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3.春を待つ鳥 2


北の山々から冷たい風が吹き降ろされる季節。

その年は例年より早く霜が降りた。寒い時期には音楽堂にストーブが焚かれる。一年ぶりに火を焚くそれのために、煙突を下男のモスが掃除してくれた。

こんなものが引っかかっていましたと、主のいない鳥の巣を見せた。

「取ったのか?来年鳥が困るだろう」

真顔で元に戻す方法を考えるオリビエに、モスが煤だらけの顔に白い歯を見せて笑い出した。

「楽士様、本気で空っぽの巣のために、この冬ストーブなしで過ごされるつもりですかい?あっしは反対しませんがね、皆外套を着たまま震えて曲を聞かなきゃなんねえですよ?」

「……そんなに、笑わなくても。ちょっと、戻せるか考えただけだろ。あんまり綺麗に丸く出来上がっているからさ。鳥もバカだな、こんなところに巣を作ったって取られるのに」

「鳥は利巧ですよ、どんなに自由に空を飛んでても、羽を休める時期と場所が欲しいんでさ。今はもっと南の暖かいところに渡りの最中でさ。それにね、なくなりゃまた、作るんでさ。それが鳥ってもんだ」

オリビエはしげしげと丸い木の枝で作られた巣を見つめた。

「オリビエ様は、鳥が好きなんですね」

「あ、まあ、ね」

自由に、空を飛べるから。



「あっしはどうにも不憫に思いますよ」

「鳥が、不憫?」

「翼があるのは、飛ばなきゃなんねえからだ。それは、この地上で足をつけて生きていけねえってことでさ。不憫ですよ。いつだって死に物狂いで飛んでるんです」

モスの低いだみ声を聞きながら、オリビエはチェンバロの空を眺めていた。



その日、鳥の巣を持ち帰ったオリビエを、いつものように待ち受けていたキシュがからかった。

「素敵なリースじゃない、羽とかついているし、クリスマスにぴったり?」

「……」

何故持って帰りたくなったのか、オリビエにも分からなかった。綺麗に丸く作られたそれを薪と一緒に燃やそうとしたモスを止めた。帰る場所を鳥がなくしてしまう、そんな感傷を抱いた。冬の間預かって、春に元のところにおいてやれば鳥も戻るのではないかと。巣に宿る小さな命がちいちいと可愛らしい鳴き声を聞かせてくれることを想像すらした。

「どうしたの?オリビエちゃん、おかしいよ」

「いいんだ、これは」

「ま、ヘンタイの考えることは分からないけど」そうあきれる少女の脇で、ランドンは鼻を鳴らして青年の持つそれに興味を示す。

犬から避けて、キッチンの食器棚の上に隠した。

「何これ!」

オリビエをからかおうとさらについてきていたキシュがテーブルの上にぎっしりと積まれた色とりどりの箱に飛びついた。

丸いもの、四角いもの、小さいもの。どれも派手なリボンをつけてテーブルの上だけがパーティーのようだ。

「ねえ、オリビエ、これ何?贈り物?ねえ、何、なんなの!?開けていい?開けるよ?」

一気に子どもっぽくなる少女にオリビエは「手を洗ってから」とたしなめる。

「何、年上ぶって失礼な」と文句を言いながらも素直に手を洗ってくるのは、包みの中にお菓子があることを想像しているのだろう。

少女の予想通り、いくつかの箱にはキャンディーやクッキー、肉の燻製などが入っていた。

「これ、ねえ、こんなにたくさん、なんなの」

止めるまもなくキャンディーをポケットに詰め込んでいる少女にオリビエは湯を沸かしながら応える。

「侯爵家からのクリスマスの贈り物だよ」

「……オリビエって愛されてる」

まだ、遠慮の一つもなく包みを開け続けている少女は派手な飾りボタンと刺繍の入った上着を引っ張り出すと羽織ってみる。もちろん大きいために垂れた袖は少女の膝に行儀よく乗っている。すでにその膝には大きめの手袋とアルパカのマフラーがかかっている。真っ赤なヒイラギ模様のセンタークロスをびらびらと広げてランドンにかけようとする。

「キシュ、あんまり散らかさないで欲しいな」

「ね、ねえ、これ、いいな、素敵」

キシュが取り出したのは、深い紅色のコートだ。

「あれ、これオリビエには小さいじゃない、あたしもらってあげる」

「それ、新しいものじゃないんだ」

「いいよ、綺麗じゃない、素敵。ありがと、あたしにだってクリスマスは必要よね」

「僕から」

「え?なんか言った?」

「僕からの、プレゼントだよ。と言っていいかわからないけど」

オリビエはせっかく入れた温かいお茶も、置く場所が見つからず持ち上げたポットをまた置いた。

「さ、夕食。ほら、それ片付ける。リビングに持って行って。後で見よう、明日侯爵様にお礼を言わなきゃならないから。運んで」

「ねえ」

オリビエはまだ未開封の箱をいくつか抱えるとリビングのテーブルに運んだ。後から赤いコートを抱え、オリビエの上着を羽織った少女とテーブルクロスを背中に乗せたランドンが続く。

