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7年前の出来事;side シルヴィア前編

 私は暗闇の中に一人だった。足首に巻き付いた鎖と、ときおり聞こえる雨漏りの水滴の音が私の世界の全てであった。もうここがどこかとか、今がいつかとか、自分がどうなるかとか、そんなことを考えるのは止めていた。永遠にも思われた暗闇の世界で、私は、ただ、死んだように生かされていた。


 私の中にはっきりと残っている最初の記憶は、5歳の誕生日の夜のものだ。父は吸血鬼の貴族ヴァイサリアス伯爵家の当主であり、母も、有力な吸血鬼の貴族の娘であった。父と母のことはあまり覚えてはいない。ただ人生で2番目に幸せだったという印象だけが残っている。その頃の私は、両親に愛され、故郷のチェコの居城で何不自由なく生活しており、そんな生活がずっと続くものだと、そのときは思っていた。

 しかし、私が5歳になったあの夜に、全ては壊れてしまった。その晩、ヴァイサリアス伯爵家と敵対していた吸血鬼の郎党に、城が襲われたのだ。私は、母にクローゼットに隠れているように言われ、そこで長いあいだ息を潜めていた。やがて、熱気と煙に耐えられなくなって、私は、クローゼットの外に出てしまった。敵は、城に火を放ち、この世界から、ヴァイサリアス家の痕跡を抹消しようしているようだった。

 「……お父様、お母様、そんな」

 そこで私が見たのは、血まみれになって重なるように倒れていた父と母の亡骸であった。そして、その傍らに立つ一人の金髪の男を見た。その男の手は真っ赤に染まっていた。その血の意味を悟った私は、落ちていた蝋燭の燭台を掴んで、叫びながらその男に飛びかかった。

 「なんだ、このガキは?」

 私は、金髪の男に蹴り飛ばされ、サッカーボールのように壁に叩きつけられた。生まれて始めて直面したむき出しの暴力を前に、私は、震えと涙が止まらなくなった。

 「……いきなり泣き出しやがって、気色悪い。ぶっ殺してやる!」

 その男は狼のような獰猛な笑みを浮かべて、私に迫る。私は目をつむった。私の人生はこんなところで、無理やり終わらせられるんだ、何もかも実感が湧かなかった。

 「おい、待て、その子を殺すな!」

 黒いマントを羽織った別の男が現れて、金髪の男を制止した。金髪の男は不服そうに言う。

 「でもよ、兄貴……。受けた仕事は皆殺しだって」

 「まあ、そういうな。こいつは、見たところ、この家の主の娘だ。考えてもみろ、貴族の吸血鬼の子どもだ。ほしがるやつはごまんといるぞ。みすみす、金のなる木を切っちまう理由はないだろ?」

 「なるほど、さすが、兄貴だぜ!」

 こうして、私の人生は続くことになった。それからの数年間は、この瞬間のことを悪夢の中で思い出し、朝を迎える度に、呪うようになった。あのときに死んでいればよかった。そうすれば、父と母と一緒になれたのに。それからの日々は、私にとって、あまりに長くそして苦しいものであった。私は、鎖に繋がれ、檻に入れられて、物のように扱われた。私を買ったのは、大抵の場合、ロクでもない人間の魔術師たちであった。彼らは、興味半分に私の身体を弄りまわしていった。実験と拷問にかけられ続けた私は、やがて、極東の島国のある魔術師の一族に買い取られた。そう、それが多武峰家であった。

 私は、多武峰家の土蔵の中に閉じ込められた。そこは、灯りが差し込む窓のない完全なる暗闇の世界であった。すでに拷問まがいの実験材料にされ続けて疲弊しきった私は、そんな環境の中で、何も考えられなくなっていた。時間の感覚も、自己認識すらも、揺らぎかけたとき、ふいに土蔵に光が差し込んだ。土蔵の屋根に穴が空いて、そして、一人の男の子が落ちてきたのだ。

 「いてててて、思ったよりも高さがあったな」

 男の子は、しばらく痛めた足をさすっていた。私は、最初、自分の目が幻覚を写すようになったのではないかと思った。この土蔵に人が来ることは稀で、もし来ても、フードを被った無口な大人が、食べ物を置いていくだけであった。自分と同い年ぐらいの男の子が来るなんて、まず信じられなかった。私の視線に気づいたのか、男の子は、こちらを向いた。

 「ねえ、君が吸血鬼の女の子だよね?多武峰の大人たちが噂していた」

 男の子は、どうやら私に聞いているようだった。

 「あ、あう。あう……」

 私はその問いに答えたかったが、声が出なかった。言葉を話すのがあまりに久しぶりだったからだ。私は猛烈な羞恥心と恐怖感に襲われた。変な子だと思われたらどうしよう、呆れられて嫌われたらどうしよう、そんな気持ちが私の心を支配した。こんな気持ちになることも本当に久しぶりであった。

 「うーん。ここはかなり暗いな。よし、『妖精の火フェアリー・キャンドル』よ!」

 男の子の手の平に、小さいけれども、どこか懐かしい暖かさを感じさせるような灯火が宿る。それは、冬の寒い日に、父と母と囲んだ暖炉の火の色にそっくりで、気づいたときには、私の眼には涙が浮かんでいた。地獄のような日々の中で枯れ果てたと思っていた涙が……。

