プロローグ1
5月11日 夕暮れ
西条市郊外の森林地帯
男たちは夕闇の迫る森の中をひたすらに走っていた。彼らは全員、悪鬼に追われているかのような形相をしていた。そして、西の空に沈んでいく太陽を追いかけるように、鬱蒼とした山林の中を逃走していた。男たちの中の一人が走りながら言う。
「……篠宮隊長、このままでは我々は、全滅です。やはり、あんな化物に挑むべきではなかったのです。協会の上層部は何も分かっていないではないですか!」
篠宮と呼ばれたリーダー格の男は首を振って言い返す。
「今更、そんなことを言っても仕方なかろう。無駄口を叩かず、今は生き延びることだけを考えろ……来るぞ、最後尾、気をつけろ!」
篠宮の警告の直後、集団の後方を走っていた男の身体が突然、紅蓮の炎に包まれた。
「うわああああああああ、熱い、熱いよ、た、助けて……」
その男の断末魔の叫び声が夕暮れの森に響き渡る。そして、そのまま炎上した男は倒れこんで動かなくなった。物を燃やしたとき特有の嫌な臭いが周辺に広がる。男たちは、みな足を止めて、息を飲んだ。
「篠宮隊長、さ、崎山がやられました!」
「そんなことは言われんでも分かっとる。……おい、木嶋、何をしている」
木嶋と呼ばれたスキンヘッドの大柄の男は、数秒前まで篠山であった黒焦げの遺体の指から指輪を外そうとしていた。
「せめて、何か形見を持って帰ってやらないと……。あいつ、この前、二人目の子どもが生まれたばかりなんですよ!そうしないと、俺、どんな顔して崎山の嫁さんに会えばいいんですか……」
隊長の篠宮とて、涙ながらに訴える部下の心情は痛いほど分かる。けれども、今の自分たちは、逃走中の敗残兵であり、足を止めている余裕などなかった。
「木嶋、お前の気持ちは察するが、今は許可できん。そんなことをしている時間はない。今こうしている間にも、あの死神は、俺たちの命を狙ってい……え、ん、だぞ」
篠宮は、驚愕の表情を浮かべたまま、倒れ込んだ。己の胸から炎で出来た槍が突き出ているが、彼が見た人生で最後の景色であった。
「……し、篠宮隊長!ちくしょう、隊長を囲むように、円陣を組むんだ。敵はどこから襲ってくるかわからないぞ」
木嶋以下生き残りの4人は、篠宮の遺体を囲み、全方位に向けて警戒を強める。
「敵は、死神一人だ。油断せずに落ち着いて……」
木嶋は、仲間たちを安心させようと声をかける。直後、仲間の一人が警告の声を発した。
「木嶋さん、上!!!」
「……冗談……だろ!?」
頭上に浮かんでいたのは、巨大な燃える岩石であった。巨大火山噴火の際に吐き出されるようなそれは、彼ら4人の立っている場所に迫っていた。そして、それは、彼らにとっては明確な死の宣告に等しかった。
「炎属性第6位階魔術、天の崩落……まさか、そんな」
直後、4人のいた場所を中心に半径100メートルほどの面積は、文字通り、消し飛んだ。木々はなぎ倒され、地中の微生物すら焼き尽くされ、爆風が森中を揺らした。ほんの一瞬で、そこは、戦略爆撃を受けた後のような地形となった。
「……」
爆風が収まると、およそ全ての生命が死に絶えたその場所に、一人の少年が姿を見せる。外見は、どこにでもいそうな高校生ぐらいの少年だ。ただ、一つ特筆すべき点があるとすれば、黒猫をモチーフにした仮面を被っているところか。仮面を被っているため、顔やその表情はまったく分からない。
「生存者は……いないな。許してくれとは言わない。でも、せめて、君たちの来世での幸せを祈らせてはくれないだろうか」
どこか、感傷的な口調で仮面の少年はそう呟く。そして、目を閉じ、手を合わせて黙祷しようとしたとき、かすかな呻き声が彼の耳に入った。否、入ってしまったというべきだろう。
「……ぐ、紅蓮の死神、多武峰家の魔術師殺しめ!」
少年がその名を知る由もないが、その男は、木嶋であった。天の崩落の直撃する瞬間、仲間の一人が、彼を守るように魔術による障壁を展開した。その捨て身の献身によって、彼は重傷を負いながらも、一命を取り留めていたのだ。全身の出血と火傷の激痛によって、意識が混濁しそうになりながらも、しかし、木嶋の視線は、憎悪の色をたたえて少年に注がれていた。
「き、きさま、よくも仲間を……」
木嶋の手から、槍の形をした雷が発生して、仮面の少年を襲う。
しかし、少年の身体を覆うように展開した炎の障壁が、電撃の槍を弾き飛ばして、霧散させた。
「ちくしょう、この化物め!」
悪態をつく木嶋とは対照的に、少年は、無言のまま、炎の槍を生成して木嶋に向ける。
「っ……明美」
木嶋はその瞬間死を覚悟した。そして、胸にかけたロケットを掴んで、目をつぶった。
「……っ!」
少年の躊躇は一瞬だった。だが、ほんの一瞬とはいえ躊躇した。そして、少年の手中の炎槍は、木嶋の心臓を貫いた。木嶋の身体はすぐに動かなくなった。
少年は、大きく見開かれた木嶋の目を閉じる。そして、彼の首にかかっていたロケットの中身を見た。中には妙齢の女性の写真が入っていた。この男の恋人か妻かあるいは姉妹かもしれない。けれども、少年にはそれを知る術はない。ただ、写真の中の女性はとても気が強そうで、そして、その目はどうにも少年自身を睨んでいるような気がした。
「そんな目で睨まないでください。俺のことが憎くて仕方ないですよね。この男は、あなたのとって大切な人なのですよね。それでも、俺はまだ死ぬわけにはいかないんです……」
少年は、ロケットを、男の死体に戻しながら、そう呟く。
数多の死体の山を築き上げ、億千の憎悪と憎しみを引き受けることになろうとも、少年―如月飛鳥―には、たった一つの守るべき約束があった。
「彼女に、まためぐり会うまでは」




