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飛鳥VSシルヴィア

「咲夜を解放するんだ、シルヴィ」

黒猫の仮面、すなわち、『紅蓮の死神』の仮面を纏ったまま飛鳥は告げる。

「義兄さん!私は平気よ!」

 咲夜が答える。

「よかった、咲夜が無事で……。もう一度だけ言うよ、シルヴィ! 咲夜を解放するんだ!」

 シルヴィアは、一瞬だけ顔をしかめた。それは、割れた窓からかすかに差し込む朝陽に対してかあるいは別の何かに対してか、彼女自身にも分からなかった。

「……ええ、分かったわ。咲夜ちゃんは放してあげるわ。……でも、一つだけお願いを聞いてくれるかしら。私と全力で戦ってほしいわ、飛鳥!」

「……っやっぱり、そのつもりで」

 覚悟していたこととはいえ、飛鳥は言葉に詰まる。仮面は表情を覆い隠してくれるが、心の動きまでは隠してはきれない。明らかに飛鳥は動揺していた。『紅蓮の死神』として、幾多の戦いにおいて、感情を殺し続けて戦場を渡り歩いてきた彼といえども、その例外ではなかった。

「……シルヴィ、聞いてくれ。今の俺は、『忠誠の誓約』によって、2つの命令に従わなければならなくなっている。一つは、何があっても咲夜を助け出すこと、そして、もう一つは、吸血鬼シルヴィア・フォン・ヴァイサリアス、……つまり、君の完全なる抹殺だ。だから、シルヴィ、これが最後のお願いだ。この街から、俺の前から、早く逃げてくれ、頼む、お願いだから……」

 仮面で表情は隠せても、悲痛な声色ばかりは隠せなかった。

「シルヴィア、私からもお願い……。私も、二人には、義兄さんとあなたには戦ってほしくないわ!」

囚われの身である咲夜も、また懇願する。しかし、二人の兄妹の切なる願いは、吸血鬼には届くことはなかった。

「いやよ!」

シルヴィアのその一言は、飛鳥にとっては予期されたものであった。けれども、飛鳥は、深く長いため息を付いた。飛鳥は考える。どこで間違えたのか―7年前彼女と出会ったことが間違いだというのならば、そんな答えは受け入れられない。何を間違えたのか―彼女を好きになったしまったことが間違いだというのならば、やはりそんな答えは認められない。どうすればこの結果を回避できたのか―そして、飛鳥は、自嘲気味に笑う。どうあっても、シルヴィアならば、飛鳥が好きになったシルヴィアならば、必ず、『紅蓮の死神』=飛鳥の前に立ちはだかっただろう、と。

飛鳥も覚悟を決める。いや、正しくは、決めていたはずの覚悟を思い出した。

「……分かったよ。俺も、君からはもう逃げない、逃げないよ!」

 黒猫の仮面を、『紅蓮の死神』の仮面を外しながら、飛鳥は答える。しかし、それでもなお、彼は、自身の指がどうしようもなく震えていることを自覚する。自分の心に嘘をついていた。本当は逃げ出したくてたまらない。彼女と対峙することがどうしようもなく怖い。でも、シルヴィアが愛する飛鳥()でいるためには、もう逃げる道なんて残されていない。

「……俺は、『紅蓮の悪魔』としてではない、命令されたからではない、俺は、俺自身の意志で君と戦うよ! これは俺の戦いだ」

 そして、飛鳥は、黒猫の仮面を床に放り投げた。

「ええ、それを聞いてとても嬉しいわ。飛鳥! 私が貴方を倒して、貴方を私のものにしてあげるわ!」

 シルヴィアは、自身の影の中から剣を取り出した。それから告げる。

「約束どおり、咲夜ちゃんは解放してあげるわ。……早いところ、逃げた方が身のためだわ、咲夜ちゃん!」

 しかし、咲夜は動こうとしない。

「咲夜、このホテルの下には、多武峰家の魔術師が集まってきている。彼らに保護してもらうんだ、さあ早く!」

 飛鳥の指示にも、しかし、咲夜は、首を横に振る。

「それはいやです。私は、二人が戦うのは嫌です。だから、どうしても戦うっていうのなら、私は……」

「咲夜!……俺は、戦っているときの俺の姿を、あまり咲夜には見られたくないんだ」

 咲夜にとって、義兄のその言葉はどうしようもない殺し文句だった。彼女はそれ以上続けることができなくなった。

「義兄さん……。その言い方はずるい。そんなことを言われたら私は……。分かりました。この場は義兄さんの言うとおりにします。でも、勘違いしないでください。私は、これから当主様にお会いして、当主様が、義兄さんに下した命令を取り消すようにお願いに参ります。もう二人が戦う理由なんか……。だから、私が戻ってくるまで、義兄さんも、……それからシルヴィアも、死なないでいてください!」

