7.疑惑、教会、オルガンの音色
1
広場まで戻ったところでズレンがオリビエに問いかけた。
「オリビエ、あいつらと何かあったのか?」
オリビエは黙ったまま、足を速める。
「あいつらは、確か、教会の下働きの連中だろ」
「…セイリア、死んだのか」
オリビエの問いに今度はズレンが黙る。
ほら、話したくないだろう。オリビエが見上げる表情はそう語る。
「そうだ。彼女とは恋人同士だった。だが、肺の病気と知っていて、彼女は俺を遠ざけた。それが彼女の想いだとわかっていたから、俺はなにも言わずにこの街を出たんだ。両親は落ちぶれた貴族でね、一族再興とか何とか、無理して俺を王立の学校に入れようとしたんだ。寄宿にかかる寮費は半端じゃないのに。結局、無理して働いて二人とも俺がエコール・ミリテール*に入学する前に亡くなった。ま、両親がいない方がメジエール**の試験には受かりやすかったから。感謝してるし、そこでの時間を無駄にするつもりもない。今はこんな田舎にいるけど。いずれ、ファリに出る。セイリアのことも、もう昔のことだ。キシュは実の姉妹じゃないんだが、セイリアのことを姉のように慕っていた」
そして、ズレンを兄のように慕っていたということか。
(*エコール・ミリテールは8歳から14歳までの士官学校 **メジエール工兵学校は二年間の専修学校で、エコール・ミリテール卒業後試験合格者のみを受け入れた)
エコール・ミリテールは王立の士官学校だ。成績の優秀なものしか入学できないし、入学すれば国王からの援助を受けられるという。その上、卒業後にメジエール工兵学校まで進学したのであればエリートだ。ファリで出会ったマルソーやエリーも同じだろう。
キシュと価値観が違うのは、もう、どうしようもないことなのかもしれない。
ズレンに「お前の番だ」と背を叩かれ、オリビエは唇をかみ締めた。
歩きながら、思い出したくないそれを記憶に並べる。
「僕の父は、あの教会の司祭会の会長をしていた。毎月、会合があるだろう?僕が十三の秋だ。ちょっと、悪さをしてね。僕は家の納戸に閉じ込められた。ふてくされる僕に、扉の向こうから母さんが話しかけた。お父さんが司祭会に出かけてしまったら、こっそり出してあげるから、と。父さんが出かけてしばらくして僕が扉の開くのを待っていると、家に誰かが訪ねてきた。母さんの気配が遠ざかった」
話してみると、たったそれだけなのだ、とオリビエは思う。
随分短い物語だ。
「それで?」
ズレンが少し間をおいて問いかける。
「それだけ。それが、僕が両親の声を聞いた最後。次の朝、気付いたら僕は自分の部屋で寝ていて。僕を起こしたのが、彼ら。父さんと母さんは、馬車の転倒事故で亡くなったと。それだけだった」
肩に置かれた手に少しだけ力がこもった。
「ま、もう五年も前のことだよ。ズレンだって、僕と同じ年齢の頃にご両親を亡くしているんだろ?」
「そうか。俺が丁度この街を出ている間のことなんだな」
「いいよ、結局原因とかよく分からなかったんだ。でも、事実として、両親は亡くなったわけだし。僕は今、こうしている。誰かを亡くすのはつらいね、ズレン。君の気持ち、分かるよ」
青年は数回、オリビエの肩を叩いた。
「帰ったらもう少し、ワインでも飲むかい?」
「じゃあ、僕が作ったレクイエム、聞かせてやるよ。それで僕は侯爵様に見初められたんだ」
「出世作か」
「そ。最高に憂鬱な気分になる曲さ」
ふと、ズレンの歩みが止まる。
暗がりに目を凝らして前を見据える。
オリビエもソチラを見ると、遠く見えるオリビエの家の前に人影があった。
「今日はそういう予定でもあったのか?」
ズレンは低くうなる。
「全然」
オリビエが応えると同時にズレンは人影に声をかけていた。
