11 死にぞこないコンプレックス
腹が減っているかと言えば微妙な所だ。歳を取りあまり食べなくなった。しかし美味しいものは食べたい。
親の後を継いだ家の事業を愚息に任せ日々街を廻っては時間を潰し我が儘な知人と交流し。気を使ってやっている。馬鹿な人間が多い中で自分程出来た者はいないと言うのに愚息は死んでくれと言う。
近くに住んでいる愚息を役立ててやろうとモノを用立てて頼むが暇な癖して嫌だと嫌だと断るものだから役立たずと怒鳴り散らせば普段は従う愚息が昨日は折れなかった。どうも、つまらない嫁の事を罵ったのが原因らしいが、良く分からない。事実を言っただけなのに親を罵るのだ、あの馬鹿は。
知恵の足りない物同士、許可も出していない間に婚姻して式にも呼ばない。後出しで急に出てきたかと思えば家を継がせろと言う。お前が継ごうが潰れるだけだと説明しても聞きやしない。挙げ句、死んでくれだと。産んでやった恩を仇で返して、とんだ罰当たりな愚息だ。
昔のように殴りつければ手を止められた。何時の間にか力で叶わなくなったらしい。全くもって不愉快だった。
朝から気分悪く車を出して街を廻り用も無いが、この店に来て時間を潰していれば火事の騒ぎだ。何て馬鹿らしい。
鬱陶しい煙に瞼を瞑り悪くなった肺に、新しい煙を入れる。新品の細い葉巻を吹かして避難せず頑丈椅子の上に座り時間を潰せば丸焼けする事無く、寧ろ外は屍ばかりで、もう龍の狭間にでも迷い込んだのかと思ったが違うらしい。死ぬ気は無かったが、この鬱憤とした気が晴れないなら、どうでも良かった。
しかし不味いものしか出ない風呂も無い。我が儘な者達だらけ。どうして、こんな目に合わなければならないのか。まさに悪夢という言葉が似合う。
自衛団でも十三審の派閥でも護兵でも、何でも良い。さっさと、この悪夢を覚ましてくれ。
溜息を吐いて細い葉巻に火を点ける。屋上の車に予備はあるが無くなれば自販機の安い煙草を吸うしか無いのだろう。不愉快だ。
溢れた煙を睨んで日が昇ってきた太陽を睨めつける。あんな愚息に継がせるぐらいなら、いっそ燃やしてしまおうか。いや、それとも。
葉巻を叩き灰を下に落とす。地上で蠢く化け物達に埋もれて消えていく灰。
「お前が死んでりゃ良いのに…」
苦々しく呟けば少し、この願いが叶っているような気がした。
*
幼い頃から根暗、糞虫と呼ばれ虐められた。育児放棄する賭博にハマる親の元でろくに飯が食べれず細く力も無くいたのと着替える服も無く何時も黄ばんだ服で風呂も入れずいたのが原因だ。
そんな状態でも成長し少し知識が付いて親の為に働けと金を催促するアイツから逃げ出して若いながら住み込みで働いたが身体が大きくなった頃、居場所を知られ金銭問題。最悪だった。
連日、会社に電話や寮に来ては金を要求する。周りに自衛団まで呼ばれて仕事は首切になり、それで逃げて転々と仕事をしては自由喫茶で寝泊まりして気付けば、龍渡りの日が過ぎて、ようやく住処を借りるにあたって逃げた事で知り合いが居ないので、ガラの悪い地域でしか借りれず。
掃除する者がいない止める者もいない此処は連日、深夜でも煩く響く喧騒が酷い。身ぐるみ剥がされてゴミ箱に捨てられる男や血だらけで泡を吐き出しながら歌う謎の人や薬でもキメているのか、ほぼ裸で空虚に向かって笑い続ける女が蔓延る治安の悪さ、ゲロだって水たまりのように毎日毎日飽きもせず競うように溢れてて下痢状の排泄物が住処の外壁に叩き付けたように張り付いていた事もあり常々、排泄物と下水道のような臭いの酷さが付きまとう、そんな全てを我慢して何とか暮らしていたのに。
またアイツは現れた。昼時、扉を激しく叩く音に室内での仕事を止めて出てみれば何処から調べたのか鼻息荒くアイツは言う。
「育ててやった恩を返せ!」
絶望で吐き気がした。頭の中の記憶と血液が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って沸騰する。もう駄目だと思った。一生こうやって付きまとわれるのだ。
――……終わりにしなければ…一生。一生。一生っ!コイツは蝕みにやってくる…!
