7 僕のお嬢様
正装を着た長身の男。襟足程度に長い草色の髪を後ろで結び薄緑の瞳で腕時計を見る。通路の頑丈椅子。手洗い前の知人を待つ空間で待って、それなりの時間。女性に手洗いまだですか?とは聞きにくい。が、前科がある彼の主の事を考えて携帯を開きメールした。
『お花は、どこまでお摘みに?お嬢様』
携帯が光る。電脳の方に返信があったようだ。
『メールしないで』
鼠が中指立てたスタンプと共に表示されている。なので電話をかけた。音楽が数秒鳴って切られる。困ったお嬢だ。
この空間から、どう自分の目を盗んで抜け出したのか。段々と逃走能力が上手くなってきている。
「親方や先輩に怒られるのに」
仕方ないと立ち上がり二階の迷子案内場に向かった。受付の笑顔が眩しいお姉さん方にお願いする。
「迷子になってしまいました。呼び出し宜しいでしょうか」
戸惑いつつも承諾してもらい店内放送をして受付のお姉さん達と談笑していれば真っ朱な顔をしたお嬢が走ってやって来た。両腕開いて笑顔で待ち構えれば飛びざ蹴り。元気なお嬢である。
「な、なにしてんの?学館の他の子に聞かれたかもじゃん!何してんの本当っ!」
「迷子になってしまいまして」
買い物を何処かでしていたらしい。蹴りで落ちた、お嬢の紙袋を拾いながら答える。
「そんなわけないじゃん!嘘じゃん!」
「はて」
しゃがんだまま、お嬢を見上げて言う。
「これを買いたくて一人になったんですか」
「えっあっ!ちがっ!ばか!」
紙袋を持ち上げると、お嬢は狼狽えて紙袋を取ろうとする。なので立ち上がり腕を天上に伸ばすと、お嬢は爪先伸ばして、ぴょんぴょん跳びはねる。
「鼠なのに可愛らしい兎のようですね。お嬢」
「兎なんかとっ一緒にっく!」
「にく?焼肉が食べたいんですか、お嬢。あいにく飲食店は地下のみですね。食品販売は地下一階からガイド案内チェックしますか?」
「この、ほんとっむかつくヤツね!どうして宝島さんじゃないの!あんたとなんて来たくなかったのに!」
「先輩は多忙なんです。お嬢のお守りは暇な僕のお仕事なんです」
「暇なら実家にでも帰って引きこもってなさいよ!出てくんな!」
地団駄を踏むお嬢に溜息を吐き。受付のお姉さんに笑顔で挨拶して歩き出す。歩けば、お嬢は付いてくる。
「それ!予約して限定発売した新作なの!触らないで!」
「可愛い下着を着たって先輩は抱いてくれやしませんよ」
「なっ!は?ばかっ!」
真っ朱な顔に涙を溜めて憤慨するお嬢。何かしら怒りの言葉を吐き出したが、段々と語尾が弱くなっていき最後には黙って歩き出した。
「ここのホームセンター、クレイジーだとか聞きますけど下着まで売ってるんですねーモールの方じゃないし何用かと思いましたよ」
地下一階にある荷物入につくと荷物を終い電子に情報を記入する。お嬢の方を見ればムスッとした顔をして食品販売店を眺めている。
「もしかして、モールと良い勝負してるんですかね商売の力の入れ所が僕にはよく分かんないです」
お嬢の頭を、ぽんぽんと撫でるとパンッと弾き飛ばされた。そのまま地下へ向かう。お嬢は付いてくる。
「…何処行くの」
「焼肉屋さんです」
「えっ臭い、あ、だからね…」
「お肉は食べると元気になりますからね」
「ふーん」
「情報を見ると中々、有名らしいですよ」
「ふぅん?」
「厚切り牛ターンの舌が美味しいらしいです」
「へぇ…」
「好きでしょ?」
「うん…」
よしよしと、もう一度頭を撫でると弾き飛ばされた。