「誰だ!」
2
夜半から振り出した雨がかつかつと鎧戸を穿つ音が規則正しく耳に響く。
オリビエはそれを聞きながら、冷たい井戸水をグラスに満たす。二つの水音に何か音楽を思いつきかけ溢れた雫が手を濡らす。リビングからの無造作に叩く鍵盤の音に我に返る。
慌てて、滴るそれをかかえてリビングに戻った。
「男爵、楽器には、その…」触れないでもらいたい。
呆れ顔のズレンに肩を押さえられていたロントーニ男爵はオリビエの姿を見るなり極上の笑みを浮かべて立ち上がる。煩そうにズレンの手を振り払って。
「オリビエ、聞かせてくれ」
「男爵、どうぞ、水です。こんなに酔って、ご家族が心配されますよ」
オリビエの差し出す水を受け取ると、こぼしそうになりながらソファーに座り込んだ。いや、倒れこんだ。
「家族、なんていないさ。な、オリビエ、聞かせてくれ。お前の曲だ。何でもいいぞ」
機嫌はいいのだろう、二人の青年相手に男爵は盛んに笑みを見せた。
「お前、なんていうか知らんが、こっちで一緒に聞け」
ため息を吐くズレンを隣に座らせると、男爵は楽器に向かうオリビエにじっと見入る。
「では。ズレン、聞かせてやるって言っていた、レクイエムだ」
家の前に立っていたのはホスタリア・ロントーニ、男爵だった。ズレンに誰だと問われ、男爵は胸を張ってフルネームを応えた。オリビエンヌ・ド・ファンテルに会いに来たと付け加えるのも忘れていない。
追い返すことも出来ず、ズレンが屋敷まで送ろうとしたが動こうとしなかった。
従者も連れず、一人馬でここまで来たのだとロントーニ男爵は笑った。その馬は見当たらなかった。酩酊する主人にあきれて逃げ出したのかもしれない。
そのまま、家の前で寝込まれても困る。
仕方ないからオリビエは家に招きいれたのだ。
酔っ払った男は上機嫌だ。少し迷惑なのだとあてつけの意味もあって、オリビエは自身が「最高に憂鬱な曲」と信じている、処女作のレクイエムを弾き始めた。
男爵が眉をひそめる。
ズレンも本当に憂鬱だ、と小さくつぶやいてオリビエと男爵を見比べていた。
男爵は眉間に深くしわを寄せ、口はへの字。持っていた水を口に運ぶのも忘れているようで、ズレンの心配はそこにうつる。
ぎゅっと握り締めた男爵の手は白く、もしかしてグラスが割れてしまうかもしれないと途中青年はそれをそっと取り上げた。
弾き始めるとオリビエの表情は自然と無になる。
あの教会で行われた葬儀。先ほどの男たちは、オリビエにとって死の知らせを運ぶ使者。黒い装束としわがれた声。少年だったオリビエには、最初に紡がれた言葉が、今も古傷のように胸をうずかせる。
「ご両親が亡くなった」
理解も反応も出来ずにいた少年に、早口で何か説明した。何だったのかすら思い出せない。ただ、最初の一言だけが今も残っている。
それからの記憶は学校で聞かされた歴史の物語のように遠く、実感のないもので、オリビエは強張りさび付いた心臓が痛む気がして、ずっと胸を押さえていた。
その手を開放できたのは楽器の前でだけだった。
それがどんな音だろうと、曲だろうとリズムだろうと。関係なかった。とにかく指が走った。胸の痛みが和らぐ気がした。あれが、オリビエが無心で作曲するようになった最初だ。
それは、自分の記憶には残らない。自分から音に乗せて感情を解き放つものだったのだ。自分の中に納めて置けないそれを吐き出すための曲。それを記憶する理由などなかった。
侯爵に弾いてくれと頼まれるまでは。
「レクイエム、それはご両親にあてたものか」
オリビエがいつのまにかレクイエムだけで終わらずに、弾き続けていた自分に気付いたとき、男爵が声をかけた。
見ると、男爵は涙を流していた。




