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7.疑惑、教会、オルガンの音色4


翌朝、いつものように出勤してきたシューレンさんがあきれた声を出したのは言うまでもなかった。

オリビエもズレンも結局リビングで寝込んでいて、二人してシューレンさんに「悪戯ボウズ」扱いされた。

「男爵が昨夜訪ねてこられたんだ」

そうオリビエが言ったものの、そのときには男爵の姿はなく夢でも見たんでしょうとシューレン夫人に笑われた。男爵はいつのまにか帰ったようだった。

男爵の行動に憮然としていたズレンも、シューレンさんの朝食を口にする頃には大人しくなっていた。実際彼女の食事は黙らせるほど美味しかった。その朝のオムレツにかかったソース、「これは兎の煮込みに添えると美味いだろう」とズレンが言い出し、オリビエは鳥にかけたら美味しかったと反論した。オリビエは兎肉を好まなかった。

「オリビエのことだからな。どうせ、兎は見てくれがかわいいから食べれないんだろ?」

「ち、違う、味が苦手なんだ」

「あれは内臓が特に美味しいんだぞ、鳴かない動物でもな、絞めるときには鳴くんだそうだ」

兎の断末魔を想像してオリビエの手が止まる。

「止めろよ、食事中に。生き物の死を楽しむような言動は良くない」

「ほらやっぱり、可哀想なんだろ?優しいお坊ちゃまだよ」

「ジー!」

祖父が司祭であったこともあり、オリビエは教会の教えを幼い頃から躾けられていた。

「ダンヤさん、って言いましたね。もし、お一人でお住まいなら、こちらでオリビエ様と一緒に住まわれてはどうでしょう?」

二人を眺めていたシューレン夫人が唐突にそんな提案をした。

オリビエもズレンも顔を見合わせたが、お互い侯爵の許可が必要だと思い至ったらしく黙りこんだ。

「お二人を見て、にぎやかでいいと思ったものですから。お気になさらずに」と夫人が話しを終わりにしたので、先ほどまでの兎と鶏のどちらが美味しいかの議論を再会した。

兎を食べるのはやはり納得がいかないままだったが、オリビエはシューレン夫人の思いつきが胸に残っていた。

ただ、自分から侯爵に提案するのは気が進まなかった。



それが実現することになったのは翌朝のことだった。

何がどう決められたのか分からなかったが、朝の迎えと同時にズレンの荷物が運び込まれたことでその事実を知った。

「侯爵様には許可をいただいたんだ」

そう笑うズレンに、シューレン夫人も乗り気で、夕刻二人が帰宅するまでにズレンの部屋をしつらえることを約束した。



オリビエの寝室の隣の空き部屋にしっかり柔らかいベッドが用意されている。殺風景だったそこは多少の衣服と本が入り、ランプが灯れば寝室と変わって住人を迎えた。上等な絹のカバーをかけたズレンのベッドに横になりながらオリビエは天井を眺めた。

「随分、早いね」

「丁度、ファリからの伝令が来ていたから。なんだよ、俺がいるのは嫌か?」

そういうわけではなかったが、嫌に早い決断と行動に不思議な気がしたのだ。

それとも、ズレンをそばに付けておかなければいけないほど治安が悪化しているというのだろうか。オリビエの侯爵家までの道のりは市街を通らない。寄り道もしないので最近のこのエスファンテの様子はまったく分からなかった。

子どもの頃に通った学校のある界隈、町の中心部で市役所や裁判所のあるあの辺り。そういえば、ファリに同行したルグラン市長ともあれ以来会っていない。

「いや、ただ。なんていうか、不思議だ。誰かとずっと一緒にいるって感覚が。慣れてなくて」

「孤独を愛する楽士どのには、申し訳ないけどね」

「……僕だけじゃなくて、アンナ夫人の身辺警護もしているんだろ?」

「もちろん。侯爵家の方々には常に従者がつき従うからね。アンナ夫人だって一人で出かけたりはしない。孤独を愛するのはお前くらいさ」

「愛するわけじゃないさ」

アンナ夫人の行動を想像する。オリビエの正体を暴くだのと息巻いていたけれど、その探偵ごっこはどこまで進んでいるのか。当分彼女を夢中にさせておいてくれれば煩くなくていいのかもしれない。