「先輩に対してみたいにデレてくれたら良いのに」
「何言ってんの」
個室に入り店員さんが並べる目の前の、お肉を眺めながら呟けば聞こえたお嬢が半目で睨んでくる。
「まるで悪役令嬢みたいな顔してますね」
「は?何それ」
「知りません?創作物でよく出てくるのですよ」
「知らないわ」
「お嬢みたいに綺麗だけど可愛らしい人です」
「な!は?ばかっ急に何?気持ち悪い!」
「酷い言われようだ…お肉焼きますね」
目の前に並ぶお肉を腕捲りした手で鉄箸を掴み熱を発する焼き網の上へ置いていく。
「僕、最近ハマっちゃいまして」
肉がピチッパチッと脂の音を立てて焼けていく。
「あ、冷麺。ありがとう」
店員さんが白ご飯大盛りと冷麺を置く。冷麺をお嬢の前に箸と置けば『いただきます』と言って、おずおずと食べ始める。
「…何にハマったのよ」
お嬢の口に入る冷麺を眺めながら言う。
「令嬢と執事や従者の恋とか令嬢と騎士との恋とかの創作物に」
「ふーん?」
「これが意外と官能的なのが多くてですね」
お嬢が口を押さえて咽せる。
「止めてよね!そういう話し!恥ずかしい」
「…恥ずかしい。そうですか」
ニコニコしながら頷いて肉を小皿に置き塩とレモン汁を絞って、お嬢の前に置く。お嬢は目の前のお肉に、ちょっと嬉しそうな顔をして厚いお肉を口に入れて、これまた嬉しそうな顔で食べていく。
「はあ…可愛らしい…」
「なんか言った?」
思わず呟けば食べるのに夢中で聞こえなかったらしい。
「…今日は急用が入った先輩と愛友の予定で?」
お嬢の顔が朱く染まり睨まれる。
「な、に、べ、別に…た、宝島さんとは…」
「付き合ってないのは百も承知ですが」
「…なによ」
「十三審か龍神の血族以外とは、お付き合い禁止ですもんね」
「……いいじゃん…別に夢見るぐらい、いいじゃんか!何よ!ちょっと良い奴とか思えば直ぐにいじめて!嫌な奴!」
「下着売場、一緒に行って意識させる気だったんですか?」
お嬢の目が泳ぐ。
「……別に」
「羨ましい…」
「は?」
肉を新しい小皿に置いて塩とレモン汁をかけてお嬢の前の空の皿と交換する。
「僕、暇なんでお嬢が何処の十三審の坊ちゃんとお付き合いしようが護衛しますね」
「え、やだ…」
「じゃあ先輩に頼みますか?」
青ざめると、お嬢は顔を横に振った。
「…もっと、やだ」
「なら、僕で妥協するしかないですね」
「…うう」
涙目でお肉を食べて冷麺を啜るお嬢。
「食後はソフト餡蜜食べますか。お嬢」
「うん…食べる…」
「ふふ」
自分も、さっさと肉と白飯を食べると柔氷菓子餡蜜を注文した。
*
「僕は幸福者です」
「どういうこと!?」
焼肉屋の後に一緒に覗いていた箱車側の布屋の布でお嬢を僕の前に縛って抱っこすれば大人版、赤ちゃん布の出来上がり。
うっとりと眺めてしまう。
お嬢は真っ青な顔をして目を白黒させていて気付いてないようだけど乳房が当たって気持ちいし腰やお尻を掴んでも許されるし寧ろ、お嬢から僕を抱き締めている。震える身体でギュッと。どきどきするね。
「お耳に着けますね」
「えっん…っ」
持っている魔法道具の銃は、ほぼ無音なので銃声の為では無くバケモノの呻き声や肉音の為に、お嬢の耳穴に普段から常備している予備のゴム栓を入れると恥ずかしそうに瞼を瞑った。感じている顔の、キス待ちにしか見えない。勃起しそう。
しかも今は男トイレの個室内である。興奮場面も煩悩の名場面にうってつけだ。事が事じゃ無ければ、挑みたい。
