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3.滅びゆくトキ

ようやくトキの姿が(TVに)。

「さっきのかよちゃんさ、ほら、金物屋の哲ちゃんのとこに嫁にいった池端のかよちゃんだよ」

 集会室に戻ってから、源三が教えてくれた。

 池端のかよちゃん。

 覚えている。小学校の頃から人気者で、可愛くて気の優しい良い子だった。金物屋の哲夫は悪餓鬼仲間で、だから彼らが結婚したときには大いに驚いた。

「かよちゃんと哲っちゃん、去年の春までここに居たんだ」

 初耳だった。とうの昔に引退して息子夫婦に後を譲ったのは知っていたが。

「このご時勢でも、細々とやってりゃあ良かったんだ。だけど銀行の融資話にのって、結局貸し剥がしに遭っちゃって」

 金物屋は倒産、息子夫婦は行方不明だという。

「生きてはいる、らしい。でも滅多に連絡は入らない。当然だよな、ここまで銀行が取り立てに来たくらいだ。

 入所料が払えなくなって、哲ちゃんとかよちゃんは出ざるを得なくなった。でも土地も家も担保に取られて、帰るとこもないしさ。年金しか収入のない老人ふたりじゃ保証人もなくてアパートにも入れない。借金だらけで医療や介護の保険料も払えない。あとはお定まりのコースだ」

 そこまで一気に喋って、源三はため息を吐いた。

「橋北に公園あるだろ。あそこでホームレスやってんだ」

 ホームレス。

 可愛いかよちゃん、悪餓鬼の哲夫。そのふたりが。

「おまえ、それを知ってて」

「知ったのは、今年の春だ。ホームの花見で出かけて、そこで偶然逢ってさ。

 水臭いって言ったよ、俺だって。小さくても会社の会長だ、保証人くらいにはなれる、そう言ったさ。生活保護申請する間くらいは面倒みてやるって。でも」

 源三は膝の上に顔を沈めた。

「かよちゃんが、イヤだって。イヤだっていうんだ。自分達でできるうちは誰の世話にもなりたくないって。

 それに、生活保護は枠が狭い。役所の連中、なんのかんの言って先のない年寄りに保護の枠なんざ回してくれやしないさ。働く場所のない、働けない人間に働いて稼げって言うだけだ。いいや、若者にだって十分な枠はない。

 俺だってわかってる、わかってんだよ。この国にはもう、弱者を救うだけの余力がないってことを」

 源三は、泣いていた。

 不甲斐ないと。

 自分が、この国が、不甲斐ないと。

「俺達は無い知恵絞って考えた。俺達で哲ちゃんとかよちゃんを助けられないかって。でも俺達にできることは限界がある。金もない、権力もない、己の体すら十分に動かせない俺等ができることは」

 それでアルミ缶か。

 彼らの行動にようやく合点がいった。

 アルミニウムは原料のボーキサイトから精製するのにかなりの電気エネルギーを要する。それより既にアルミ製品になったものを再資源化したほうが断然得なのだ。鉄やアルミ製品はかなり早い時期から再資源化しているが、アルミ缶は重量のわりに取引価格も高いので、集めて売ればそこそこの金額にはなる。

 アルミ缶を集めて回る二人のために、入所者達も缶を集め始めたのだ。近年ペットボトルが普及し、また鉄缶も薄く丈夫に作れるものだから、アルミ缶の使用は減ってきている。集めるだけでも一苦労だ。それでもごみ集積場にはアルミ缶が多数出されるので、それを狙って集めて回る者も多い。

 本来は、市のごみ置き場に置かれたごみは市の、施設に溜まったごみは施設の財産になる。ごみに出されているからと迂闊に手を出すと窃盗罪が成立するわけだ。といっても、缶拾いで生計を立てている人間は大概大目に見てもらえる。戦後しばらく子供が磁石を引きずってクズ鉄を集めていたが、その延長のようなものか。

 廃棄物業者に金を払って引き取ってもらうのに財産というのも妙な話ではあるが。

 ともかく入所者たちはそれに目をつけた。

 ごみ置き場にかよちゃんたちを引き入れ、アルミ缶を拾わせることにしたのだ。それも、出入りの回収業者に取られないよう日ごろは部屋に溜め込んで、かよちゃんが来る直前に置きに来るという周到(しゅうとう)ぶりだ。

 だがアルミ缶で稼げる額はたかが知れている。おまけにホームレスは年々増え、アルミ缶拾いは縄張り争いの様相を呈している。

 まして、これから冬に向かう。温暖化だ暖冬だと言っても、年寄りに野宿は厳しかろう。

「ふたりがどこまで頑張るのか、頑張れるのかわからない。俺たちだって、この不況がこれ以上続けばどうなるか」

 平成という新時代が始まって早々、20世紀のうちに、踊った者のみならず踊らなかった者も巻き込んでバブル景気は弾けた。ノストラダムスの恐怖の大王は空から訪れず、不況という名の流行病として静かに蔓延していった。そしていまや、不況の時代しか知らない子供達が社会に出ようとしている。