 「ああ、ごめん、もしかして、眩しすぎたかな?それなら、消すけど?」

 「う、うう」

 私は、全力で首を横に振った。

 男の子は、ふいに、私の眼に手を近づけて、涙を拭う。

 「君の紅い眼、すごく綺麗だ!宝石みたいに輝いているね!」

 その瞬間、私の顔は、彼の褒めてくれた眼と同じかそれ以上に赤くなっていたことだと思う。

 「な、なんなのよ!いったい、なんなのよ、貴方は?」

 私は、ようやく話し方を思い出せた。

 「僕は、飛鳥って言うんだ。如月飛鳥。よろしくね!ええっと、君の名前は?」

 「……シルヴィア、シルヴィア・フォン・ヴァイサリアスよ」

 これが、私と飛鳥の最初の出会いであった。

 「そうか、シルヴィアって言うんだ。綺麗な君にぴったりの素敵な名前だね!」

 「き、き、き、きれい?私が???」

 私の顔はさっき以上に真っ赤になって、湯気が出そうなぐらいに身体が熱くなった。

 「うん、君は、とても綺麗だ。紅い眼もそうだし、銀色の髪も、雪のように広い手も、長いまつげも……。全部、今まで見たことないぐらいにとても綺麗だ!」

 「あ……、あう」

 恥ずかしくてたまらなかった。男の子に、「綺麗」って言われたのは生まれて始めてだった。飛鳥は、本当に、物語に出てくる素敵な王子様みたいだった。これがおとぎ話だったなら、私は悪い魔法使いに捕まったお姫様だっただろう。

 「そ、そんなことないよ。……それに、私、吸血鬼なんだよ?私は、貴方とは違う生き物なんだよ?化物なんだよ?怖くないの?」

 私は、あまりにも長い間、人ならざる化物として人間たちに扱われ続けていた。私は怖かった。今、私に優しくしてくれている彼も、私の正体がはっきりすれば、態度を激変させるのではないかと。そして、もう、二度と優しくしてくれるのではないかと。

 でも、彼は違った。

 「うん、そうだね。ちょっぴり怖いかな。……でも、平気だよ。大人たちが言っていたけど、僕は、多武峰家始まって以来の天才魔術師らしいんだ!あんまり自分じゃ分からないけど。だから、僕は、たぶん君よりも強いから、君のことをあんまり怖がらなくていいんだ!」

 そして、彼は、私に向かって手を差し出してきた。私は、その意味が分からず、しばらくその手のひらを眺めて、指でつついてみた。そんな私の様子を見て、飛鳥は笑いだした。

 「違うよ、そうじゃないなくて、こうするんだよ」

 飛鳥は、私の手を取ると、私よりも少し大きな自分の手と重ねた。

 「これは、握手って言うんだ。友達になった証だよ」

 「と、ともだち?」

 その言葉は遠い昔に本で読んだことがあった。でも、その意味は忘れてしまっていた。

 「うん、友達!一緒に遊んだり、お話したり、お菓子を食べたりするのが、友達さ!多武峰の家には、僕と同い年の子が誰もいないんだ。泣き虫な義妹はいるんだけどね……。だから、お願い、僕の友達になってよ!」

 それは、私にとって、とてもとても、言葉では言い表せないほどに素敵なことに思えた。

 「うん、なる。私、ともだち、になる!」

 私は、飛鳥が止めるまで、何回も頷くのを繰り返した。

 「うん、よろしくね、シルヴィア!」

 彼が私の名前を呼んでくれる。それだけで、私はとても幸せな気持ちになれた。だから、私も、彼の名前を読んでみる。

 「あ、あすか……?」

 彼に名前を呼ばれたとき以上に、私の心は暖かくなった。

 「あすか、あすか、あすか!」

 私は、何度も彼の名前を口に出してしまう。彼は、ただ困ったように笑った。

 そんな他愛もなくも、幸せな時間は、しかし、唐突に打ち切られた。

 「……飛鳥様、どこにいらっしゃるのですか?魔術の勉強の時間ですよ!」

 不意に外から聞こえてきた声。それは、飛鳥を探す声だった。

 「いや、行かないで、あすか!」

 私は、本能的に悟っていた。この声は、私と彼を引き裂くものだと。私は、彼の胸に抱きついた。

 「行かないで、あすか。ずっとここにいて……」

 赤子のように泣きついた私の背中を、彼は優しくさすってくれた。

 「ごめん、今は行かなくちゃだめなんだ」

 飛鳥は、私の足首に巻かれた鎖に触れながら言う。

「……でも、約束するよ!絶対に明日も来る!明後日も!その先も!そして、いつの日か、ここじゃない、もっと明るくて広い世界に、二人で行くんだ。そうすれば、僕たちはずっと一緒にいられる、だから、約束だ!」

 私は、彼の小指に、自分の小指を絡めた。その行為が約束を意味することを私は初めて知った。

 「うん、約束する!」


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