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多武峰道元

「ほほう、それは困りますな」

 姿を現したのは、齢80歳ぐらいの杖をついた小柄な老人だった。

「誰かしら、あなたは?」

シルヴィアは、警戒心をむき出しにする。並の吸血鬼よりも遥かに鋭い彼女の感覚を以てしても、直前まで気配を感じさせなかった。見た目こそ非力な好々爺然としているが、得体が知れない。

「この老骨に用がお有りになって来られたと伺っておりましたが……。ほほう、そういえば直接見えるのは初めてでしたかな、ヴァイサリアス選帝侯シルヴィア殿よ?」

「……そう、分かったわ、あなたが多武峰道元でいいわよね?」

「いかにも、多武峰家現当主、多武峰道元とは、わしのことよ。それにしても、随分と派手なご訪問ですな」

 屋敷の正門は大砲でも打ち込まれた後のように木っ端微塵に破壊されていた。正門付近に詰めていた多武峰家の人間の大半も、すでに、シルヴィアの手にかかっていた。そのような状況を前にしても、なお、道元は、落ち着いていられるだけの余裕があった。

「当主として、出迎えに参上できなかった非礼を詫びさせていただきましょうか。ですが、その前に、咲夜を返してもらいましょうかの、千丈の氷華サウザンド・アイスエッジ

 急速に周辺の気温が低下し、道元の頭上に無数の氷の刃が出現する。そして、雨のように、シルヴィアに降りかかった。

「……っ」

シルヴィアは、咲夜の拘束を解いた。続いて、自身の身体を守るように全方位に影を展開する。シルヴィアの影は氷の暴風雨から、彼女の身体を守り抜いた。

「ほう、あの量の攻撃をすべて防ぎますか。恐ろしいものですな、選帝侯クラスの吸血鬼というのは、いやはや……。しかし、咲夜を取り戻せただけでよいとしましょうか」

 道元は、なおも余裕の笑みを浮かべている。

 千丈の氷華サウザンド・アイスエッジは、氷属性第5位階魔術である。広範囲を氷雨で襲う強力な魔術ではあるが、最強クラスの吸血鬼を倒せるほどのものではない。道元もそれが分かっていたからこそ、魔術を全て防がれても、余裕でいられるのだ。むしろ、咲夜をシルヴィアの手から取り戻したことによって、条件は五分になったとさえ言えた。

「……ヴァイサリアス選帝侯よ、我々の過去には、確かに不幸な行き違い、いえ、過ちがあったことは否定できないでしょう。けれども、それはもう、7年も前のことではありませんか?選帝侯となられた今、過去に囚われて、我々と争うよりも、より有益なことが……」

「黙りなさい!」

 シルヴィアの影が道元の周囲の地面を穿つ。しかし、道元は微塵も怯んだ様子は見せずに続ける。

「……あるのではないでしょうか?例えば、選帝侯閣下と我々多武峰家が手を組んで、日本魔術師協会を打ち倒すというのはいかがですかな?そうなれば、この国の全てが閣下のものとなるわけです。閣下はいかなる望みをお持ちでしょうか?もし、教えていただければ、協力することも……」

 シルヴィアは、凄惨な笑みを浮かべて答える。

「……いいわ、教えてあげるわ。私の望みは、飛鳥を私のものにすること、そして、その障害になるあなたたち多武峰家の滅亡だわ」

「残念ですな、交渉決裂の余地がないとすれば……」

「殺し合うだけだわ!」

 先手を打ったのはシルヴィアだった。影を伸ばして、道元の身体を貫こうとする。道元は、持っていた杖で地面を軽く叩いた。氷壁が地中より出現し、道元を守る巨大な盾となった。しかし、シルヴィアの影は氷の壁を容易く砕ききった。

「死になさい!」

シルヴィアの影が道元の心臓を貫こうとする。その瞬間、シルヴィアは、右側面からの強い衝撃を受けて、屋敷の壁に叩きつけられた。見ると、先程までシルヴィアが立っていた右側の壁から、氷でできた巨大な拳が生えてきていた。

罠魔術(トラップ)ってところかしら?」

「左様。予め、魔法陣を書き、魔力を充填しておくことで、任意のタイミングで発動できるのが、罠魔術……。魔術師の邸宅を襲う際には、真っ先に警戒しておくべき基本中の基本ですな」

 魔術師の邸宅とは要塞も同じ。無数の罠魔法を張り巡らせ、自身の研究を狙う外敵から身を守るのが魔術師の習性である。ゆえに、多くの魔術師は、自身の邸宅や拠点とする街に魔法陣や結界を貼り、有利に戦えるようにしていた。

「……少しはやるみたいね」

シルヴィアは、叩きつけられた衝撃から立ち上がって、再び影を纏う。

「流石にあれぐらいでは、何ともありませんか。いやはや、仕方ありませんな。こうなっては、完全に潰れて動けなくなるまで、叩き続けるほかありませんな」

 道元が二度地面を鳴らすと、今度は、四方向から同時にシルヴィアに向かって、氷の拳が襲いかかった。シルヴィアは、影で全身を纏って、攻撃を凌ぐ。しかし、四方向からの氷の拳は、その手を休めない。

