きえた、おもいで
三人だけの授業。特殊なベンキョウクンが教えてくれる。時折、智盛の影とされるカネも混ざって会話する事もある。彼は気まぐれなので気が付いたらいて目を逸らすと消えている。杏華は、あまり心臓が良くなく、芯と智盛に用意されている高級な頑丈椅子とは別に、ゆったりとした保健室で横になるような特殊な寝床椅子を用意され彼女の両親も友達が増え喜ぶ娘の姿に承諾した。
「老師のお孫さんとは…不思議な巡り合わせも、あるものです」
カネが昼御飯の瞬間に現れて、ぷくぷく小さな気泡が浮かぶ透明な桃色の飲物を飲みながら言う。
「え…知ってるんですか」
芯が煮魚の骨を取っていた箸を止めてチラリと、カネを見た。
「そりゃあねえ。私も幼い頃は憧れたものですよ。最強の護兵とかカッコイイじゃないですか」
「そうか。カッコイイのか」
「うん!じいちゃんはカッコイイよ!」
杏華は家から持ってきた、お弁当の豆腐肉を箸で切り分けながら嬉しそうに言う。
「…俺も護兵になろうか」
「いや。チモ君は龍神王の筆頭候補者ですからね?…それにしても、だいぶ口調が変わりましたね」
智盛はカネが買って来たらしい山の餡包を、もぐもぐ食べながらチラリと視線を向ける。
「練習したからな。凄いだろう」
「まあ。正式な場では戻してほしいですけど友達といる時は、その方が子供らしくて愛らしさがありますね」
「気を抜かすと戻りそうになるがな」
揚げた芋をカネはつまみながら、ふと杏華を見て思い出し言う。
「そういえば老師の連れて来た子を飼い出したんですよね」
「あ!ボーイの事ですか!そうなんです!白いフワフワの子犬なんです!とっても可愛いんですよ!」
「ふわふわ…?」
「そうなんだ。アズカちゃん家、また遊びに行ってもいい?僕、ボーイ見たい」
「うん!今日来る?」
「いいの?」
「ちょっと、待ってね。お母さんお家でお仕事中だから良いか聞いてみる!」
杏華が首に下げている小型の携帯電話を取り出すと家にいる母親に電話をかけた。
「…お母さん!うん!お昼!…うん!お弁当美味しい!…うん!お母さんのお弁当は世界一だよ!…冷凍?お母さんが作ってくれるなら世界一だもん!…うん?ううん!大好き!あ、それでね。今日、ボーイを友達に見せたくて、お家に…うん!やったあ!ありがとうお母さん!…うん!三人!…じゃあ放課後に。…何時もありがとう!」
電話を切ると杏華は笑顔で芯と智盛とカネに言った。
「ボーイ待ってるって!」
「ありがとう」
芯が嬉しそうに微笑み。智盛が、じっと杏華を眺める。カネは笑った。
「あはは!ものすごく自然に入れてもらえて私、久々に、ときめいちゃいました」
芯が、ちょっと嫌そうな目をカネに向けたが、とくには言わず煮魚の骨を綺麗に取り切る事に集中した。
*
杏華は最近、電動車椅子に乗るようになった。あまり動かずとも、ボーイの散歩に行けるように配慮されたのと体力が前よりも持たなくなってきたからである。放課後になると両親のどちらかか自動無人車が迎えに来るようになった。前は自動歩行に乗って、のんびり帰っていたのだが今は、もう難しい。
「お父さん出張?」
「そう。大陸の方で、ちょっと問題が起きたみたいでね。折角、友達に会えるってさっきまで色紙で輪っかとか作ってたんだけど呼び出しくらったみたい」
「そっかー…」
作りかけの輪っかを手首にはめて杏華は微笑む。
「お父さんが飛行機に乗ったら、お電話できる?」
「もちろん」
母親に頭を撫でられて頬を染める杏華。杏華の部屋に入った芯と智盛は、辺りを見回しカネは手土産を母親に渡す。
「平たい生乳泡饅頭です」
「わ…これ…人気の…良いんです?」
「もちろんです。私、チモ君の影のカネと言いまして…」
「あ、義父からお話は…」
二人は別個で話に部屋を変えてしまい。杏華が小さくてフワフワな綿菓子みたいなボーイを部屋から出した時には姿が見えなかった。居たり居ないのは何時もの事なので少しだけ探して芯と智盛に、ボーイを渡す。
「ふわふわなの!」
「ほんとだ…」
芯がうっとりとボーイを抱きしめて次に渡された智盛は、ぎくしゃくしながら、ボーイを腕に抱いた。