 涙をこらえながら、咲夜は、最上階スイートルームから走り去った。


「優しい子だわ、咲夜ちゃんは……」

二人だけになった部屋で、シルヴィアは微笑む。シルヴィアは、影でできた剣の先を飛鳥に向ける。

「ああ、まったく、俺には過ぎた義妹だよ」

飛鳥は頷き、彼の手にも剣の形を模した炎が宿った。炎属性第4位階魔術『煉獄剣(インフィルノ)』であった。赤い炎の剣は、決意を固めた飛鳥の顔を照らし出す。

「ねえ、一つ、聞いてもいいかしら?もし、攫われたのが、咲夜ちゃんじゃなくて、私だったら、貴方はどうしていたかしら?」

 差し込んだ陽の光に照らされて、シルヴィアは、悪戯げに飛鳥に問いかける。

 飛鳥は、煉獄剣(インフィルノ)をシルヴィアに向ける。

「……その答えは7年前と何も変わらない。……たとえ、世界全てを敵に回しても、俺は、君を助け出す!」

「……やっぱり、貴方のことが大好きよ、飛鳥!!」

 シルヴィアが、吸血鬼が誇る圧倒的な瞬発力を以て、飛鳥の目前に迫った。常人の目には、彼女が瞬間移動したようにも映っただろう。すかさず繰り出されたシルヴィアの影の剣の一撃を、飛鳥はかろうじて煉獄剣(インフィルノ)で受け止めた。影の剣と炎の剣がぶつかり合って、そのまま拮抗した。

「流石だわ、飛鳥!」

「……っう」

余裕の表情を浮かべるシルヴィアとは対照的に、飛鳥は、額に脂汗を滲ませる。彼我の剣の性能が互角であるがゆえに、使い手の力の差が歴然となる。

 「っ!!」

 飛鳥は、シルヴィアの力任せの一撃を受け止めきれず、ついには弾き飛ばされた。しかし、飛鳥は、自身が弾き飛ばされる前に、魔術で炎の翼を展開していた。そして、飛鳥は難なく着地してみせる。

 飛鳥は、すぐさま、反撃の魔術を繰り出す。

黒炎弾(デス・バレット)!」

 人の頭ほどの禍々しい黒い火の玉がシルヴィアを襲う。シルヴィアもすぐに、全身を覆うように影の鎧を展開する。黒炎弾(デス・バレット)は、あらゆる魔術を死に絶えらせるほどの炎ということからその名が付けられたという。シルヴィアの固有能力である影と、死の業火が激突する。いくら、選帝侯クラスの吸血鬼といえでも、耐えきるのは容易ではないように思われた。

 しかし、シルヴィアの影の鎧は微塵も揺ぎはしなかった。

「……これでもだめか」

 飛鳥は驚きを禁じえない。彼が敵対した魔術師の中で、黒炎弾(デス・バレット)を受けてなお、立っていられたものなど数えるほどもいなかった。飛鳥の背中を嫌な汗が流れる。勝ち方を選んでいる余裕はどうやらないようだった。

「今度はこちらの番よ! 『千影』の異名を持つ私の実力を見せてあげるわ!」

無数に別れたシルヴィアの影が飛鳥に襲いかかった。それは、まるで、吹き荒れる黒い死の雨のようであった。

「『不死鳥の召喚サモン・オブ・フェニックス!』

 しかし、飛鳥は、再会した日に一度、この攻撃を受けていた。無論、そのときと比べて、影の数も密度も段違いであった。シルヴィアは全力で殺しに来ていた。それは彼女なりの敬意の表し方であり、また、飛鳥に向けられた信頼の裏返しとも言えた。ゆえに、飛鳥は、これぐらいの攻撃であっさりくたばってしまうわけにはいかないと意地でも思う。

とはいえ、無数に襲い来る影を全て回避することは、たとえ、吸血鬼以上の身体能力があっても不可能だ。ゆえに、全方向からの攻撃を完璧に防ぎきる魔術が唯一の答えであった。

 紅蓮の炎を纏った怪鳥(フェニックス)が、その羽で飛鳥を包み込んだ。不死鳥は、数え切れぬほどの影の攻撃から、飛鳥を守り続ける。不死鳥は甲高い叫び声を上げる。しかし、それでもシルヴィアの影は、不死鳥の翼を打ち破ることは決してできなかった。不死鳥は、無数の攻撃を、その名のとおりの無限の回復力を以て受け続けた。

