1.圭太郎氏の憂鬱
放鳥トキ抱卵記念作品です。(その後中止になりましたが)
書いたころには色々あれこれ時事ネタでした。いつか笑い話になればいいなぁ。
幾分、国際とか人種とかで問題になりそうな表現もあるのですが、主人公が戦前生まれの高齢男性なのでそういう流れになったということで、勘弁してください。
正午の時報と共にニュースのオープニングテーマが流れてくる。受話器の向こうでも同じ曲が流れ、同じアナウンサーが挨拶した。
ああ、繋がっているのだと、そんな些細なことで安心する。
ふと視界の隅を紅色が掠めた。テレビの画面なのか、こちらを見て歩を緩めたスタッフの制服だったのか。振り向いたときにはその色はどこにも見当たらなかった。次の瞬間にはもうそんなことは忘れて、受話器の向こうの声に、呼吸に耳を澄ませる。
「……うん、うん。じゃあお母さんに、予定通り明日十時にって言っといてくれ。うん、よろしく。じゃあな圭太」
公衆電話のフックを軽く押さえ、通信が途切れたことを確認して緑色の受話器を置いた。さっきまで玩んでいたコードがくるりと丸まって揺れる。電話機の上に並べた十円玉を数えながら小銭入れに戻し、ちらりと壁の時計を見上げた。その針の移動した角度は、消費した硬貨の枚数に対してあまりにも小さい。
電話代も高くなったな。
思わず溜息が出た。
「圭ちゃん、電話終わったかい」
それを聞きつけたのか、背後から声が掛かった。源三の声だ。
「ケイタ、電話に出られるようになったのか。心配してたろう、いい子だよなあ」
年寄りのくせに、よく聞こえる耳だ。内心舌打ちしながら振り返った。
「最近はな。この間、美和子さんと二人で買い物にも出た」
へえ、と源三が目尻のしわを展ばす。
「随分良くなったじゃないか。美和ちゃんも頑張るよねぇ」
「一人息子だもの。ほかに頼る相手があるわけでもないし」
そう返したが、本当は自分でもそう思っていた。
圭太が心を病んで引きこもってしまってから三年が過ぎていた。
圭太は、私、高津圭太郎の孫息子。美和子さんはその母で私の長男の妻だ。いや、妻だった。
長男の圭介を亡くして、もう随分になる。圭太が小学四年生の頃だったから、二十年ちかく経ったことになるのか。
蛙の子は蛙、という諺どおりに普通のサラリーマンだった圭介は、慣れない仕事先に配属になって、おまけにちょっと肩書きも付いたところだった。給料は上がらないままに夜遅くまで仕事に追われ、日々の睡眠時間は平均四時間もあっただろうか。自然に週末は家でぼんやりと過ごすことも多くなり、運動不足は自覚していたようだった。
おりしも時代は総メタボリックだった。
母方の祖父の血が強かったのか、がっしりした基礎骨格の息子は、青年時代の筋肉が徐々に脂肪へと変換されていく年代に差し掛かったことも災いし、ある年の健康診査でBMIの目標基準を突破した。
仕事熱心な保健師だったのか、それとも数値改善ノルマに追われたか。直後から電話、メール、ファックス、訪問と一、二週間ごとに健康改善の指導が入り。
公私共に追いたてられ、疲労困憊となってもなお頑張り続けた息子の代わりに、彼の心臓はあっさり自分の仕事を投げ出した。
労災は、認めてもらえなかった。
葬儀を済ませた後、美和子さんは頑張って圭太を育て上げた。反抗期には多少てこずったものの概ね素直に育った圭太は、奨学金を貰ってなんとか大学を出、蛙の孫息子としてやはり普通のサラリーマンとなった。母親似の彼はどちらかというとひょろりとしてもいたし、なにしろ若いから当分あの基準の胡散臭い健康診査には縁がなくて済む。
そう安堵していたのだが。
何が原因だったのか。
ある日突然、圭太は会社に行けなくなった。
行かなくなったのではない。行けなくなったのだ。