「だ、大丈夫か…壊れないか…?」
智盛がボーイに訊ねれば、ボーイは元気よく吠えて尻尾を振り智盛の顔を舐めた。
「え、え。な、何故舐める…お主…腹が減っているのか…ぅぶっ」
「あはは!始めての口付け奪われちゃってますねー」
智盛の隣に突然現れたカネが爆笑している。
「何。初めての口付けは奪われたらどうなるんだ?」
「ええ?そりゃあ照れちゃうんじゃないですか」
「照れはしないぞ…」
「まあ。ボーイは雄ですし。あ、別に性別や種族の垣根を超える事は悪い事じゃあないですけどね!」
そんな二人を尻目に芯は厚手敷物に座り手紙を開く杏華の隣にくっついて中身を覗く。
「あれぐらい積極的になれたら、彼女の一人や二人…」
「何を言っておるのだ」
智盛はボーイを腕に抱いたまま二人の前で胡坐をかいて覗き込む。どうやら手紙は父親からのようだ。家に帰って来たら毎回手紙を置いておくらしい。それは毎日一通。書いて溜めた束だった。
「アズカちゃんも、よく手紙書いてるよね」
「うん!お父さんが暇になった時、読んでくれるの」
「へえ。交換日記みたいだね。良いなあ…」
「シン君も、お父さんとしたい?」
「うん?あ、父上と?いやあ。それは無いかな。堅苦しくて学館の授業より重いよ」
「それは言えてるな俺も父という存在とはしたくないな」
「そうなの?」
不思議そうな顔をする杏華。
「…お母さんと?」
「僕の母上は母性型が機能してるから…いや、十三審や龍神の血に親子関係ってのは、稀だから特には気にしてないよ。血が続く事が役目であり終わったら別れるなんて基本だし」
「……」
目を見開いて黙り込む杏華。その瞳を、じっと見つめる芯。ボーイが元気よく吠えた。
「芯」
智盛が芯を引っ張ると杏華から外れ、智盛の隣に俯せになる。
「…何するのチモ君」
「お主、そういう所、どうかと思うぞ」
芯が無言で、ゴロリと横になって智盛に視線を向けた。
「…使えるものは全部使わなきゃ」
「ふーん」
「シン君の許嫁候補は歳の近い牛家と鼠家と兎家と申家から離れでもいいなら他の領家もありますが。私、個人のお勧めは鼠家ですね。あそこは確りと割り切ってるので、その後の後腐れが一番薄くて良いですよ」
「…そうなんだ」
「ええ。愛人はお互い容認される筈です」
カネが笑顔で言い。智盛は顔をしかめた。
「お主ら何を言ってるんだ…杏華。俺も手紙を読むぞ!」
「あ、うん!」
*
「僕は夢を見ているだけなんだ」
自動無人車に乗りながらの帰り道。ぽつりと芯が呟いて智盛が、チラリと目を向ける。
「夢?」
「あの日、死を願われて…頼んでないけど君に助けられて…先に見つけたのは僕なのに、アズカちゃんと仲良くなる君を見ている内に羨ましくなっちゃってさ」
「羨ましい?何がだ」
「素直な感情がかな?それに…アズカちゃんの心臓は大人になるまでに持たないっていうし。もっと早く素直になっておけば良かったなって思うよ」
「素直になるのは良い事なのか」
「うーん。素直になってれば、この先、後悔しない気がするんだ」
「そうか」
「あと…まだ分からないし」
「何がだ」
「アズカちゃんの、おじいさんが本当に治せる素材を見つけてくる可能性だってあるから…その時は正式なやり方で僕は」
「神に祈ろうとも生きとしげる者は皆、死者と成る。お主も我も平等だ」
「嫌だなあ…生神候補が、それ言うと辛いよ」
「所詮は国の飾りだがな」
「はあ…」
*
「牛家ですか」
「ああ。共の学館で学び恋愛結婚を望ましたいそうだ」
父親の言葉に芯は眉をひそめた。
「…僕は鼠家が良いです」
「ん?あそこか…あそこは確実に恋愛は厳しいだろう。一応、親としては…」
顔を横に振る。
「僕は十三審に愛情を求めていません。血族の子は続かせます。けれど他は遠慮します」
その言葉を聞き父親は息を吐いた。
「…まあ。牛家は娘を未来の龍神王の子宝候補に関しても考えているようだし学館には来る。龍神の息子が容認するなら同じ部屋で授業も行なわれるだろう」
「そうですか…」
その後は二人の間に沈黙が流れた。
*
花が咲いた枝に縛り付けられた紙を見ながら杏華は智盛から受け取った。
