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6.エスファンテの青年衛兵2


侯爵家までの距離は短い。

常にオリビエは徒歩で通っていたのだ。それが馬車ともなるとあっという間だった。

「オリビエ様、私はズレン・ダンヤと申します。これから毎日、オリビエ様をお迎えに上がります。お帰りの際も門番にお声をかけてください」

二十代前半、ちょうどファリで知り合ったマルソーやエリーと同じくらいの年恰好に見えた。思い出すとなぜかズレンというこの青年も頼もしく思えた。

「はい。あの、そんなに丁寧な言葉遣いでなくていいです。僕もあなたと同じ、雇われ人ですし、僕のほうが年下です」

この青年にこの街で起こりつつあることを聞いてみようとオリビエは考えていた。衛兵はこの街の警備をしている。きっと詳しいはずだ。

「いいえ、貴方は特権階級でいらっしゃる。そのようなこと、おっしゃらないでください」

「特権はあるけど。ほら、よくある何の資産もない名前だけの貴族だから」

ズレンという青年は涼しげな瞳をオリビエにむけ、何か言いたそうなのに口を開かない。

何か悪いことを言っただろうか。

居心地の悪い沈黙の間、オリビエが何を話題にしようかと探っているとズレンが小さく息を吐いた。

「私は侯爵様がお帰りになるまでは何があってもあなた様をお守りするようにと仰せつかっております」

「え?侯爵様はどこかに?」

「議会のために、今朝方またファリへ向かわれました。我がエスファンテ衛兵の主力は侯爵様を警護しております。その留守を預かる私の第三連隊が今はこの街を守っております」

「なんだか、物々しいね」

肩をすくめて見せるオリビエにも、ズレンは笑み一つこぼさなかった。

取り付く島のない青年にオリビエは残念な気分だ。



侯爵が不在ということは、アンナ夫人も自由なのだ。

オリビエが音楽堂に入った時からずっと、そばを離れない。

メイドが茶や食事を運んでくるたびに一緒にテーブルについた。そしてオリビエが楽器を奏でたり、曲を作るために散歩をしたりしている間は黙ってただそばにいた。

その様子がやはり以前とは違う感じがして、オリビエはどうにも居心地が悪い。

ついに、三時のお茶をメイドが運び入れ、夫人が「一緒に休憩しましょう」と声をかけてきたときにオリビエは口を開いた。


「あの、アンナ様。今日はどうなされたのですか。一日中私のそばにいらっしゃる」

「あら、嫌かしら」

オリビエの分まで茶に砂糖を落とし、夫人はにこやかに笑った。

その笑顔がやはりいつもと違う。

「侯爵様とご一緒にお出かけにならなかったのですね」

「あら、嫌味?」

「いえ、そうではありませんが」

二杯目の砂糖を落とそうとする夫人の手を止め、オリビエはカップを受け取った。

「いつもより、お元気がないように思えますし。黙って私の作業を見ているだけではつまらないのではないですか」

夫人が目を伏せた。

長い睫が影を落とす瞳は、じっと手元のカップを眺めていた。

「いいのよ。相手をして欲しいわけじゃないの」

「アンナ様?」

「そばにいたいだけなのよ」

見上げた瞳といつも通り色香を放つ胸元は殊勝な言葉以上にもの言いたげだ。

オリビエは体ごと庭に向けると、目をそらした。

どうしたというのか。新しいからかい方を試しているのか。侯爵がいないからと言って一日中べったりされていては、さすがに屋敷の皆も黙っていられないかもしれない。夫人の行動のほとんどを侯爵は感づいているだろうけれど、度が過ぎれば咎められる。その時にはオリビエも巻き込まれるのだ。

それはもう、ずっと前から。

夫人がオリビエを誘惑し始めた十六の頃から危惧していた。

たとえそれが、夫人の命令に従っただけだとしても。


今も、夫人はオリビエの唇に指先を触れようとしていた。

細い指がするりと閉じた唇をなで、そのまま首にまきつく。座ったままのオリビエに覆いかぶさるように公爵夫人は唇を塞ぐ。

目の前に見る夫人は、美しいがやはり年上の女性。間近に見れば張りを失いかけた首に目が行く。

つ、と小さな痛みが走る。

「な?」

唇を押さえると血がにじんだ。



「お前を、憎く思うときもあるの」

見下ろす夫人の口元は赤く濡れ、凶器に見える。噛み付かれたのだ。

再び唇を寄せる夫人をオリビエは手で押さえた。

「あの」

「ねえ、オリビエ。お前は誰なの」


「え?」

夫人の口調には怒りに似たものが漂う。睨まれ、オリビエはもう一度その言葉を胸の中で反芻した。誰なの?

一体なにを言いたいのだろう。


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