3 共同生活
あれから時間が経った手洗い場の内側に付いている窓からは夜空に輝く光瞳が見える。眼下には蠢く人らしき者が見える。街の建物群に涼しさを求める緑の壁から先。落とされた買い物袋からは物が散乱し、その先では這いつくばった人の上に人が群がり身を動かしている。ゾッとする光景だ。
一応の確認で上階窓から下を眺め、その場で事情を察せなかった面々は事実として、それを認めるしか無かった。
銀色の頑丈な二重扉が閉まった所から少し離れて蹲る赤黒いズボンを履いた男が頭を抱えながら怯えている。声かけしても銀扉からは呻きと扉を必要以上に叩く音が聞こえ、それは外に見えたアレなのかもしれないと認識させた。
背の低い妹には眼下を敢えて見せなかったが兄にあたる少年は茫然とシャッターを見つめている。顔は青くシャッター先に在るはずの遊戯場の事を考えているのかもしれない。
筋肉質な青年は腕を組み立ったまま廊下の壁に背を預けている。眉をひそめ偶にシャッターの音にハッとした表情をしては唇を薄く開き何も言えず口を噤む。
眼鏡の青年は壁に背を預けて廊下に座り自分の携帯の中の情報を眺めて、そこから、この場とは違った喧騒の音が聞こえている。時折、耳に残りそうな鈍い音と悲鳴が聞こえた。
それに不愉快そうな瞳を向けるのは大きな猫目の可愛らしい女性。彼女は頑丈椅子に座り。その隣には、ぱっと見優男風な細身の女性が座り自分の携帯を使って何処かに電話をしているが繋がらないようだ。
回線が混雑している。その少し離れた位置で少年の妹にあたる少女は横になり吐息を立てている。身の上には少年の上着がかけられていた。
その直ぐ隣、横の地面に腰を下ろし背をソファーに預けた少女も電話をしているが繋がらないようだ。
そこから少し離れた位置で帽子を被った男性が壁に背を預けて辺りを静かに眺めている。
しばしの間、他人同士で、そんな時間が経過した。電話を切った少女が立ち上がると顔を上げる。
「…今の所、警報も鳴っていないですし火事で焼け死には無いみたいですね」
他の面々の視線が向いた。
「手洗い場は排泄が出来るし水も手に入るし…食糧は…」
少女は辺りを見回して荷物入の方に向かう。少女が色味の違うロッカーを触り板部分を持っている何かの鍵で梃子の原理で取り外すと内側に手動の回転鍵が見えた。回し開けると中にはキチキチに詰められた箱と毛布が存在していた。
箱の中から取りだした拡声器電波から声が鳴り響く。
『病に陥り街に溢れた人々が人を襲い、それにより時間経過後、病に感染したと思われる人が連鎖するように…』
何度も同じ内容を繰り返しては今の状況を説明している。ロッカーの鍵がかかった部分をおいて中を全て調べ出てきたのは被災時に配られる四十人分の食糧三日分。それとは別に大型の糖飴袋、毛布四十枚。救急箱、ラジオ、懐中電灯二つ、予備の電池、電機湯沸かし器具二つ、紙皿とコップ。
「手洗い場には新品の布が五枚、手洗い洗剤や掃除道具…非常用の消化器や工具類、後は開かないロッカー。その中の一つは私の荷物が入っています。愛犬の玩具や御飯です」
少女が呟いて猫目の女性が溜息を吐き細身の背の高い女性が片手を少し上げると言った。
「もう一つは、私達の荷物が入っています。中は生活雑貨やお茶類だったかな」
「閉まってる、もう一つは防犯機能が働いて自力で開けるには厳しいかな…一応、後で工具使って試してみるよ」
筋肉質な青年が短髪の髪をかきながら苦笑して言った。
*
現在、籠城する事になった手洗い場と廊下の空間で一通りの確認が終わると少女は発言した。
「それでは、自己紹介でもしませんか」
笑顔の少女に視線の合った少年はコクリと頷く。
「桃島杏華です。現在は十六で趣味は祖父の手伝いと愛犬のボーイと遊ぶ事です」