「お花!」
「手紙だ。読むが良い」
「え!ありがとう!」
「…は?」
教室に入って早々、目に入ったものに芯は嫌そうな顔をした。
「まさか…交換しあうの?」
「その、まさかだ」
「え!交換?わかった!お花いる?」
「花はいらん。食えるものが良い」
「それは、ちょっと違うんじゃ…」
芯が呟くが杏華は少し考えて。
「じいちゃんと一緒に燻製肉作ったから、それ持ってくるね!」
「肉か!いいぞ!わかってるな」
「…あ、アズカちゃん!」
「はい」
芯も頬を染めながら鞄から真新しい皮の手帳を取り出すと杏華に渡した。
「僕とも交換日記しよう」
「え!うん!する!やったー!」
大喜びの杏華を見て微笑む芯。杏華はいそいそと先ずは智盛の手紙を開いた。中には達筆な筆文字で『光瞳とは杏の花にて霞む無く心ありかな』と書いてあり杏華は頷いた。
「何か強そう!ありがとう!」
「うむ」
「ええ…」
「これは…あれですねえ…愛する者同士として美しいと比喩される光瞳は杏の花を照らす事によって存在しえるなので…光瞳は龍神の瞳と言われ杏の花は、そのまま、お嬢さんでしょうから…心ありが、まあ。そういう意味になりますね。熱烈です」
「…!?」
隣に急に現れたカネに耳元で言われ衝撃を受ける芯。
「シン君の…」
「ぼ、僕のは、お家で読んで!」
顔を朱くした芯を見て杏華は元気よく頷く。
「うん!」
「お花は私が花瓶でも用意しましょう」
「ありがとうございます!」
「うんうん。いやー春だなあー!」
カネが機嫌良く花を持って教室を後にする。
「…あの人、本当に突然だな…」
「俺が力を使っていようとも関係ないからな。優秀だ」
「そうなんだ…というか何故、手紙…」
「素直になるのは良い事だろう?」
「え…それは…」
「俺も後悔はしたくないのでな」
「…うぐぐ」
悔しそうに唸る芯に笑う智盛。嫌そうな顔をする芯。そんな和気あいあいとした雰囲気の時だった。教室の扉が激しく開いた。
バタンッ!!
「どうしてですの!」
驚いて扉を開けた人物を見る面々。美しい容姿をした気の強そうな少女が周りに女の子達を連れて立っていた。扉を強く開けたのは、その周りの一人らしい。
「誰だお主」
「龍神こと神の血族、智盛様!わたくし稀代の天才、牛家の娘。丑天望珠ですわ!あ、そちらに見えるのは雉羽芯様ですね?」
「…はい。その通りです」
「ところで智盛様。どうして、わたくし十三審、牛家の娘モーシュを、こちらの特別教室に含めて下さらないのです?そこの中古品は入れるのにおかしいじゃありませんこと?」
智盛は金色の瞳をジロリと向けて言う。
「…お前は好かん。帰れ」
「まあ…お厳しい…そうですね。今日が初対面ですものね…また。お邪魔しますわ」
顔を横に振る智盛。
「二度と来るな」
「うふふ。失礼いたします」
行儀良く頭を下げて、チラリと杏華を眺め去っていく面々。
「激しいお嬢様方ですね」
花を花瓶に刺したカネが帰ってきて扉を閉める。
「鍵付きにしてくれ」
「そうですね。明日には」
「うむ」
*
休み時間、車椅子を動かして手洗いに向かう杏華。特別教室から近い、そこに入ると普段こちら側の棟は杏華以外使わないのだが先客がいた。
「こんにちはー!」
手洗い場で喋って楽しそうにしている少女達。手洗い場内の二つの扉は閉まっている。
「……」
数分待つが開きそうに無い。少女達は杏華が話しかけても無視だ。少しの気まずさに、ぼんやりしていれば後ろが押された。
「邪魔っ!」
「相手の迷惑考えてよね」
「何で、ずっとここにいるの?嫌がらせ?」
「え…」
押されて一時的な鍵をしていなかった車椅子が動き前側の扉に膝がぶつかり戸惑いながら後ろを振り向く杏華。
「あの…お手洗いしたくて…」
「だから?」
「邪魔してもいいってわけ?」
「最低ね!」
「え?えっと…」
意味が分からず戸惑っていれば前側の扉が開く音がして向く。向けば三白眼で睨んでくる少女がいた。
「人が入っているのが分かるのに何で叩くかな!失礼よ!」
「ぶつかってしまいました…ごめ」
「通れないでしょ!どいてよ!」