「俺の魔力が尽きる前に、君の体力が尽きる!そうすれば、俺の勝ちだ、シルヴィ!」

不死鳥に守られたまま、飛鳥は告げる

 何百何千、いえ何万何億という影を操り続けているシルヴィアと、ただ不死鳥を召喚し続けるだけでいい飛鳥。どちらが先に根を上げるかは明らかであった。

「……そうね、だったら、私も久しぶりに本気を出そうかしら!」

 シルヴィアは、限りなく楽しそうに笑う。その意味はすぐに明らかになった。

「……まさか!?」

 シルヴィアの影が再び分岐を始める。もはや無数という表現では不適切なほどに。それこそ、無限と呼ぶにふさわしいほどに。そして、この部屋中全てを、その黒い色で埋め尽くさんばかりの影を従えて、シルヴィアは言う。

「この無限の影アンリミテッド・シャドウを、貴方の不死鳥は受けきれるかしら?」

 黒い影の津波が、飛鳥に襲いかかる。不死鳥はやはり受けたダメージを即座に再生する。けれども、無限に続く攻撃は、圧倒的な再生力を持つ不死鳥にすら、回復の隙を与えない。欠けた羽根や砕けた翼爪は再生するよりも先に破壊される。綺麗な絵画の上に流され続けた墨が、やがてその絵画全体を黒く塗りつぶすように、不死鳥は力任せに押しつぶされた。

「……っう、ぐ、はあはあ」

 無限の影アンリミテッド・シャドウは、飛鳥の両手両足を貫いて、彼の身体を完全に拘束した。シルヴィアは、影の刃が突き刺さったままの飛鳥の身体を宙に浮かべる。

 「私の勝ちね、飛鳥!」

 シルヴィアは、飛鳥の顎をその手で持ち上げて宣言する。そして、そのまま、飛鳥の唇を奪った。

 「……痛くして、ごめんなさい、飛鳥。でも、貴方を捕まえるためにもこうするしかなかったわ。許してくれるかしら」

 シルヴィアは、思わず飛鳥の全身の傷とそこから流れ出す血から目を背けた。どこか悲しげなその顔を見て、飛鳥の覚悟が揺らぎそうになる。その心の揺らぎに漬け込むように、『忠誠の誓約』の呪いが飛鳥の心を支配しようとする。「シルヴィア・フォン・ヴァイサリアスを抹殺せよ」、その呪いは、飛鳥の感情を圧殺してその意志を支配しようとする。

「……っうるさい、黙れよ」

飛鳥は、小さく毒づき、その呪いを跳ね除ける。『紅蓮の悪魔』に飲み込まれるわけにはいかなかった。避けられぬ運命だとしても、自分の意思ではなかったと言い訳はしたくなかった。苦しんで悶えて絶望しても、自分の意思でやったことだと言いたい。彼女が愛してくれた自分に恥じたくはなかった。

「さあ、飛鳥、降参してくれるかしら? やっぱり貴方はすごいわ。私に、無限の影アンリミテッド・シャドウを使わせた人間は、貴方だけだわ。もう、私にはこうするしかなかったわ……」

 飛鳥は不敵な笑みを浮かべて、言い返す。

「ああ、まったく、こうするしかなかったよ、君を捕まえるためにはね!不死鳥(フェニックス)!」

 飛鳥の呼びかけとともに、部屋の片隅の小さな灯火となっていた火の鳥は蘇った。圧倒的な暴力に押しつぶされても、必ず舞い戻る。復活する意志さえあれば、無限に再生する。それが『不死』の鳥である所以だ。

「……まずいわ」

 このとき初めてシルヴィアの表情に焦燥の色が浮かぶ。彼女は、本能的に距離を取ろうとする。無限の影アンリミテッド・シャドウは、シルヴィアの最後の切り札であった。ゆえに、発動後の消耗は計り知れない。全力を解放した直後の彼女の影では、至近距離からの不死鳥の業火を受けきれるはずもなかった。

「いいや、逃がさない!」

 飛鳥は、腕の出血を顧みず、右手と左手で、自身の腕を貫く影を掴んで離さない。飛鳥を捕らえていた影の軛は、シルヴィアの命取りとなる。

「これが俺の覚悟だ、来い!不死鳥(フェニックス)!」

 飛鳥とシルヴィア、二人を飲み込んで焼き尽くさんとばかりに、不死鳥が咆哮する。


 そしてその瞬間だった。


 飛鳥とシルヴィア、二人の足元は不意に光りを放ち、そして跡形もなくなるほどに爆発して消失した。


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