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7年前の出来事;飛鳥とシルヴィア 後編

 翌朝、飛鳥とシルヴィアが目を覚ますと、あたり一面はすっかり銀世界であった。今年の初雪は、一晩中吹き荒れて、例年にはない積雪を、この辺り一帯にもたらしたようだった。

 「行こう、シルヴィ」

 「うん、あすか!」

 靴のないシルヴィを背負って、飛鳥は雪の道をゆっくりと歩き出した。ただでさえ足場のよくない林道は、雪に覆われ、一層歩きにくくなっていた。ひと思いに炎属性魔術で、雪を溶かしてしまうことも考えた。しかし、魔術の痕跡を残して、多武峰家の追っ手に気づかれるには避けたかった。昨日の夜は、悪天候と飛鳥の魔術のダメージで動けなかっただろうが、今朝になって天候も回復し、追跡部隊も迫っていると飛鳥は考えていた。

 「ねえ、あすか……その、私、重たくない?」

 上り坂を歩いているとき、飛鳥はシルヴィアに聞かれる。

 「……だ、大丈夫、ぜ、全然、重たくないよ」

 飛鳥は息を切らしながら、答える。すでに歩き始めて1時間ほどが経過していた。

 「……あすかのバカ」

 小声でシルヴィアは言う。

 「バカとはひどいな。……それより、もう少しだよ、シルヴィ、この坂を越えて少し行ったら、隣町に出るはずだ」

 と、そこで、飛鳥は不意に背中が軽くなったのを感じた。

 シルヴィアが、雪の上に降り立って、彼女の固有能力である影を展開していた。

 「シルヴィ、何を!?」

 「あすか、くる!」

 木立の向こうから、電撃の槍が数発、二人に向かって放たれた。シルヴィアは、その全てを払い除ける。

 「助かったよ、シルヴィ。ありがとう……」

 飛鳥が礼を言おうとした瞬間、反対側から放たれた電撃の槍がシルヴィアの背中に直撃する。最初の数発はわざと狙いを外した陽動であり、本命は、死角からの一発だったというわけだ。

 「シ、シルヴィ、しっかりして!ねえ!」

 倒れ込んだシルヴィアの身体を、飛鳥は必死になってさすった。

 「……ごほ、ごほごほ」

 シルヴィアは、意識こそあるが、電撃のダメージが大きく、すぐには立ち上がれないようだ。

 「飛鳥様、いえ、如月飛鳥。これが、最後の機会です。その吸血鬼の娘をこちらに渡しなさい。もし、これ以上抵抗するならば、あなたを殺しても構わないと、当主様はおっしゃっています。さあ、はやく、その娘から離れなさい!」

 木立の奥から、次々に仮面を被った黒マントの男たちが姿を見せた。その数、50人以上で、二人を完全に包囲するように、陣取っている。死神部隊は、全員、雷の槍を構え、その様子のどこにも、油断の色は見えない。子ども二人を相手に、50人を越える魔術師の戦闘部隊が本気で殺しにかかっていた。

 「火炎壁(フレイムウォール)!」

 飛鳥は、すぐさま、炎でできた壁を、出現させた。すかさず、50発を越える雷の槍が、炎の壁にぶつかり、爆発がいくつも起こった。

 「時間稼ぎは無駄ですよ!我々は50人以上います。いつまでも、魔術で守っていることはできませんよ!」

 死神部隊の隊長は告げる。事実、その通りであった。火炎壁(フレイムウォール)、いやそれに関わらず防御系の魔術は、発動状態を続けるためには、常に魔力を送り続けている必要があった。対して、50人を越える死神部隊は、一人ずつ交互に魔術を防御魔術にぶつけていればよかった。50人のリレーチームと一人の人間がマラソンをすれば、たとえその一人がどれほどのスタミナの持ち主であっても、先に力尽きるのは明白であった。

 「シルヴィ、立てる?」

 炎の壁の中で、飛鳥はシルヴィアに尋ねる。

 「ええ、少し身体が痺れているけど、もう大丈夫よ」

 シルヴィアはもう立ち上がることができた。流石は吸血鬼の身体能力と言ったところだろうか。

 「シルヴィ、聞くんだ。火炎壁フレイムウォールが解けたら、僕は、僕が使える中で最高威力の魔術を使う。その隙に、君は、走ってあの坂の向こうに行くんだ。向こう側は、多武峰家の支配の及ばない場所だ。そこまでいけば、シルヴィ、君は自由になれるんだ」

 「いやよ、飛鳥も一緒じゃなきゃ、私、絶対にいやよ!」

 飛鳥の言葉の意味を悟ったシルヴィアは叫ぶ。飛鳥は、自分を犠牲にして、シルヴィアだけでも逃げる機会を作ろうとしているのだ。

飛鳥は、シルヴィアの身体を強く抱きしめる。

 「この包囲網を抜け出すには、こうするしかないよ……それに、これが最後じゃないよ、シルヴィ。約束しよう。僕たちは、きっとまためぐり会う。どんなことがあっても、何年経っても、絶対にだ!だから、今は、今だけは……」