「へー犬飼ってんだ」
感心を示した眼鏡の青年が言い。
「オレ、ヒロって言うの。学館生か~良いね。懐かしい。あ、君らは同じ学館?」
「あ、はい…古来学だと思います。えっと…ボクは上ノ川雪です。妹は春十四と四歳です」
「親御さん頑張っちゃたんだねー」
眼鏡が笑う。雪はソファーに眠る妹を撫でながら苦笑した。
「あ、そうだアズちゃんとユッキー充電器良ければ貸すから言ってね。持ってるよんっ」
「はい、その際は有難くお願いしますね!」
杏華が嬉しそうに頷いた。
「こーいう軟派な男とは、あまり話をしない方が身のためだ」
帽子の男性が杏華の前に手を出して呟く。
「わーお」
「なんだ」
「いーえ」
眼鏡青年は肩を竦め笑いながら携帯を触る。
「まあ、いいじゃん。若い子と仲良くなる機会なんて、またと無いんだし?ねー」
杏華や雪に向けて顔を傾げる眼鏡青年。杏華は眉を一度上げ微笑み。雪は苦笑いを浮かべ頷いた。
「……私は鈴木現事四十六だ」
「あーはい」
筋肉質な青年が軽く手を上げて言う。
「俺は山口太陽二十六宜しくね」
「…えーと私は荒井で、この可愛い子は…」
細身の背の高い女性、荒井がソファーに座ったまま言い。それに寄り添うように座る猫目の女性が呟く。
「リサ…」
チラッと太陽が床に座って丸くなったまま動かない乾いて黒くなったズボンを履いたままの男に視線を向ける。男は顔を向けず蚊の鳴くような声で呟いた。
「俺は本田だ…」
それぞれの自己紹介が終わり杏華は見付けた荷物に視線を向けた。
「食糧の感じからして無闇な事をしなければ一ヶ月は籠城出来るとは思います。衛生面は手洗い場なので気を付ければ病気の問題も少なくなるのでは、と思います。毛布は私達の人数分以上ですので下に二重に敷いて上に被ってもお釣りがきますので、いざとなったら、ここから着替えを作るのも可能です」
「簡易な物だったらアタシとヒカルが作ってあげる」
リサが不機嫌そうに言って荒井ことヒカルが頷いた。
「…仕事の関係でね。私達、ちょっと得意なんだ。裁縫が」
「そうなんですね!助かります!軽く下着の交換が出来るだけでも日々、違ってくると思うので是非とも頼みたいです」
「じゃあ後で大きさ測るから」
リサが言い。杏華は大きく頷いた。
「はい!宜しくお願いします!」
リサは少し微笑みを見せた。
「……本気で暮らす気なのか?」
現事が呟くと杏華は頷いた。
「可能性を見越して早い段階で行動する方が良いと思うんです。出来るだけ負担を減らして、いざという時に動きたいですし」
「それは…」
「もしかしたらの話なので、また考えたい所ですが。うーん。外の壁は緑の壁でしたね」
「あ、そうだね」
ヒカルが頷く。
「あれって瓜科の植物なので早い段階なら苦めの野菜として時間が経てば中の種が果物として食べれます」
緑の壁とは自然との調和や夏へ向けて涼しさを求め本来の壁に網紐をつけて、そこに蔓の植物を植える街一丸となった計画だ。
「へー!よく知ってるね」
ヒカルが微笑む。
「じいちゃん家…あ、祖父の家の庭の壁に植えているのと同じなもので」
「いいよ、じいちゃんで」
ヒカルが笑う。
「んんっ」
杏華が照れるとリサも笑い雪も笑った。
「俺さー」
筋肉質の太陽が呟く。
「学館に通ってた頃、先生の事を、ねえちゃん!って偶に間違えてたなあ…」
「ちょ、上の段階の暴露っ」
眼鏡のヒロが笑う。
「ボクも幼少時の学館の頃にママって言ったこと、あります…」
少年、雪が少し照れながら言う。
「ははーん?暴露の時間?オレはねー昔、格好いいと思って自然ある街で積まれている竹筒使って山の水飲んだら人ん家の洗濯排水の場所で竹筒は野良動物の排泄場所場になってた所のモノだった思い出があるよん!」