「氷属性第5位階魔術氷人の一撃(フロスト・インパクト)の味はいかがですかな。先ほどの千丈の氷華サウザンド・アイスエッジと違って、この拳は、敵をすり潰すまで決して攻撃をやめないものでしての……」

 道元は愉快そうに笑うが、その目は冷徹な色を浮かべている。

「……へえ、半自動で起動している魔術だったら、あなたの魔力が切れるのを待っても仕方ないってわけなのね」

 シルヴィアの影が鞭のようにしなって、4つの氷拳を瞬時にバラバラに引き裂いた。

「これでネタ切れってことはないわよね?」

「そ、そんな、まさか……!?」

 シルヴィアは影から剣を生み出して、ゆっくりと道元に向かって歩き出した。

「ひ、や、やめろ」

 一歩シルヴィアが近づく度に、道元の顔がその分恐怖の色を浮かべて引き攣ったものになる。

「や、やめてくれ……。後生だ。金ならいくらでも払う。わ、わしにできることなら何だってする、だから、お願いじゃ」

道元は、破れかぶれになって、低位の氷属性魔術を乱射する。無論、シルヴィアは、その全てを、影で完璧に払い除けた。

「お願いだから、助けてくれ、頼む、このとおりだ」

恥も外聞もなく土下座までして哀願する老人に、しかし、シルヴィアは冷酷に告げる。

「7年前、あなたが飛鳥と私にしたこと、そして、この7年間、あなたが飛鳥にしてきたことを……こんなことなんかで許されると思っているのかしら!?」

 シルヴィアは、地面にこすりつけんとばかりの道元の後頭部を靴で踏みつけた。

「教えてあげるわ。この私がもっとも我慢できないことは、飛鳥に対する侮辱だわ。あなたのやってきたことは、彼の尊厳を汚して、その心を踏みにじった。せめてもの慈悲よ、楽に死ねるだけでも、感謝しなさい!」

「や、やめ」

 シルヴィアは一瞬の躊躇もなく、道元の首を剣で刎ねた。



「他愛もないわ。多武峰道元が死んだ以上、飛鳥は……」

 シルヴィアは剣を影に戻すと、道元の死体に背を向け、歩き出した。すでに彼女の脳内に多武峰道元のことはなく、あるのは、飛鳥のことだけだった。

「明日の朝、学校で会ったら何から話そうかしら?道元を殺したことを褒めてくれるかしら?もしかして、そのままプロポーズされちゃったりして?あ、でも、日本だったら、飛鳥が18歳になるまで結婚できないのだったかしら?……それなら、魔術師協会の楠あたりを脅して、この国の法律を変えさせようかしら……」

道元が死んだ今、飛鳥とシルヴィアの未来を阻むものはない。

そう、それは死んでいればの話だった。

「人を勝手に殺さないでいただけますかな?」

首から上を跳ね飛ばされたはずだった。それにも関わらず、多武峰道元は立ち上がっていた。そして、切断面から肉の再生が始まり、完全に首から上が元通りに戻った。

「いやはや、首を刎ねられたのは本当に久しぶりだったので、回復に時間がかかりましたの……」

「私たち吸血鬼よりもよっぽど化物じゃない……」

数十本に別れたシルヴィアの影が、道元の身体を今度は、串刺しにする。

「吸血鬼に化物呼ばわりされるとは心外ですな」

 道元の傷口は、影が貫いたそばからすぐに再生を始める。まるで、テレビの逆再生を見ているように。

「わしの研究テーマは『不老不死』でしてな……。7年前、当時はまだ子供だった吸血鬼、つまり、閣下のことを買ったのもそのためだったのですよ。あのときは、あの愚か者の飛鳥のせいで、せっかくの研究対象だった閣下を取り逃がすことになってしまいましたが……。ですが、その後も研究が進み、ついに、わしはほとんど完璧な『不老不死』に至った……」

「不老不死ね、少々厄介だわ……。でも、脆弱な人間の身体が多少頑丈になっただけで随分と大げさだと思わないかしら。調子に乗っているところ悪いけれど、状況は何も変わっていないわ。あなたに、私を倒すだけの力はないということに変わりはないもの……」

 シルヴィア自身が認めるとおり、彼女に『不老不死』の道元を殺すことは難しい。けれども、道元がシルヴィアを倒すこともまた難しい。道元はつまるところ、第5位階魔術までしか使えず、それでは、シルヴィアに致命傷を負わせることはできないからだ。

双方決め手を欠くというこの状況で、しかし、道元は高笑いを始める。

「ヴァイサリアス選帝侯よ、確かに、わしの魔術では倒すことは叶わないだろう。そう、わしの魔術ならば……」

「まさか!?」

 シルヴィアは、不意に気配を察して、後ろを振り返る。

 そこには、見知った黒猫の仮面を被った少年が立っていた。

「あ、飛鳥なの?」


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