「えっと、皆さんに囲まれて移動が」
「動けば良いじゃん」
「何?人に動けって?」
「人の所為にしてして最低」
「馬鹿にしてるの?」
「…してないです」
突然の事に冷汗をかく杏華。息が乱始める。
「早く、どけってば!」
「ま、まってくださ…うっ!」
椅子が後ろから押され先程、押された時の事があり、一時鍵がかかって動かず少女達の手で浮き上がる。ドッと倒されて手洗い場の床に身が俯せで倒れ、その上に車椅子が倒れた。
「いった…っ」
「どんくさ」
「とおりまーす!」
「ひぐっ…!」
車椅子を上から踏みつけて女の子が扉の内側から出てくる。その衝撃が息荒く苦しんでいた杏華の身を圧迫した。
「やだーぐらぐらするぅ~!こわーい」
「ええー?抑えてあげようよー」
「もー優しいんだからー」
笑い声。笑い声。笑い声。
「───!」
大きな汗の粒を溢し歯を食いしばり何とか耐えようとしていた杏華だったが笑い合う女の子達は楽しそうに圧迫感を増やすだけだ。
「うわっ!」
「きたな」
「やだやだ…」
「くさーい」
もう一つの手洗い場の扉が開く。
「あら?皆様どうなさったの?」
「あ!モーシュ様!見て下さいよ。すっごく邪魔じゃないです、この子」
「まあ…本当ねえ…」
モーシュは口端を上げて微笑むと手を水で洗い髪を撫でつける。隣の子が清潔布を渡して、スッと拭いた。
「中途半端に学資金だけあっても中古品は、いらないわよ。さっさとわきまえる事ね。行きましょう」
「「はーい」」
クスクスとした笑い声を聞きながら杏華は無言で真っ青な顔で震えた。乱れる呼吸が苦しい。両親が用意してくれた何時もは便利な車椅子が重く痛くて手洗い場の上で広がる生温かな液体。それが徐々に冷えた硬い床で冷たくなり身の体力を奪っていく。
震える手で首に下げていた携帯の簡易、突起を押すと杏華は辺りが暗転していくのを感じたのだった。
*
一階に常備している杏華の両親が学館に寄付した、かいほうクンが動き出し二階に向かう。それに気が付いた日替わりで待機してい教育者が何かあったのかと慌てて後に続く。昇降機で上がろうとすれば希代の天才とされる牛家の娘と、その取り巻きと出会し教育者は頭を下げた。昇降機を陣取って喋り始める少女達を置いてかいほうクンは、ひとりでに階段で上の階へと向かっていった。残された教育者は逆らえない幼い存在に、ごまをするばかりだった。
芯が一階からやってきた、かいほうクンに気が付いた。あれが自主的に動く時は杏華に何かがあった時だ。教室の扉をガバリと開けて慌てて追いかける芯。カネと芯と三人で会話していた智盛も立ち上がり追いかける。カネも向かった。
「…やられましたね」
かいほうクンが出した特殊呼吸薬を吸うと気絶したままだが杏華の息は穏やかになった。芯は顔を真っ青にして涙を目に溜めながら杏華を拭いて自分の運動服を着させて身を整えると掃除や連絡から戻ってきたカネが呟いた。
「…我も気付かなんだ」
智盛は教室の床に膝をつき椅子寝台に眠る杏華の手に触れて眉をひそめている。かいほうクンは熱を計り『落ちついてきました』と芯に説明した。
「今、お母さんが迎えに来る最中です。下の交代勤務の教育者とも話しましたが、どうやら朝の子達が来ていたようです。気配遮断、防音遮断の魔術をかけてなので完全に計画的でしょう」
「…あれは、何だ?何のために、こんな事をする」
「…そうですね。嫉妬や自意識の過剰反応でしょうか…人には、よくある価値観の違いを押し付ける過激な行為です」
「父上に牛家から恋愛結婚に向けての準備を、この学館でさせたいという、お話しを聞かされました」
「…牛家は確かに強引ですが、そういった面がありますね」
「僕は恋愛をしたくないので鼠家が良いと応えましたが牛家は龍神の子も欲しいようです」
「あー。まあ、そうでしょうね」
カネが頷いて智盛が片眉を上げた。
「断る」
「…それが、龍神と十三審に関しての取り決めでは一族につき一人選出されるので断れないんですよね。ただ時期は早いですが。子宝に恵まれるまで少なくとも、もう五、六年は欲しい所です。母体が持ちませんからね」




