7年前の出来事;side 飛鳥後編
「この愚か者め!」
死神部隊に取り押さえられた僕は、屋敷の一番奥の部屋、すなわち、多武峰家当主、道元の居室にまで連れてこられた。道元に会うのは、これが二度目だった。一度目は、僕が、多武峰家に養子として引き取られたときだった。そのときは、柔和な笑みを浮かべた老人という印象しかなかった。しかし、今は違う。僕の後ろでひれ伏している死神部隊全員が震えるほどの殺気を放っている。
「お前のやったことは、我ら多武峰家百年の悲願の成就を妨げるに等しいことだったのだぞ!」
道元が怒りの声を上げる。
「しかし、当主様、僕は……」
道元が杖を振ると、巨大な氷の手が現れ、僕の身体を押さえつけた。
「お前の意見は聞いていない。……魔術の深淵はあまりに深く、魔術の頂はあまりに高い。有限の人の子の生では、到底その全てを極めることはできぬ。ゆえに、ごく限られた天才のみが、新たな魔術を切り拓き、その他多数の凡庸の類は、その足跡をたどることしかできない。そう、ちょうど、お前のようにだ、如月飛鳥」
道元のその目には、視線だけで人を殺せるような憎しみが込められていた。
「……だが、わしは考えた。天才とそうでない者たちとの差は何であるかと。その差は明確だ。それは魔術を極める速さにある。凡庸なる者が、階段を一段登るのに息を荒げている中、天才は、三歩とばしで登っていっているのだ。ゆえに答えは簡単だ。凡庸者といえども、もし、無限に歩き続けることができれば、必ずや、有限の生しか持たぬ天才に追いつくことができると。ゆえに、我ら多武峰家は目指すことにしたのだ、終わることのない永遠の生、不老不死をな」
道元は、死神部隊の隊長に命令する。
「あの吸血鬼の小娘が、人間の血を吸って覚醒したのは誤算だ。相当強力な固有能力だという話だな。……今はまだ押さえておけるが、この先、力をつければ、どうなるか分からん。早急に、実験の準備を始めなさい」
「は、承知つかまつりました」
「待ってください。実験とは何ですか?シルヴィアはどうなるのですか?そもそも僕は……」
僕は氷の手に押さえつけられたまま、道元を睨んだ。道元は、すでに興味を失ったという顔で答える。
「お前には関係のないことだ、飛鳥よ!お前には、自室にて謹慎を命じる。当然、あの土蔵に近づくことは禁じる。……実験が成功しようと失敗しようと、どのみち、あの化物は死ぬのだ。お前もはやく、あんな化物のことなど忘れて、魔術の勉強に戻りなさい」
「シ、シルヴィアが死ぬ、そんな、当主様、それって!?」
なおも、食い下がろうとした僕は、死神部隊によって、完全に身体を拘束された。
「飛鳥様、なりません」
「離せ、離せよ!」
僕は、死神部隊の誰かに薬のようなものを嗅がされ、意識を失った。
そこは、昔、師匠だった月影に連れられて、咲夜と一緒に行った花畑だった。西条市の郊外の森の奥深くにあるそこは、まさに秘密の花園と呼んで差し支えない場所だった。季節外れのラベンターの花の青い絨毯がどこまでも広がり、上を見上げると、満点の星空がどこまでも広がっていた。さっきまで、僕は、多武峰家の屋敷にいたはずだった……。
「ねえ、あすか、あすかってば!」
隣を見ると、シルヴィアがいた。真っ白いドレスを着て、麦わら帽子を被っていた。
「シルヴィ、どういうこと……?」
彼女の足首には、もうあの忌まわしい鎖は巻きついていなかった。サンダルを履いた彼女は、笑いながら、ラベンターの花の上を走り回る。
「あすか、一緒に遊ぼうよ!」
今まで見たことのないような笑みを浮かべてシルヴィアが僕に笑いかける。
まるで夢を見ているかのようだった。もしかしたら、全て夢だったのかもしれない。シルヴィアが多武峰家に捕まっていたのも、シルヴィアが、道元の実験で死んでしまうのも、全部が全部夢だったのだ。初めから、僕とシルヴィアを遮るものなんてなかったのだ。僕は、悪い夢を見ていただけだったのだ。そんな気がしてきた。
「うん、今、行くね、シルヴィ!」
僕は、彼女に向かって足を一歩踏み出そうとした。彼女となら、なんだってできる。そんな幸福感で満ち溢れていた。そう、この一歩で、輝かしい未来が始まるのだ。
