきげんじゃん」
持ち場の交代にやって来た護兵の男が軽い調子で言ってくる。狼の彼は声をかけられてニマッと大きな口を緩めた。
「いやあ!お疲れお疲れ!いやね、この長期の仕事で愛する子供達を全員、幼少期から学館に通わせれる資金の目処が立ってね!いやあ!嬉しい!めでたい!めでたいよ!」
興奮気味にまくし立て尻尾をブンブンと振って語られ護兵の男は目を細め口端を上げる。
「やったじゃん」
「そうなんだ!わかる?だよね!もうすぐ新しい子宝も芽吹くし皆に欲しがっていた玩具も買おうと思ってさ」
「へーやるぅ」
「今日はボクのホイップちゃんが久々にお出かけして子供達と玩具を買いに行っててね」
「お腹おっきーの大丈夫なわけ」
「偶には動きたいって願われちゃっうと…」
唐突にピンと立っていた耳と揺れていた尻尾が下に垂れ下がる。身体で現れる感情の変化に護兵の男は笑いそうになった。
「あー…んんっほぼ通いだもんね。あんた子煩悩そうだし狼だもんなあ犬っぽいけど」
狼型は番にした雌を巣に囲って尽くし外に出さない傾向がある。雌が嫌がる場合もあるので全員が必ず承諾するわけではないが狼型に輿入れをするという事は今後親戚にすら滅多に顔出し出来ないと覚悟しなければならないと言われる程に狼雄は束縛と尽くし、良く言えば一途なのであった。
「い、犬!?犬の事は好きだけどボクのシュガーちゃんと同じだから良いけど他の狼型に、それは言っちゃ駄目だよ!噛まれるよ!」
焦って忠告してくる姿は護兵の事を考えての表情なので狼の良い人感は他に心地良いものを与える。
「あはは。きぉつけるわ~で?今から合流して買い物するんでしょ早く行かないの」
「あ!うん!」
狼型の護兵の彼は強いが何時も本能に忠実で生き急いでいるような雰囲気がある。もの凄く犬に見えるが狼型と犬型には大きな違いがあるようで間違えは禁句らしい。この護兵は知っていて言ったが。
「じゃあボクのパンプキンちゃんとデートするから帰るね!またね!」
手を振った後、跳ぶように地面に四つ足をつき、うきうきと四肢を動かして風の如く走り去る狼型。
「お熱いお熱い」
護兵は龍山の出入口の一つに立つと銃を横にぶら下げて空を見上げる。夕方に近づいた空は少し明るさが弱く色味が変わりつつある。
「……どう思うよ」
「どうって?」
「精霊術士様の啓示とやらだよ」
「ああ……」
「龍王とやらが言うならまだしも今時、時代錯誤凄くねぇ?」
「まあな」
「百年、二百年前ならアリだったかも、しんねーけどさぁ」
「給金が良いし、それに意味があろうがなかろうが別に良いだろ」
鶏冠頭の男の言葉に肩をすくめて笑う護兵の男。
「まぁ、そのとーり!」
腹を抱えて笑いカクカクとワザとらしく護兵は声を出す。
「ワザワイヲトメル……!」
「笑うから」
にまっと口端を上げて胸元から煙草を取り出すと鶏冠に無言で差し出す。鶏冠は一本貰い燃料板で火を点け蒸かした煙草の先を向ける護兵の男に身を寄せた。先っぽから火を貰い煙を吸い吐き出す。
「本当、このまま儲かりゃいいけどねー…」
「だな」
「平和ばんざーい」
*
白い空、薄い膜をはったように白く淡光の空が龍山を包み朝日が昇る。細い葉巻をふかし護兵の男が目の前の死体だったモノを、じっと眺める。隣にいる鶏冠頭の男も同じように眺め呟く。
「結果が出たな」
「確定ってかぁ。あーだりぃ」
目の前のソレは朝日に当たりながら身体を動かしてモゾモゾしていた。まるで芋虫のような肉塊は光を浴びても苦しむ様子は無く平然と目の前の食欲をかき立てる獲物に興味だけが捕らわれて歯の抜けた口をパクパクと開閉させては潰された喉奥から擦れた風音がコシュコシュ鳴っている。
夜中に始まった元墓守の屍呪者化は本来朝日を浴びると溶け始める身体を全くもって残していた。身は実験の安全性の為に元から減らされてはいたが。
ふぅっと護兵の男は煙を吐き出して淡い光の中に白い煙を拡散させた。ぷかぷかと浮かび空気に溶けていく煙は朝日に照らされて綺麗だ。
「んんじゃあ雇い主補佐さまに報告でもいくかねぇ…」
土の地面を頑丈な靴裏で、ザクザクと踏みしめて鶏冠頭男に、その場を任せて進んで行く。巨大な手動魔石燃料型野営車に乗る雇い主補佐の車扉を軽く叩き大きな声を上げる。
「ご報告にまいりました!」
「はーい」
返答。
「失礼します!」
背筋を、ビシッとして扉を開け中に入り顔を上げて護兵の男は固まった。
「へ」
中は入って直ぐに棚と机と頑丈椅子があり奥側には寝台がある。その寝台に裸の、上に布はかけられているが裸と分かる女性がおり、返事をした補佐の男は下着をつけたばかりといった風だ。若干の膨らみすらある。
「ご報告どうぞ」
細い目の男は寝台に座り、そこに眠る女の半分伸ばし普段は編んである解けた髪に指先を通しながら聞く。
「……予想は、そのまま当たりの結果になりました」
護兵の男は応え。
「ですよねえ…どうしようかなあ。賭事は利益が出ると確定しない限りはしたくないんだけどなあ…」
悩ましく息を吐きながら女の側にあった黒と紺の色をした眼帯を拾い、それを指先で揺らしながら悩んでいる。その悩みの間で護兵が寝室にあたる、その場所を目で見渡せば服や下着類が乱雑に脱ぎ捨てられていた。盛った感が凄い。
「精霊術士殿は今だ隠ってますし…でも金額は今の所、問題ないですからね…商人は合理的なんです。仕方ない。迎えに行きますか」
補佐の男は手元の眼帯に口付けを落とすと護兵が入ってきてから視線を初めて向けて目をチロリと開ける。
「龍尾街は猫のお弟子さんに任せて僕らは一度、精霊術士殿にお茶のお誘いをいたしましょう」
ニッコリと微笑んだ補佐に護兵はコクリと頷いた。
「…了解しました」