幕間2
話は少し前へと遡る。
「いやあああああああああ、目を覚ましてよ、飛鳥、飛鳥!」
シルヴィアの叫び声が、森中に響き渡った。鳥も虫も風さえも、彼女の逆鱗に触れることを恐れてか、一切の物音が消えてしまう。
「……飛鳥、飛鳥、飛鳥!」
シルヴィアがいくらさすっても、どれだけ呼びかけても、飛鳥の身体が反応を返すことはなかった。
「……なんで、そんな顔をして、そんなに笑っているのよ」
飛鳥の死に顔は、何かを成し遂げた後のようなある種の達成感のこもった笑みを浮かべていた。シルヴィアには、それが許せなかった。シルヴィアはもう知ってしまっている。7年前、彼女を助けたがために、飛鳥が、どれだけ辛い目に遭ってきたかを。あの優しい少年が、どれだけ傷ついて、自己嫌悪に苦しんできたかを。飛鳥の人生は幸せと言えるものだったのだろうか。あるいは、飛鳥が笑ってその生を終えたことも、彼が自分の人生に満足しての結果なのかもしれない。それは、飛鳥に決めることで、他人がどうこう言えるものではない。
けれども、シルヴィアは認めない。
「……貴方は、私にいろんなものをくれたわ。外の世界も、生きる意味も、未来だってそう。私は、貴方のおかげで幸せになれた。だから、その責任を取ってよ。ずっと私を幸せにしてよ!貴方がいることが私の幸せなのだから!『ずっと一緒にいよう』って約束したじゃない!私は、貴方との約束を破ったことなんて一度もないわ。だから、貴方も約束をちゃんと守ってよ!」
飛鳥が死ぬことを、シルヴィアは認めない。
彼女は、自分の指を噛み切る。人間と同じ紅い血が彼女の白い指をたどって、飛鳥の口の中に入っていく。
げほげほ、という咳き込み音とともに、飛鳥の目がうっすらと開く。
「……シルヴィ、な、何を!?まさか吸血鬼の血を……!?」
飛鳥の瞳に、指から血を流しているシルヴィアが映る。
「ええそうよ、飛鳥!貴方は死なせない。貴方が死ぬことを、私は許可しない。私と一緒に生きてもらうわ!」
「……俺には、君の傍で生きる資格なんてない。俺の犯してきた罪は、殺してきた人たちは……絶対に俺を許したりはしない。だから、せめて、君を守って死ねたなら、そう思えたなら、俺が今日まで生きてきた意味だって……」
パチーン。
「シ、シルヴィ……?」
一瞬遅れて飛鳥は頬に痛みと熱が走るのを感じた。
「なんでそんなこと言うのよ!?どうしてよ!?私は、ただ貴方に生きていてほしいだけなのに……。少しは、私の気持ちを考えてよ!貴方のことを好きな私の気持ちを考えてよ!私は、貴方がいない世界なんて嫌なのよ……」
シルヴィアの眼からこぼれ落ちた涙が、飛鳥の顔にかかる。
「……シルヴィ、俺だって、君の傍にいたいよ。ずっと生きていたいよ。でも、俺は、怖いんだ。自分がそんな幸せになっていいのか。そんなことが許されているのか……」
飛鳥の眼からも涙が溢れて、顔がぐしゃぐしゃになる。
「私が、貴方の全てを認めるわ。貴方が過去にしてきたことも、今していることも、これからしようとすることも、全て、認めるわ。貴方が、どれだけ貴方自身のことが嫌いでも、私は、貴方のことを嫌いにはならない。……だから、私のために、私のためだけでいいから、生きてよ!」
シルヴィアは目を閉じて、彼の唇に、自身の唇を重ねた。飛鳥は、震える彼女の身体をただ優しく抱きしめていた。
「……飛鳥、昨日の夜、貴方が言ったことを覚えているかしら?」
シルヴィアの問いかけに飛鳥は頷く。『後で何でも言うことを聞いてやるから、今は、僕の言うことを聞いて!』、それは、7年前にも、飛鳥がシルヴィアにした約束だった。そのときのことを思い出して、飛鳥もシルヴィアも顔を見合わせて笑う。
「……私の眷属になりなさい、飛鳥!」
吸血鬼の血を注がれた人間は、その吸血鬼の眷属になる。眷属は、その主と同じだけの寿命を与えられ、そして、主に対しては絶対服従の義務を負う。吸血鬼と人間との間で結ばれる主従契約が、眷属になるということだと言えよう。
飛鳥は、再度頷いて答える。
「分かったよ、シルヴィ。俺の全てを君に捧げる。俺の全てをもって君を守る。俺の全ては君のものだ。……俺は、君の、シルヴィアの眷属になることを誓うよ」
「……貴方の誓約を受け入れるわ、飛鳥!……貴方はずっと私の傍にいること、離れないこと、これは命令よ、飛鳥!」
そして、二人はまた唇を重ねた。お互いの存在を確かめ合うように。もう二度と離れることがないように。