「辛っ」
「そーなの、しかもそれ知ってた奴ら事が終わるまで見て終わってからネタ晴らしするんだぜー参っちゃうね」
「言わなきゃ洒落にならないヤツだよなそれって」
太陽が苦く言う。
「筒は自ら新調が妥当だったかもしれませんね…洗濯排水は普段は綺麗な流水だと思いますが時間によっては致死率高いものが流れていた可能性がありますし危険ですね。知っていたら止めないと不安です」
「だよね!?えー君らとオレ、友達でいたかったー!」
「野営は常に危険が伴います。仲間内で確りと意見が言い合えなければ次は我が身ですから」
杏華は真剣に頷く。
「なんか玄人感あるね?」
「ふふ…」
杏華が決め顔をしたのでヒロは嬉しそうに笑い。太陽がヒロの背中を叩く。
「まあ今からダチに、なろうぜヒロ!」
「いやん爽やか!」
「あと杏華ちゃんって、さっき野営英雄いたろ?あれって、お爺さんの頼みもの?」
「わ!そうなんです!太陽さんも?」
「そうそう。俺は釣りを休日にしたり緩い野営したりだけど」
太陽は、そこまで言うと今日買ったらしい釣竿と糸や針などを細長い鞄から出した。
「さっきから紙に包まれた背の高いのあると思ったら、それだったんだ」
ヒカルが興味深そうに言う。
「そう。ヒカルちゃんは釣りに興味ある?」
「んー私は食べる専門かなあ…あ、ちゃん付は恥ずかしいから呼び捨てしてほしいな」
「え、良いの?」
「ああ」
「ヒカルは魚料理好きなの?」
「好きだねーリサも好きだよね」
「そうね。新鮮なのが好きね」
「リサちゃんは、ちゃんで良い?」
「リサでも、ちゃんでも好きに呼べば良いわ。あ、雌猫は駄目よ」
「むっ誰、そんな明らかに怒りたいあだ名つけたやつ」
ヒカルが、ちょっと眉をひそめ言い。
「昔の彼女」
「「えっ」」
男性陣から戸惑いの声が上がりヒカルも驚いた表情をする。
「リ、リサ?」
「でもヒカルとは相棒の関係。私達、どっちも攻めだから根本的に違うのよ。仲は良いけどね」
リサがヒカルを真っ直ぐ見つめて言い。ヒカルは、『だからか!』と呟いて頷いた。
「愛の力で乗り越えられないかな?」
ヒカルが微笑み良い顔でソファーの背もたれに腕を乗せてリサに身を寄せ囁く。
「今の所は無理ね」
「フラれた…でも、そんなツンツンな君も可愛いよ」
満面の笑みでヒカルが言えばリサのパッチリ猫目が向いた。
「もー!ヒカルは直ぐ口説こうとする!」
頬を膨らませて怒るリサの頬をヒカルは嬉しそうに突いている。太陽は両手で顔を覆うと天井を仰いだ。哀愁が漂うそれにヒロは背中を優しく叩いたのだった。
*
黒帽子の男、現事が手をパンパンっと鳴らして会話を止めた。盛り上がっていた面々の顔が廊下に立った彼に向く。
「君達、君達。もっと話さなくてはならない事が、あるんじゃないかい?」
眼鏡のヒロは現事が喋り出すと携帯を弄りだした。何かを書き込んでいるようだ。
「ほらっ我々の、おしゃべりについて行けない者も居る事だし」
現事は、ニヤリと笑う。
「まあ君らは若いからね。現実を現実として受け止められない事は分かる」
廊下には現事以外の沈黙が流れている。
「うん、そうだ!こうしよう!」
何かを思い付いたように指をパチンと彼は鳴らした。
「一番の年長者は私だ。この場合は仕方ない。私が此処での生活の決まりを作ってあげよう」
杏華が背筋を伸ばして現事を見上げた。
「…決まりですか」
「そうだよアズカ君」
現事は手を広げ生き生きと語る。
ヒロは現事を見ている面々の後ろで携帯の写真を撮ると書き込みを再開した。写真を撮った事に気付いた一部と声を出して気付いていない現事。
彼は発表に忙しそうだ。
そして彼らの共同生活が始まった。




