プロローグ:シルバー・ブレット
ハードボイルドに嵌まって二、三年前に書いたものです。
天使が探偵という何とも不似合いな設定です。
更に宗教を愚弄するような言葉も出てくるので理解した人だけ読んで下さい。
ここイギリスの首都ロンドン、昼は観光客などで賑わっているが夜のロンドンは犯罪者などが蔓延るヨーロッパの暗黒街。
そんな危険な街で私以外は誰も居ない静かなクラシックバーでモーツアルトの鎮魂歌を聞きながらバーテンが入れたブラッディ・マリーを飲んでいた。
ブラッディ・マリー------トマト・ジュースが血を連想させる真紅の色から、16世紀にイングランドでプロテスタント(新興宗教)を次々と殺したため「血まみれのメアリー」(ブラッディ・メアリー)と恐れられた女王、メアリー・チューダー(メアリー1世)が名前のモデルとされている。
半分になったブラッディ・マリーを牛革のコースターの上に置いて左手に嵌めた腕時計に視線を向ける。
時刻は午前零時。
ちょうど彼と待ち合わせの時間になった。
腕時計から目を離すのを合図にしたようにタイミング良くドアを開けて中に入って来た男がいた。
腰まで伸びた黒髪を一本に纏め髪と同じ黒一色の服に身を包み黒のソフト帽と黒のトレンチコートが眼に入ったが何より目立つのは右の黒い眼帯が視線を引いた。
眼隊を付けている事もあり一目で堅気ではないと解るが、その他にも身体から放たれる張り詰められた気と硝煙とオイルの臭いでも堅気ではないと解る。
・・・・・彼だ。
彼は椅子に座っていた私を一瞥するとバーテンの前に座りウィスキーをベースにしたマンハッタンを頼んだ。
それから懐からセブンスターを取り出してジッポライターで火を点けた。
その仕草を私は瞬きもせずに見入った。
コートの外からでも分かる鍛え抜かれた筋肉の身体。
出されたグラスを受け取る手は手袋で隠れていたが隙間から見える生傷に戦慄さえ覚えてしまう。
しかし、戦慄と同時に心が躍るのだ。
こんな男とこれから私は仕事をするのだという事にどうしようもないスリルを感じてしまう。
私は彼の隣に席を移動すると小さく囁いた。
「久し振りね。飛天」
男、飛天は眉ひとつ動かさずに低い声で私の名前を呼んだ。
「・・・・久し振りだな。ガブリエル」
彼に名前を呼ばれただけで心がウキウキしてきた。
「・・・・・何か用か?」
感情の無い声で私に質問してくる飛天。
「相変わらず愛想の無い男ね」
私が苦笑しても彼は無表情だった。
「・・・・要件が無いなら帰るぞ」
頼んだ酒に手も出さずに席を立とうとする彼を私は内心では少し焦ったが表情には出さずに止めた。
大変な事を忘れていた。
今日は、六月四日・・・・・・・飛天にとっては忘れたくても忘れられない出来事が起きた日だった。
そんな日に会う約束をした自分の軽薄さを呪った。
だが、そんな表情は微塵も出さずに私は
「そんなに急かさないで」
と言ってグラスの酒を飲むとバーテンダーに新しいカクテルを頼んだ。
バーテンは直ぐに準備に取り掛かって数分後に出されたカクテルを見て彼は少し表情を歪めた。
「・・・・シルバー・ブレッド。仕事か」
在りとあらゆる化物を殺す事が出来る銀の弾丸から名を取ったカクテル。
私と彼だけにある秘密の暗号。
「・・・・・・・・・・」
彼は無言で席に戻ると出されたマンハッタンには手も付けずシルバー・ブレットに手を出した。
「・・・・依頼内容は?」
静かに聞く声は私を芯から根こそぎ骨抜きにするような声だった。
「ちょっとした町の“ゴミ掃除”よ」
嬉しくて堪らないのを必死に抑えて私は囁いた。
「・・・・分かった」
飛天はシルバー・ブレットを一気に飲むと席を立った。
「場所と時間は後で連絡してくれ」
要件を言うと飛天は金を払い出て行ってしまった。
私は懐からセーラムを取り出して火を点けると飛天の頼んだマンハッタンを飲んでから店を後にした。
虫も眠るとされる深夜2時。
誰も居ない雨の降る夜のロンドンを屋根伝いに動く獣を私は静かに狙いを定めると銃の引き金を引いた。
ドォン!!
大きな音が街中に響いて獣が屋根から落ちた。
しかし、空中で体勢を整えると見事に地面に着地して私を黄色の瞳で睨んで来た。
「・・・・くそ、天使風情が・・・・・・」
「その汚い口を閉じてくれない?息が詰まるんだけど」
私は余裕の態度で獣に言った。
獣の身体からは青白い液体が無数に出ていた。
私が撃った銀の弾丸の効力で血が止まらないのだ。
「・・・・・・・・」
獣は私に飛び掛かって来た。
しかし、私は余裕の表情で銃を仕舞うと瞳を閉じて
「後は頼んだわ。・・・・・飛天」
獣の爪が私の額に一歩という所で獣の動きが止まって額から血しぶきを上げて倒れた。
「・・・・良い腕ね」
私は後方でライフルを構えている飛天に微笑んだ。
「・・・・・・・・・」
飛天は何も言わずにライフルを仕舞うと姿を消した。
後に残った私はセーラムに火を点けて少し留まっていたが煙を吐いて血を噴き出して倒れた獣を見つめた。
皆が起きる朝方の頃には灰になって消える事だろう。
異形の者の末路など碌なものじゃない。
それは天使である私も同じ事でもあり悪魔である飛天も変わらない。
私は皮肉気に笑ってその場を立ち去った。
その夜は6月4日という余りおめでたい日ではなかった。