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1.音、恋、空 6


翌日。まだ侯爵家は誰も目覚めていない時間にオリビエは音楽堂へと入っていった。

楽器の乾燥を防ぐために換気をし、南に面したガラス戸をすべて開く。朝の空気が室内に染み渡り、オリビエはゆっくり息を吸う。

少し重いまぶたを擦り、ぼんやりと朝日の差す窓辺に立つ。色の変わっていく空と明るさを増す庭をしばらく眺めた。


オリビエが今日の茶会のための譜面を再確認しているところに、メイドが二人準備だといって入ってきた。

いつもなら、と思い出す少女がいるはずもなく。けれどアネリアと同じ服を着るメイドたちにどうしても思い出さずにはいられない。

オリビエは胸のうちに湧き出す音を抑えきれなくなっていた。

昨夜、何度も弾き散らした。それでもまだ、同じ音が胸に残る。

二人のメイドがテーブルと椅子とを綺麗に磨き、花台に派手な薔薇を生けている間、オリビエは静かにチェンバロの調律をしていた。

弦を締め、緩め、青年の指が微細な響きを捉え音を変えていく。出来上がる一音は澄み切っている。それがまたオリビエの胸に昨夜の曲を思い出させた。

調律を終えると同時に指が奏で始めた。


アネリア。

花のように笑う少女だった。

黒い髪がしっとりと大人びて見せた。

瞳の青に空を見ながら、何時もそばにいたいと願った。

白い手は小さく、いつも荒れていて。それが愛おしかった。

オリビエの手は綺麗ね、好きよ、そういって青年の手を頬に摺り寄せた。


二度と、会えない。

僕だけが、のうのうと好きな音楽を続けている。



カタン。

床に落ちた小さな音にオリビエの指が止まる。


我に返ると、メイドの一人が慌てて倒れたモップを拾った。

「も、申し訳ありません」

慌ててわびつつ、オリビエより少し年上と思われるメイドは目元をぬぐった。

気付けばもう一人も、小さく鼻をすすった。

「あの、どうぞ、私たちは終わりましたので失礼いたします」

「あ、あの」

「アネリアは」とたずねかけて、聞いてどうするのかと自問し、オリビエは挙げた手を下ろした。

「いや、なんでもない」

二人が深々と礼をし、退室するのを音で感じながらオリビエはぼんやりとチェンバロの前に座っていた。

立てた反響板には澄み切った空。

蒼い空に白い雲。そこにはそれ以外何も描かなかった。通常はこの反響板の絵も茶会を彩るものなので花や美しい動物や風景が描かれる。だが、オリビエはごてごてしたものは嫌いだった。

侯爵が随分シンプルだなと笑い、同じく侯爵のお抱えの画家が「鳥でも描きましょうか」と申し出たが、オリビエは「鳥はいつまでも同じ空を飛んでいられないから、このままでいいんだよ」と応えた。画家は何か感じるところがあるのか黙って、強く頷いた。

自由な空に、憧れていた。



「君は」

もう一人、聴いていた人間がいたことには気付かなかった。

慌てて立ち上がると、楽器の向こうに男が一人立っていた。テラスから入ってきたのだろう。

栗色の髪を一つに束ね、背の中ほどまでにたらしている。黒いビロードのリボンで縛られた髪、シルクのシャツに同色のチーフを蝶々結びに縛っている。それは首都では上流貴族の間で流行しているのだといつか侯爵夫人が言っていた。上着の襟に施された金の刺繍。紺色のベスト。貴族だ。

三十代後半。彫りの深い印象的な顔の男だ。

「どの楽士に指導を受けたのかね」

「はい、私は指導というようなものは一度も。師と扇ぐとすれば、亡き父だけです」

男は組んでいた腕を解いて、オリビエの傍らに立った。あまりにもそばによるので、並んで背を比べるのかと思うほどだ。

思わず一歩下がる青年にくすくすと笑みをこぼした。



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