「なぁ、ズレン。キシュ、あの日から来ないね」

実のところ、それが一番気になっていた。

あの酒場の近くで別れたきり。あの時、オリビエにとって思い出したくない人々との再会で少女のご機嫌を気にする余裕などなかった。様子からすれば、あの酒場がキシュの家なのだ。そこに、彼らも入り浸っている。


「ジーでいいって言ったろ」

「ジーは。キシュのこと、本当になんとも思っていないのか?ズレンがそうでもあの子は違うんじゃないか?」

寝転んだ頭上に手を伸ばせば、手に当たる絹がひやりと心地よい。

かすかに胸の奥にあるものを冷やしてくれるようでオリビエは背にした布団をなでる。

「それを聞いてどうするんだ」

「!……どうって」

「お前はどう思っているって聞いている」

寝転ぶ隣にズレンが座った。肩越しに見えるズレンの視線はどこか遠い。

「あ、ええと。面白い子だと思うよ。野良猫みたいだ。奔放で、自由で、生意気。僕とは正反対だな。でも、芯は優しいよね。悪戯っぽく挑発したりするけど、乗ってやらないんだ。近寄ったら引っかかれそうだしね」

「ふん。愛しているとか言われたらどうしようかと思った」

「え?まさか、それはないよ」

あれ以来、誰かを愛する資格が自分にあるのかどうか疑問が残る。僕には音楽があり、そのためにアネリアを不幸にした。キシュにも近づきすぎれば、同じことを繰り返すだろう。

それに、彼女は目の前の精悍な衛兵に恋をしている。多分。

「じゃあ、別にいいな。キシュには二度とここに来るなと言ってある」

「え?」




オリビエは慌てて起き上がった。

目の前に立つ青年衛兵は腰につけた銃をそっとテーブルに置いたところだった。

「なんだ?今、なんて?」

キシュになにを?

「オリビエ、シューレン夫人と話をした結果だ。俺も反対だから。お前がキシュと親しくするのは。少なくとも、今のこの時期は良くない」

横顔は真剣だ。

「どういう、ことだよ。シューレン夫人の言っている噂とか、それ、本気にしているわけじゃないんだろ?キシュの家が革命家たちの集会場になっているとか、そんな」

「シューレン夫人から聞いたわけじゃないさ。俺は、仕事上事実として知っていたんだ。だから、先日もお前を護衛して行っただろう?」


会えなく、なるのか?


キシュとは確かに生活は違う。けれど、少女の歌声や自由な感覚がオリビエには眩しかった。見たことのない景色を思わせてくれるような、空色の瞳。悪戯っぽく胸元を強調してみせる。向きになったり、オリビエを犬呼ばわりして自由な自分をひけらかしたりする、そんな子どもっぽいところも。

すべて、楽しかった。


幼い頃、母に黙ってベッドにお菓子を持ち込んで、布団にもぐりこんで食べたときのような。お父さんが大事にしている楽譜をそっと盗み読むときのような。それを弾いてみたくて、布団の中で指をたたき覚えたあの時。