しかし皮肉な事に今、正にの緊急事態じゃなきゃならなかった場面でもある。一生に一度の奇跡。噛みしめたいが、そんな暇も無い。
運命は残酷で地下を行き来する箱車から現れたバケモノに人が襲われ。始めて見た瞬間に買ったばかりの布を持ってお嬢を横抱きにして走ったけれど、前もまた人混みの嵐。生きてはいても上で何かあったのか気が立っている。方向を変えて狭い方の道を行き勝手に従業員用の裏手に入って数は減ったが、またもや出会す人が人で無い姿。
「本当に、アンデット…?嘘でしょ…」
お嬢が思わずといった風に呟いた。屍呪者とは確か迷宮深くで出会す魔物のはず。その魔物の場合、頭を潰すと動かなくなった筈だ。
腰に隠していた魔法道具型の銃で、目の前で人を食っていたバケモノの頭を撃ち抜く。ついでに呻いている死にかけの人間の頭も。助からないし苦しんでバケモノになるよりマシだろう。
そのまま走り、一度考えをまとめたいし両手を使ってお嬢を護りたかったので手洗いの個室に入って鍵をかけ今に至る。
混乱しているお嬢は驚く程、素直に布に縛られて最高に可愛らしい。煩悩と本能が襲いかかってくるが冷静に冷静に。先ずは情報を調べなければならない。
調べた結果、上の階のホームセンターで火事が起こり鎮火し今は煙が凄いとの事。一部の箱車内にバケモノが現れたの事。それは龍尾街各地で起こっているとの事。
なるほど。此処は死の狭間らしい。どうにか生き残らなければ。生き残れば、お嬢にキスの一つぐらい強請れるかもしれない。耳栓で聞こえにくいと思うので、お嬢の耳元で話す。
「…お嬢、今、街中はアンデットだらけらしいです」
「…そ、そんな…」
「僕の予想ですが先程の大人数がバケモノになって終う前に地下から地上に出た方が、まだ生き残れる気がするんですよね」
「…そうなの…?」
「そうなんです」
「……じゃあ地上に行く…」
「ですので、お嬢、生き残る為に、お願いがあります」
「な、に…?」
「此処から抜け出せたらキスして下さい」
人生で、これでもかと真剣な顔をして、お嬢に言った。
「は?」
「もちろん、お嬢からディープなやつを…」
「なに言ってんの!?ばかじゃないの!?」
舌口付を要求していれば外で呻き声が聞こえた。ソッとお嬢の口を手で塞ぐ。危険を察知した、お嬢が涙目になった。足音が近付いてくる。
コツ…ズリ…コツ…ズリ…。
どうやら足を怪我しているようだ。何となく僕とお嬢の会話の音で近くに来たと伺えた。魔法道具型の銃は、こういう時に便利だ。念じるだけで空間内にいれば音無しで当てれるのだから。念じて無理な軌道をした分、魔力は減るけれど。
ドスンと音がして手洗い場の扉を開ける。手洗い場、奥側に後頭部から穴を開けて倒れている死体が一つ。掃除道具入れからモップを頂戴して手洗い場から、お嬢を布紐抱っこしたまま進む。情報通りなら従業員用の通路に手動の非常口がある筈だ。
薄暗い。客層の方と違って電気の明るさの室が違う。ぼんやり光る地下の道といった感じだ。迷宮も、こんな感じなのかもしれない。慎重に進み向かう。
一匹程度なら毛箒で止めて銃で撃てば簡単に止められるが数が増えてくると、難しくなるだろう。何とか手動の扉に辿り着いて回転操作を回して開ける。開けた中には誰もいなかったが後ろから三匹やってきて苦戦した。二匹倒した所で、また増えて扉を閉めれず上の階に駆け上がる。階段だとバケモノは早く上れず距離は、随分と稼げた。
