ネタがないのよね。
私は主婦でアマチュア小説家。七瀬さつき。主婦業とコンビニのバイトをしながら、ときどき本を出している、まあ、お気楽主婦ね。ちょっと自慢しちゃうと、ファンもそこそこ付いているのよ。しかし最近ネタがないのよね。ラブストーリーを書こうにも若い頃の数少ない記憶をたどるのは限度があるし、主婦の私としてはガチでレンアイしちゃうわけにはいかないじゃない?
家族は夫の吾郎。高校生の息子の健斗。中学生の娘、真菜。ごくごく平凡な家族。ほんの少し変わっていることといえば、私が小説を書いていることを家族や友人にも秘密にしていることくらいかな。
「はあ~あ。困ったな。」
今日はネタもなく、時間だけはある。今日はみんなゴハン要らないの。真菜は友達の家でゴハンをご馳走になってくるって電話があって、健斗は友達と外食をしてくるんですって。夫も接待だっていうから、夕食の心配もない。特に今日は時間だけがたっぷりある。だから美容院に充電に行くことにした。平日だし、今の時間帯ならスタイリストさんを指名しなければ対応してもらえるわね。
平日の夕方は、少し早めのせいか、空いていてガランとしている。もう少ししたら、仕事帰りのお客さんで混むかもしれないわね。
受付に立ったときに視線を感じ、目を向けるとある若い男性スタッフと目が合った。営業スマイルなんだろうけど、ステキな人だなぁ、なんて思っちゃった。
急に行ったのにも関わらず、いつも指名しているチーフスタイリストさんが担当してくれることになっていて、気分が上がる上がる。技術ももちろん申し分ないんだけど、なかなかイイ男なのよ。ウフフ。キレイめな男の人と話すと気分が上がるわ。平凡な日常への、ちょっとしたジュエリーってとこかしら。オバちゃんとしては密かな楽しみなのよね。さっきの『充電』ってこのコトなのよ。
「七瀬さま。いらっしゃいませ。」
チーフスタイリストさんの西嶋さんが挨拶をするとすぐにスタイルや髪のコンディションについてのチェック。
「気になっていることはございますか?」
「は、生え際の白髪…。」
悲しいかな。心は二十代のつもりでも髪は正直で、白髪を気にしなくてはいけないのよね。
今日はデジタルパーマと、生え際の染め直しということでリタッチに決定。
最初にリタッチの染料を塗って、しばらくしたらシャンプー。そのあとデジタルパーマ。最後にカット、という順番。
リタッチが済んでシャンプー台に案内されると、すぐにケアリストと思われるスタッフさんがやってくることになっているんだけど、今日のシャンプーの担当は誰かなあ。最近、若いスタッフさん増えたから、知らない人かしら。
「本日、シャンプーの担当をさせていただきます、田中です。」
「ぅ、うおぁぁぁ。」
シャンプー台の椅子に座ったと同時に声をかけられ、顔を上げた私はお下品なうめき声とも叫び声ともつかない声を上げてしまった。だって、さっきのステキ君が立っていたんだもの。
「あの…、どうかされましたか?」
「い、イエ。何でもないです。よろしくお願いします。」
怪訝そうにするステキ君にあわてて挨拶をする。あーあ。しょっぱなからドジった。下品なオバちゃん丸出しだわ。
田中さんっていうんだ。少しでもお話して、充電したいわ。その前に、さっきの下品な声のことを忘れてもらえますように。