秘密で覚えたそれを父親の前で弾いて見せたときの、驚いた顔。呆れながら、それでもえらいぞと褒めてくれた父さん。


そんな、しばらく忘れていたものを思い出させてくれた。

紅色のコートが、よく似合う。艶やかな頬。


「お前には悪いけど、ま、我慢してくれ」

「……キシュには、歌って欲しいんだ。わかるだろ?困るよ」

「お前の気持ちも分かる、魅力的な娘に育った」

「そういうのじゃない。別に、そういわけじゃないけど!」

「侯爵様に知られたら、まずいだろう?」

「!」

「アネリアの件が、やっと収まったところじゃないか」

ズレンは穏やかに笑っていた。

アネリアのあの事件も、何もかも知っているのだろう。

侯爵様に知られれば、当然キシュとは引き離される。だから、キシュとは友達でいたいのだ。それ以上は望めない。


「キシュは、ただの友達だ」

「だろ?だったらいいじゃないか」

「だけど!!」

「オリビエ!」

部屋を飛び出しかけたオリビエを、しっかり捕まえてズレンは再び部屋の奥へと引っ張っていく。

抵抗してもみ合ったものの、現役の衛兵には叶わない。


「落ち着けよ。いいか、お前には何も知らせずにいろと、侯爵様から命じられている。それほどあの人はお前のことを心配しているんだ。それでもこの間街の情勢は話しただろう?キシュの家のことも、話さなきゃお前が納得しないと思ったからだ。これはすべてお前のことを思ってしていることだ。俺たちのことを信じろ!お前のためなんだ」

睨みつけオリビエは腕を振り払った。

再びベッドに座らされた目の前に立つズレンに、立ち上がろうとしてもすぐに肩を押され座り込む。数回、そんな応酬の後、オリビエはズレンの胸倉をつかんだ。

「結局は侯爵の命令が一番なんだな。一緒に夕食を食べて音楽を奏でた、あれのどこが悪いんだ?!それとも、ズレンもシューレンさんと同じことを言うのか?侯爵に雇われているから侯爵は絶対で、だから、僕が何をどう感じようと関係ないって言うのか?毎晩楽しかったあれも、全部侯爵の命令だからなのか?」

数瞬、間があった。

ズレンだって楽しかったはずだ。三人で囲む食卓はにぎやかで、いつも誰か笑っていた。

あれを曖昧な理由で止めなければならないのは納得が出来ない。

友達と語らう、音楽を楽しむ。それのどこが悪いと言うのか。

ただ侯爵への使命感だけなら、そんなもの捨てて欲しい。


「当然だろう」

荒く突き飛ばされた。

ベッドに座り込み、オリビエはズレンを睨みつける。

「俺は金で雇われて侯爵に仕えている。そのためにお前のそばにいるし、キシュとお前を二人きりにさせないために毎晩夕食に付き合ったまでだ。オリビエ坊ちゃまはなんだと思ったんだ?」

若い衛兵は鋭い視線を崩さずにオリビエの前に立ちふさがるように仁王立ちしている。真っ直ぐな視線。オリビエは睨みきれずに数回瞬きをした。

「この時代に。忠誠だの、友情だの。おかしくてね。俺の両親は貧しい中、ロントーニ男爵の工場で働き、体を壊して死んだ。親のいない俺が学校でどれほど苦労してきたか。卒業しても結局は家柄で待遇が違うんだ。でなきゃ、こんな田舎の衛兵などで甘んじていないさ。生きていくために皆、必死に働き、意に沿わないことも苦い思いも飲み込んでいる。同じような境遇のくせに、少しばかり音楽の才能があるからと何の不自由もなく生活するお前に何が分かる。こんな綺麗な世界で、温室の薔薇のように育てられ、自由がないとぼやくバカにどんな友情を感じろというのだ?金のためにここにいる。当然だろう!それでもよくシューレン夫人は我慢して世話していると思うよ。なあ、オリビエ様。もともとここに滞在する件は、キシュの存在を知った日からファリに手紙を送ってあった。侯爵の許可が下りたのが昨日。貴方は何も知らず、ただ勤めである音楽を奏でていればいい」


優しく親切にしてくれる人ほど、信用できないのだと。

ズレンは忠告した。

オリビエは唇をかむ。


「貴方の幼い恋愛になど、興味はありません。私は任務を遂行するだけです」

出会った当初と同じ。固い口調のズレンは表情のない顔で言い放つとオリビエの手を引いて起き上がらせた。

「さ、夕食にしましょう」


その夜。リビングにはいつまでも切なげなチェンバロの音が響いていた。




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