新しい扉。一度固まっている、お嬢を抱き締めて頭の匂いを嗅ぐ。爽やかな花の香りと甘い汗の匂いがした。たまらない。
「へ、変態っ」
罵られて元気が出たので、モップを前に扉の背に入って開く。二匹程、倒れてきて階段に転がって落ちていった。耳をすませエチケットの鏡で確認して外に出る。出れば食品販売店が並び生きている人とバケモノが混合でいた。次の扉は、その騒動を抜けて細道を通った先だ。
「行きますっ」
向かってくるバケモノの頭を撃ち抜いて走る走る走る。
細身に入る手前で数十匹のバケモノが原型の無い何かを喰らっている最中だった。そのまま止まらず細道へ。数匹気が付いて向かって来るので細道の前の店の棚を壊して斜めにさせた。音で顔を上げる数匹がいたが気にせず奥へ向かう。奥にも二匹いたので撃ち抜く。それを足裏で踏みつぶして手動のハンドルを回す。
お嬢が僕の頬に触れた。
「……汗すごい」
片手で汗をぬぐい前髪を上げ。片手の指先で唇に触れてくる。キスしたい。
「息も荒いわ…」
「…走りましたから」
手動扉を開けながら耳元で答えるが汗や息の荒さは銃の所為だ。魔力を媒介に弾を作るので入れかえは不要で便利だ。が、その分、生命力を精霊によって等価交換され魔力になり魔術に生まれ変わる。なので腹が一気に減って、その後は体力が奪われていく。音がしないし軌道は操れるし少ない撃ち数なら最高に便利だが長期化すると燃費の悪い銃に変わるのだ。
先に食事をすませといて本当に良かった。
「…下ろして自分で走る」
「駄目ですって」
何とか開けた扉から階段を上り手を伸ばしてきたバケモノの頭をモップで押し込んで扉に挟んで頭を潰す。そのまま扉を閉めたかったが。細道に詰め詰めで先程のバケモノが、ワラワラと続いていて仕方なく上へ。地上への最期の扉を急いで開けば煙が、ブワッと通路へ入り込んだ。中に、どれだけ居るかわからない。視界が悪いが行くしか無い。モップを持って霧の中を進む。扉を閉めようかと思ったが視界の悪い中丁寧にやっていたら危険は高い。諦めて注意しながら進む。出入口の方に進めば出入口前で四つん這いになり、ビクビクと痙攣している人を食っている最中の集団に出会した。横に曲がり逃げる。数匹が気がつき付いてくる。店内側へ向かう従業員用通路から抜け出して何かに当たる。不味いと思いサッとお嬢を抱き締めて庇えば、それは、おそうじクンだった。
『お疲れ様です』
「おつかれ!失礼!」
おそうじクンの頭に足裏を乗せて跳び跨ぎ、扉前に、そのまま置いて塞がして前へ向かう。どうもホームセンターの空間広場のようだ。前側に何かの影が。覚悟して銃を握るが、よく見れば生きている人が防具とバットを持っている。咄嗟に一般人相手に会った時の癖で銃を腰に隠して、モップだけにし距離を取って走り抜けた。
どうも少年が言うには二階が安全風な感じらしい。おそうじクンにも手伝ってもらい防壁を跨ぎ二階へ向かう。出来るだけ上った先で別の少年が螺線の道縁に立ち飛び下りる。
「何して…飛んだっ!?」
思わず固まって下を覗けば戦闘が始まった。どういう身体能力をしているのか分からない。
しかし。なんだか目玉の外れた人形を眺めて、その場に腰を下ろし天上を仰ぐ。モップは防壁の辺りで捨てた。疲れた。
「もう、おりる…っ、ぅ…ばかぁ…」
お嬢が泣きながら僕の胸に顔を埋めて、罵るので抱き締めて、もう一度お嬢の香りを吸うと、変態だと回した腕で背中を叩かれた。
可愛い。僕のお嬢様。
貴女が生きてて本当に良かった。