 いや。

 社会に出られないでいるというべきなのか。

 脳裏に、テレビ番組のように映像が流れた。

 圭太のように、病院の廊下に背を丸めて並ぶ若者達の姿。

 圭介のように、健康になるために疲弊していくサラリーマン。

 かよちゃんのように、老人車に縋り、アルミ缶を集める老人。

 路上やネットカフェとハローワークとを往復する老若男女。

 公園や橋下に並ぶダンボールハウスやビニールシート。

 毎年数万人に至る自殺者たち。

 なにかが間違っている、それは判っているのに。なぜなのか、どうすればいいのか判らない、どうすることもできない苛立ちが鳩尾を刺した。

 悔しさに、どこへも向けることのできない憤りに顔を伏せる。そんな私の背中を、お気楽なテレビの音声が叩いた。

 腹立たしさに振り返る。

 翻る白。目を引く紅。

 薄型テレビの大画面に、翼を広げて飛ぶ鳥の姿が映っていた。

 佐渡のトキ、ニッポニア・ニッポン。

 先ほどから目の隅に映じていたのはこれだったのだろう。

 カメラは、今年も放鳥されたトキを追う。数羽ずつの小さな群れは、合流したり分離したり、未だ安定にはほど遠い。だがいずれ数を増し、範囲を拡大していくことだろう。日本の空にトキが再び帰ってくる。

 これは救いだと誰かが言った。

 だが、日本のトキは絶滅した。いま空を舞うのは、中国大陸にいたトキの子孫達だ。

 日本産のトキも中国産のトキも、生物学的には同質だという。生物学的には、日本で絶滅したのは野生のトキだけで、ニッポニア・ニッポンは生き残っているのだと。

 そうかもしれない。それが正しいのかもしれない。

 理性では理解している。けれど私は、私の感覚の中では、ニッポニア・ニッポンはキンが死んだ時点で滅びたのだと思っている。小さなケージの中で、ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥の最後の一羽は、老いさらばえて孤独に死んでいったのだと。

 それは、まるで。

 わたしたちのようだ。

 そんな思考が閃いた、そのとき。

 介護スタッフが集会室に入ってきた。

「昼食ですよ、みなさん食堂に集まってください」

 食事を告げるその声に老人達の群れはゆっくりと動き出す。動かない手足を動かし、今日の糧を求めて。

 自力で十分に動けない車椅子の入所者を、介護スタッフたちは手分けして軽やかに連れ去って行く。

 どうしてだろう。

 その瞬間、すべてが繋がった気がした。

 視線の先、忙しく立ち働いている介護スタッフはみな外国人だった。

 先年、労働力不足を補うためと称して外国人労働者を受け入れる法案が通った。見回せば働いている若い世代は外国人が多くなっている。少子高齢化が叫ばれ、労働力不足が深刻になり。

 そうだろうか。

 失業者が増えているのは、仕事を選り好みするから、楽に高額の報酬を得られる仕事以外を拒絶するからだとメディアは書き立てる。

 本当に、そうだろうか。

 彼らは、疲れてしまったのではないか。

 仕事をすることに、というよりも。

 生きていくことに。

 社会に出る前に彼らは疲弊(ひへい)し、小さなケージの隅に縮こまっている。光陰よりも早く老い、大空を飛翔することも知らぬまま最期の日を迎えようとしている。

 あとに残るのは老人だけだ。老人ホームという小さなケージに収まって、ケージの外のかつての空を見上げている。

 それはまるで。

「ニッポニア・ニッポンだ」

 私のこころを読んだように、源三が呟く。

「俺達ぁニッポニア・ニッポンだ。滅びるしかなかった野生のトキだ。

 だけど、なにが悪かったのかなぁ。滅びなきゃならんような悪いことしたんかなぁ」

 その言葉に、思い出した。

 私達はかつていっしょに、そのテレビニュースを近所の食堂で見ていたのだ。野生のトキが七羽になってしまったときも、最後のキンが死んだときも。

 かつて滅び行くトキに手向けた哀しみを、いま自分達に供えている。この国の名を持ちながら、何も語らず、何も遺さず、静かに消えていった、消えていくしかなかったニッポニア・ニッポンに自らを重ねている。

 私達は、最後のニッポニア・ニッポンなのだ。

 滅びる間際の最後の個体なのだ。


圭太郎さんの苛立ち。

一時社会問題になって、でも最近報道が少なくなっている問題です。

でも、報道が減った理由は、その事態が減ったからでは、決してないのです。

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