 飛鳥とて、このような結末は嫌だ。シルヴィアと一緒に泣き叫んで、ふざけるなと喚きたかった。けれども、多武峰家(育ての親)に逆らった今、そんな子どもじみたことをする権利は彼にはなかった。初恋にして運命の相手である彼女と離れ離れになることは、飛鳥にとっても耐え切れないほどの悲しみを感じさせるものであった。しかし、それ以上に我慢できないのは、シルヴィアが再び多武峰家に捕らえられて、そして、実験で命を奪われることだった。

 「……私たち、また会えるのよね!?」

 「ああ、約束する。僕たちは、今は離れ離れになるけど、いつか絶対に……」

 飛鳥は、涙を堪えて、せめて笑顔で、シルヴィに告げた。

 「うん、分かった。私も誓う。必ず、あすかに会いに来る!そして、そのときは、絶対にあすかを離さない!」

 「さあ、行くんだ、シルヴィ!」

 二人を守っていた炎の壁が消える。

 間髪置かず、数人の黒マントが、走り出したシルヴィア目掛けて、魔術を行使しようとする。しかし、彼らは全員、急に悲鳴を上げて転がりだした。身体中が蝋燭のように燃え始めたからだ。

 「シルヴィには指一本触れさせない、『魂まで滅せよソウル・デストラクション』!」

 飛鳥を取り囲んでいた死神部隊全員を、更に取り囲むように、紅蓮の炎が広がる。その光景は、まるで、煉獄を地上に再現したかのようだった。

 「そんな、炎属性魔術第7位階だと……!?」

 「馬鹿な、まだたった10歳の子どもだぞ!?」

 死神部隊に混乱が広がる。飛鳥は、視界の端に泣きながら走っていくシルヴィアの様子を捉えて、彼らに告げる。

 「今から、この場において、シルヴィアと僕に危害を加えようとする者は、紅蓮の炎がその全てを焼き尽くす!」

 飛鳥は精一杯強がってみせた。しかし、身体は震え、立っているのもやっとであった。シルヴィアを逃がすためという使命感がなくなれば、すぐにでもへたりこんでしまいそうだった。戦うのは怖い、傷つけられるのも怖い、そして、自分が人を傷つけてしまうことがどうしてようもなく、怖かった。

 飛鳥の動揺は、歴戦の部隊長には、筒抜けであった。

 「お前たちうろたえるな、全員でかかれば……」

 しかし、そう言いかけた隊長の身体もまた、紅蓮の炎に包まれた。断末魔の叫び声を上げるが、炎は決して消えない。規則(ルール)を破った者に命という対価を払わせるまでは決して、その炎は消えない。炎属性魔術第7位階魂まで滅せよソウル・デストラクションはまさしく煉獄の再現であり、その中に囚われた者の生死は、術者である飛鳥の手中にある。

 「これで分かっただろ。もう無駄な抵抗はやめるんだ。抵抗さえしなければ、紅蓮の炎に焼かれることはないのだから!」

 シルヴィアの背中はもうすでに遠く、豆粒のように見えた。飛鳥は、どうしようもない寂しさを感じながらも、同時に安堵感も感じていた。彼女だけでも自由になれたら、自分のしてきたことも、自分が今日まで生きてきた意味だって、あるのかもしれない、と思えてきた。

 そして、飛鳥は絶望する。

 「……っ、どうして!?どうして、抵抗するんだ!?」

 死神部隊は、全身が火だるまになりながらも、魔術の詠唱を行おうとしていた。髪の毛が燃える臭い、眼球が溶けていく様、苦悶の叫び声の木霊、まさしく煉獄と呼ぶにふさわしい光景だった。何十人という人間が、紅蓮の炎に包まれ、生きたまま焼かれていた。

後で知ったことだが、彼らは全員、多武峰道元に『忠誠の誓約』を捧げていた。そして、命令を受けていたのだ。目的を達成するためならば、死んでも戦え、と。

 そのうちの一人が、全身が炭化しながらも、飛鳥の方へとゆっくりと歩いてくる。

 「い、いや、やめて……」

 飛鳥は、尻餅をついて、そのまま後ずさった。

 「……お、お前だけは許さない。『紅蓮の死神』を、絶対に……」

 怨嗟の呪いをかけて、その者は力尽きた。年齢も性別も、顔見知りかどうかだって分からない。ただ明白な事実は、飛鳥の魔術が、意志が、その者を殺したのだった。

 飛鳥の眼からは涙が溢れる。

 「……そうだ、僕は行かなきゃ。シルヴィアがあの坂の向こうで待っている。だから……」

 飛鳥は立ち上がり、ぎこちない足取りで歩き出す。しかし、少し歩いたところで、別の黒焦げになった死体の腕に足を取られて転倒した。そして、そこで、彼の意識は途切れた。


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