本人は努力した。だが会社の前で立ちすくみ、駅のホームでしゃがみ込み、自宅の玄関前で吐き戻した。嫌がる圭太を引きずって心療内科に行ったが、結果を聞く前に答は判っていた気がする。
半年の療養も効果を見せぬまま、圭太は会社を辞めた。
だが、退職してもなお、徐々に圭太の行動できる範囲は狭まっていった。
街に出られなくなり、家から出られなくなり、部屋から出られなくなった。
電話のベルに怯え、玄関のチャイムで恐慌に陥った。
家計を支える母の代わりに、私が彼の通院に付き添った。圭太はその度に、おじいちゃんごめんねと繰り返した。私もその度に、お前は悪くないよと繰り返した。
圭太が、圭太だけが悪いわけはなかった。実際、病院の廊下にはいつも、同じような年代の若者が幾人も頭を垂れて大人しく順番を待っていた。そんな彼らの姿を新聞でもテレビでも時々思い出したように取り上げて、社会現象だとか環境汚染だとか言っていたけれど、本当の原因は未だに判っていない。
いや、原因などどうだっていいのだ。どうしたら治るのか、そもそも罹らないようにするにはどうしたらいいのか。それがわかれば。
けれど答を得られぬまま、時間だけが過ぎて行った。
その静寂を平穏と取り違えかけていた、ある日。
私は倒れた。
心筋梗塞だった。幸い処置が早くて、後遺症は残らなかった。が、この事件によって私は先行きを考えさせられた。
もし今度倒れたら。
あっさりあの世にいけばそう問題ない。圭太のことは心残りだが、土地と建物は遺してやれる。保険金もあることだし、相続税くらいは払えるはずだ。ひとり息子の葬儀を済ませた後、疲れた妻は長患いの肝炎が元で先立ち、今頃はあちらで首を長くしていることだろう。
問題は、寝たきりになった場合だ。
一旦病院に引き上げた看護や介護を今更家庭に戻されても、現代の家庭はその負担に堪えられない。中途半端に生き返らせられた挙句、棺桶に片足以外突っ込んだ状態で延々生かされるのは想像しただけでぞっとした。迂闊に長生きすれば、保険料だの医療費だの介護サービス料だのの高騰が叫ばれる現在、嫁と孫に遺産どころか借金を遺すことにもなりかねない。
長患いするにしても、せめて二人の重石にならぬよう、そのときは施設で最期を迎えたい。
家族でなければ迷惑を掛けて良いのか、という点は悩まなかったわけではない。だが家で介護をすれば美和子さんは仕事を失い、たちまち食い扶持に困るのは火を見るより明らかなこと。選択肢など最初からないようなものなのだ。
退院後、私は早速近所の老人ホームに出かけて資料を貰ってきた。ざっと計算してみたところ、入所料も年金でなんとかなりそうだ。おまけにそこには、悪餓鬼時分からの友人も既に入所していた。これなら退屈せずに済むだろう。
体験入所の日程までひとりで決めた私を、美和子さんは泣いて責めたけれど、それでも当日はわざわざ休暇を取って自家用車で送ってくれた。その半日のために、三日前から仕事の配分を調整して、三日後まで残業を要すると判っていても、寧ろ判っているから、彼女の心遣いが嬉しかった。
歌手のさだまさしさんの「前夜(桃花鳥)を聞き。その歌詞を何度も読み返し。
何年も何年も卵のように抱いて来ました。
ニッポニア・ニッポンの卵はもう二度と生まれ得ない、もはやそんな時分でした。
ある日、「食堂で定食を食べながらそのTVニュースを見上げる中年サラリーマン二人」が閃いて。
そのおじさんたちが「圭太郎と源三」になったわけです。
あれ? 歌詞ではたしか新聞記事だったはずですが…
さだまさしさんと言えば。
コンサートなのにトークの方が長いという話もあるお方です。
N〇Kで「毎月のように夜中にやっている例のアレ」では、最近はちゃんと一曲は歌っています。
音楽番組(本人談)のはずなのに、以前は「一曲も歌わなかった回」もありましたけどね。
実は今夜も、生さだNightなんですよ!(土曜日深夜、日付を越えてから)