家に入ったソイツを怒りで思うまま突き動かされた身体に従って包丁取り出して何度も何度も刺した。悲鳴と罵る言葉を聞きながら何度も、何度も。一部形が無くなるまで刺して刺して。急激に静かな事に気が付いた。耳奥には言葉が残っている。最期まで汚い言葉しか言わない親だった。
親だったソイツの怒りに歪んだ顔の中。虚ろな目が無機質に天井を見上げている。べっとりと汚れた床や服や身。吐き気がして、その場で吐いて吐いて。胃液がだらりと垂れても嗚咽は溢れた。涙が止まらなかった。
「…勝手に死んでくれよ…あんたの所為だ…あんたの所為で、めちゃくちゃだ…っ」
生臭い空気を肺で吸い込んで何度も嗚咽が漏れて、でも段々慣れて。ふと死体を、どうしようかと思った。
風呂に入って服を着がえ落ちている死体を一瞥して外に出た。死体を解体し掃除をするには道具が必要だ。死んだ後にも付きまとう親の執念に眉をひそめながら開拓広場に到着し物を吟味する。
どういった、やり方が良いのか。小さくするには道具が脂や骨でもたないと掲示板にあった。熱や液体、肥料。ここら辺が良いらしいが悩む所だ。
幾つかの候補を吟味していく内に、おそうじクンが目に止まった。このホームセンターには、幾つかのおそうじクンが売っている。死体は、どうかは分からないが、あのべっとりとした汚れを取ってくれるかもしれない。買うべきだろうか。分割すれば買えない事もない。おそうじクンなら、あの汚い住処で今後も役に立つだろうし悪くない気がした。
受付と購入契約書を記入している最中、けたたましい音が店内に鳴り響き火事という緊急事態になった。慌てて周りが逃げ出す中、ぽつんと椅子に座ったまま動けなくなった。もう何だか疲れて、これが良い気がした。
おそうじクンを見る。起動前の彼が、ぼんやりと顔を向けて沈黙している。目の前の契約書に記載されている数字や名前を、おそうじクンに入れると動き出し挨拶がされた。
『おはようございます。主さまの、お名前をお聞きしても宜しいですか』
「キト」
『キトさま』
「最初のお願いしても、いい?」
『もちろんですキトさま』
「このホームセンター火事らしいんだ。逃げて」
『はい。それではキトさま、こちらの道から行きましょう。安全性が高いと思われます』
「いや、君だけで」
『処理中、処理中。それではキトさまが危険にさらされます受理できません』
「……そう。じゃあ一緒にいてくれる?」
『はい。キトさまの、お側に』
死を待って起動したばかりの、おそうじクンを道連れにして過ごせば火災は鎮火され外は謎めいた屍ばかりで、何とも言えない焦燥感にかられた。家に帰れなければ死体を、どうやって掃除すれば良いのだ。そんな焦りで、ブツブツと呟けば、おそうじクンが言う。
『お任せ下さい主さま片付けてきます』
「…え?」
そう言って彼は止める間も無く窓から飛び下りて屍に飛び込んで埋もれて、また一人になってしまった。
「側に居るって…いや…はっ」
笑いが込み上げた。あんな大群に紛れて彼が壊れないわけがない。笑って何だか泣けて呆然としていれば生き残りという人間に声をかけられて今にいたる。
何もする気が起きない。なのに飯を食べて屍に飛び込みもせず生きている。恐ろしくて意地汚く生に執着しているのだ。
「はは…」
一睡もしていない疲れた脳に限界が来て店内に幾つもある柔らかいソファーの一つに横になった。
寝て起きたら自分もまた屍になっていたら楽なのにな。
*
姉が死んだ。とても優しく綺麗で美しい人だった。
離れた歳の姉は両親が死んでから祖母の家で暮らしながら母親代わりとして大切に自分を育ててくれた。そんな姉が嫁に出て幸せになってくれると思っていた。
しかし違った。
優しそうに見えた旦那は人でなしで毎日、毎日姉を殴りつけ打ち所が悪く殺したんだそうだ。腹に子供もいたのに。
姉は背中や尻や顔や、腹以外、全てが前とは全く別人になっていた。いたる所の皮膚はパンパンに膨れ青痣だらけの身体。顔も膨れ上がり、あの優しく美しい面影が分からなかった。その中で比較的綺麗な腹は奇妙で。失ってしまった二つの命に慟哭した。
アイツは街外の海に浮かぶ牢屋島で三年過ごしたら出てくる。
殺したい。無残に苦しめて残酷に殺してやりたい。
全ての爪を剥ぎ髪を引き抜いて歯もかち割ってアイツに自身の排泄を食わせてやりたい。自ら殺してと願い出るまで皮膚を剥ぎ血の滴る身を焼き心臓から離れた場所から骨を潰していくのだ。そして腐り苦しみ抜く姿を眺め嘲笑ってやる。
そうでなければ、そうでなければ。どうして姉が、幸せにならなければならない人が死ななくてはならなかったのか。
許せない、許せない。絶対に許さない。
龍渡りの日が過ぎて、アイツが出てきた。しかし被害者側に場所の情報は流れない。復讐をさせない為だ。
だから考えた。どうにか見付け捕まえる方法を。そして此処に辿り着いた。今、手に入れている地位は龍尾街中心地のホームセンターの支配人という肩書きだ。
この鳥の子会社である制御装置室の機能は優秀でホームセンターから地下も調べられるし上手く操れば関連会社の監視画像も観られる。
毎日、毎日出勤して、それだけでは足りず今や睡眠時間を削って営業時間外も此処に入り浸りアイツを探していた。母性型が隣で睡眠時間を取れと言う。
「姉さん。大丈夫。俺はこれぐらい平気だから…」
『平気では、ありません。あなたの体力は減るばかりです睡眠不足が筋肉量を減らし血液を固めています』
支配人は個人的に秘書を付けれると上から言われ細部に渡って姉とそっくりな母性型を注文をすれば、ほぼ姉の見た目の彼女がやってきて慕ってくれる。嬉しさから、姉さんと呼ぶが。まだ口調は姉さんでは無い。もう少し学んだら、もっと近付くとは思うが。
「えっ、ね、姉さん!?」
彼女が後ろから抱き付いてきて心臓が跳ねた。最新式の母性型は身も柔らかい。皮膚は少しひんやりとしているが上がった心拍数に固まり頬が朱くなる。そのまま、ふうっと耳に息を吹き込まれ身体に、ぞくぞくとしたものが駆け上がった。
如何すれば良いか分からず身の中心で膨れたモノに両手をかざし、ギュッと押さえ込み瞼を瞑る。
「だ、駄目だよ姉さん…俺に、そん、な……っ、ぁ、れ……?」
急激に眠気がやってきて彼女の膨らみに頭が埋まる。柔らかな心地に安堵して頭を撫でられると身を委ねた。彼女の声は姉さんの声を使っているから、まるで。
スゥっと消え行く視界の中で過去に戻れたような気がした。