そして、僕の一歩は、彼女には届かなかった。
大地の裂ける轟音と共に、僕とシルヴィアを分かつように地割れが走った。
「シ、シルヴィ!」
僕は、亀裂の向こう側に沈んでいく、シルヴィアの身体に手を伸ばす。指の先、爪の先まで、少しでもシルヴィアの身体に触れるように伸ばした。
そして、届かなかった。
「義兄さん、大丈夫ですか!義兄さん!」
また、誰かに呼ばれる声がした。頭がガンガンする。この感じはつい最近感じたものにそっくりだ。首筋に突き立てられて鋭利な牙と耳元で感じる彼女の吐息。
「シ、シルヴィ!?」
「……シルヴィアじゃなくて悪かったですね。義兄さん」
不機嫌そうな顔をして、僕の布団のそばにいたのは義妹の咲夜であった。
窓の外には、三日月が浮かんでいた。道元の元に連れて行かれたときには、まだ陽が残っていたから、数時間は寝ていたことになる。
「咲夜、シルヴィアはどうなった?シルヴィアは無事……だよな?」
実験というのがいつ始まるかまでは分からない。しかし、道元の口ぶりからもそんなに猶予はないはずだった。今、こうしている間にも、シルヴィアの身に危険が迫っていると思うと、気が気ではなかった。
死神部隊の連中に嗅がされた薬の影響で、まだ頭がすっきりしない。だが、寝ていられるわけもなかった。
「義兄さん、何をするつもりですか。義兄さんは、当主様から、謹慎の処分を受けています」
「僕は、シルヴィアを助けなきゃならないんだ!」
立ち上がろうとする僕を、咲夜が制止する。
「義兄さんは、自分が何を言っているのか、分かっているのですか?義兄さんは、当主様の決定に逆らおうとしているのですよ?多武峰家の全てを敵に回すつもりなのですか?」
咲夜の言うとおりだった。シルヴィアを実験の生贄にすることは当主が決定したことだ。それに異を唱えることが、一族の人間に許されるはずもなかった。
シルヴィアに、「広い世界を見せてやる」と約束をした。その約束を果たすために、僕は、魔術の研究に明け暮れた。そして、僕には、すでにその力があった。にも関わらず、僕は、まだ自分に知識と力がないから、とずっと言い訳をし続けていた。ひどい自己欺瞞だった。知識でも力でもない、僕に足りないものは、とっくの昔に分かりきっていた。
「義兄さんには、あるというのですか、多武峰家を敵に回してでも、シルヴィアを助ける『覚悟』が」
義妹の問いかけに、僕はもう逃げない。
「ある。多武峰家だろうと、日本魔術師協会だろうと、それこそ、世界全てを敵にしても、僕は、シルヴィアを守ってみせる。僕の全ての知識と力を以て、絶対に彼女を救ってみせる」
もう僕の心に迷いはなかった。
「なんで、義兄さんは、あの吸血鬼にそんなにこだわるのですか?好きだからって、何でそんな覚悟までできるのですか?」
「……昔、月影さんに教わったんだ。『魔術は正しいことのために使いなさい』って。僕は、自分の大切な人を守りたいと思うことが、間違っているとは思わない。僕の魔術は、シルヴィアが自由に幸せになるために使いたい、そう思うんだ」
「それなら、私は、義兄さんを行かせるわけにはいきません」
咲夜は、部屋のドアの前に立ちはだかる。そして、雷の槍をその手のひらに出現させた。
「私は、自分の大切な人が、バカなことをして不幸になるのを止めることが、正しいことだと思います。義兄さんは絶対に行かせません!」
僕は、咲夜が塞いでいるドアに向かって足を踏み出す。
「来ないでください、それ以上近づけば、雷槍をぶつけます!」
僕と咲夜の距離は2メートルも離れていない。この至近距離ならば、目を瞑って投げても、電撃の槍は僕に当たるだろう。ゆえに、僕は、両手を上げた。
「分かった。紅参するよ、咲夜」
そして、両手平に浮かぶ青白い炎を彼女に見せつけた。炎属性第3位階魔術『幻惑の灯火』だ。その効力は至ってシンプルだ。その火を見つめたものは眠ってしまう。
例に漏れず、咲夜も崩れ落ちて、寝息を立てた。僕は、彼女の身体を布団の上に横たえると、眠っている彼女の顔に語りかけた。
「ごめん、咲夜。でも、行かなくちゃならないんだ」




