シルヴィアの決意
5月12日深夜
西条グランドホテル最上階 スイートルーム
「楠を出しなさい、今すぐによ!」
シルヴィアは、部屋に備え付けてある内線電話を取った。シルヴィアは己のうちの怒りと殺意を押さえ込むのに必死であった。ゆえに、口調もひどく攻撃的なものとなる。
「お、お客様……。失礼ですが、お客様のおっしゃる楠というのは……?」
フロント係の女性が怯えたような声で答える。結果的にそのことは、一層シルヴィアの苛立ちを煽ることになった。
「くだらない茶番はやめなさい!どうせ、この電話も聞いているのでしょ、楠?さっさと出なさい!出ないというのなら、お前が出てくる気になるまで、この国の街という街を一つずつ潰していってあげるわ!」
受話器の向こう側でため息が聞こえ、低い男性の声に切り替わった。
「ええ、変わりましたよ、私です。日本魔術師協会対外戦略居第一課課長の楠です。そんな恐ろしいこと言わないでくださいよ。そんなことにでもなったら、対外戦略局のメンツはまる潰れになってしまいますよ」
楠は、人を食ったような、どこかふざけたような口調だった。
「どういうことか、説明していただけるかしら!?どうして、『紅蓮の死神』の正体が……」
「愛しの君であったのか、と。そうおっしゃりたいわけですね?」
シルヴィアはその瞬間全てを悟った。
「お前たちは、全てを知っていて、そのうえで……。この私を嵌めたというわけか!騙したというわけか!」
シルヴィアの怒りに呼応するように、彼女の影は室内の、テレビを、ベッドを、冷蔵庫をその他あらゆる設備を完膚なきまでに破壊した。当然、その音は、電話の向こう側にも聞こえたはずだが、楠はやはり飄々とした態度のままだ。
「嵌めた、騙したとは、まったくもって人聞きの悪い話ですな。私どもは、『紅蓮の死神』の排除を閣下にお願いした。そして、閣下は、快くそれをお引き受けになった。それだけの話しではありませんか。他に何があるというのです……?それとも、閣下は、ご自分の名誉にかけて誓われたことを反故になさるおつもりですか?まさか、そのようなことをなさいませんと私どもは信じておりますが」
日本魔術師協会は、いや、この楠という男は、周到に全てを調べていたのだ。シルヴィアの多武峰家への憎しみと飛鳥への想いを全て知った上で、『紅蓮の死神』=飛鳥の殺害をシルヴィアに提案したのだった。そのやり口のあまりのおぞましさにシルヴィアは怒りをとともに戦慄さえ覚えた。
「国際魔術情勢に携わる者の中で、閣下のことを知らぬ者はおりませぬ。『千影』『鮮血の姫』の名を聞いて、欧州で恐れを抱かないものなどおりませぬ。その閣下が、まさか個人的な感傷を理由にして、殺せないとでもおっしゃるわけはないでしょう。選帝侯の地位やヴァイサリアスの家名はそんなに安物ではないでしょう」
楠は畳み掛ける。その声は、毒蛇のようにシルヴィアの中に入り込もうとする。
「黙りなさい!」
シルヴィアは思う。名誉も地位も金銭も、この世界のいかなる物を積んだところで、そんなものが飛鳥の命に釣り合うわけがない。たとえシルヴィアが全てを失っても、世界を敵に回しても、飛鳥は絶対に見捨てたりはしない。全てを投げ打ってでも、助けに来てくれる。そんなことは7年前から分かりきっていることだ。
だが、それでいいのか?とシルヴィアは自問する。誓いに背き、名誉を失った私に、彼の傍に立つ資格はあるのだろうか。彼はそんなことを気にしないかもしれない。だが、それ以外の者はどうだろうか?もし、私の傍にいたせいで、飛鳥が侮辱されたとき、私は私自身を許せるだろうか。答えは決まっている。
「許せないわ……」
そう絶対に許せるわけないのだ。自分が傍にいるせいで、彼の価値が、名誉が損なわれることは。飛鳥が殺人者としての自分を許せないように、シルヴィアもまた、名誉を守れないような自分を許せない。
ゆえに、シルヴィアは改めて誓いを立てる。
「少しだけ言い方を変えるわ。私は多武峰家を滅ぼすわ。一切の慈悲はないわ。完膚なきまでに徹底的に滅ぼしてやるわ。そうすれば、多武峰の魔術師殺しである『紅蓮の死神』は意味をなさなくなるわ。死んだも同然となるわ」
「そ、それは、その、あの忌まわしき多武峰家が滅びるとなれば、願ってもないことですが……」
楠は信じがたい与太話を聞いたと言わんばかりの声色だった。さしずめ瓢箪から駒といったところだ。そして、出てきた駒の真意を推し量っているといったところであった。
「もう一度言うわ。多武峰家は私が滅ぼすわ。最初に言っておくけれども、お前たちの手助けなど不要だし、ちょっかいを出すというならば、多武峰家もろとも潰してあげるわ。そうなったら、私を愚弄したことを必ずお前たちに後悔させてあげるわ!」
シルヴィアは電話の受話器を握りつぶした。
それから、彼女は、ぬいぐるみのチェルナーを抱きしめる。そして、自分に言い聞かせるように言う。
「多武峰家を滅ぼしたら、飛鳥もきっと私のものになってくれるわ。きっとそうよね、チェルナー」
獰猛な笑みを浮かべた彼女の上にも、月の光は優しく降り注いでいた。