「ねえってば」

「ほら、そこに置いて。ああ、そのマフラーはシューレンさんの分だから、ちゃんとたたんで」

「ねえ、オリビエ!これ、このコート!」

「だから、君へのプレゼントだって」

気配を感じて少女のほうに向き直ると新しい上着が投げつけられた。




「キシュ、乱暴だな」


少女は先ほどまでのだぶだぶの上着少女ではなくなっていた。

リビングの窓に反射する自分をしっかり見ようと右に左に回ってみせる。しげしげと袖口のレースを眺め、次に胸元をなで、裾をひらりとさせてみる。

赤い毛織物のコートは上質ですんなりした腰のラインが華奢な少女を女性らしく見せた。胸元を飾る刺繍とレースはなだらかな丘を築き、その真ん中で小さな両手が組まれていた。

祈りに似たそれをする少女は聖女のような笑みを浮かべていた。


「ありがとう」


多分、初めてだったろう。

キシュがオリビエに礼を言った。

「あ、いや。その。ごめんね、それ、お下がりなんだけど。まだ袖を通していなかったはずだから」

「お下がり?これが?誰の?すっごい素敵だもの、このままお貴族様のパーティーにも出られそうよ」

「それ、母さんの、なんだ。五年前のだけど質のいいものだから」

どんと、少女に抱きつかれた。

「わ、キシュ……」

赤毛が耳元をくすぐった。

案外背が高いんだと、今更気付く。それともこの数ヶ月で伸びたのか。

「ごめんね、僕は自分で買い物できないから、どうしても新しいものは買えなかったんだ。それでも、何か君にお礼をしたくて。やっぱり、気に入らないかな、母さんのだから大きいと思うけど」

キシュは黙って首を横に振った。

「キシュ?」

押し付けられる額、頬。

泣いている?

嬉しくて?

あのキシュが?


だとしたらそれは奇跡というものだ。


不意に少女は顔を上げた。

期待する涙は見られなかったがいつもと少し表情は違った。

「あのね、そんなのもらえない。あんたバカよ。ヘンタイの上にバカ。形見でしょ?お母さんの」

「ん、まあそうだね。でも誰も着ないんだから」

「だめ、いらない。ちゃんと自分で買ってプレゼントして」

そう言われれば、反論は出来ない。

「……そうだね。ごめんね」

あれほど喜んでくれたと思ったのが、どうにも少女の気持ちは分からなかった。乱暴に投げ返されたコートを抱え、オリビエは二階にある両親の部屋へ持っていった。冷え切った両親の寝室は、埃一つない。あのときのまま、いつでも使えるようにベッドにシーツも敷かれている。シューレンさんの優しさなのだ。

そこにオリビエが花を絶やさないことをシューレンさんも知っているのだ。


赤いコート。これをシューレンさんが見つけてくれて、これなら年頃の子に丁度いいですよと。キシュには大きいよ、母さんのサイズだよ、と笑うとシューレンさんは自分にそれをあてて見せた。

「ほら、オリビエ様、その子と私、あまり身長は変わらないのではないですか?だとすればぴったりでしょう?」

「あれ?」

「オリビエ様、貴方様の身長はもう、お父様を追い越していますし、つまりキシュというその子だって大人と同じです。もう立派な淑女ですよ。まあ、行動は子どもそのものですけどね」

シューレンさんの言うとおり、キシュに似合っていた。両親は常に自分より大きいものだと、そんな印象だったのに。いつのまにか自分自身も父親を追い越していた。

時が経っているのだ。



リビングに戻るとキシュは膝を抱えたままソファーに座り込んでいた。

オリビエが現れて助かったといわんばかりにランドンが足元に駆け寄り、尻尾を振った。

オリビエはランドンにはけっして手を触れないのに、なぜか懐かれていた。

「キシュ、夕食にしよう。お腹すいただろう」

「ほんと、馬鹿なんだから」

まだ、コートのことを言っているのだろうか。

「ほら、おいで。ごめんね、今度は何とか自分で買い物できるようになるから」

「あんたいくつ?お子ちゃまなんだから」

拗ねたままついてくる少女の肩に手を置いた。

「だから、謝るよ、そんなに怒らないで」

「だいたいさ、あんな素敵なもの見せといて。形見だって。ほんと馬鹿なんだから。貴族様と違ってね、あたしたちはパンのためにならなんだって手放すんだよ。あんなの家にあったら親父がさっさと売り払っちゃうんだ。もらえるわけないじゃない。ちょっと考えれば分かるでしょ?」


「え?」

「何、その顔」

気に入らなかったのでは、ないのか。

「形見じゃなかったら、売るの?」

少女は頷いた。

「そう。案外、優しいんだね。キシュ、今日はちゃんとお祈りしてから夕食だからね」

「なにそれ」

「僕はやっぱり感謝しなきゃいけないって思ったんだ」


「神様に?」

「そう」

両親にも、そして侯爵家にも。服を売らずに生きていける環境にある。

「もちろん、キシュにも感謝してる。一緒にいるのは楽しいからね」

「じゃあ、仕方ないわ、付き合ったげる。でもお祈りの言葉覚えてないから、オリビエが話してね」

「じゃあ、覚えようね」

「だからそれが見下してるっての」

「かわいいから、君」

「もうー」



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