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「ち。やっぱり弱いか」
崩れた少女の身体を抱きかかえ、あぐりは舌打ちをした。
…以前より格段に力が衰えている。そのせいで、前なら簡単に植え付けられた紋様もエイコに上手く馴染んでいない。宿主に抵抗する余地を与えてしまっている。
「なーぁにが『ち。弱いか』よ。自分の不甲斐なさを女性の所為にすんじゃないわよ」
突然掛けられた言葉に驚く様子もなく、少年は上体をゆっくりと起こす豊かな黒髪の女に向いた。
「そうだね。旦那に浮気されたからって相手の女性のせいにしちゃ、ユウの立場がないもんねぇ。いちお、女だし?あと、久し振り?」
どう見ても自分よりはるかに年下の少年は、まるでお世辞でも披露するかのような様子で口を開いた。
この笑顔。軽く破壊衝動に駆られかけるのは気のせいじゃない。
「………っ…。なんで疑問形。何で疑問形。しかも何で知ってんの。」
「おまえがココに来る理由なんてそれ以外思いつかない。―――で、当たりなんだ?もひとつ、何で俺がいるかって?ふふ、驚いた?」
「――ええ。ちょぉぉっと油断してコケちゃう位にはね。尋問に答えなさいアンタに拒否権黙秘権弁護士はないわ!!っぅぅ頭イタイ……男なら身を呈して助けなさいよ!まったく、この家の男はロクなのがいやしない!!!」
全体的に無茶いうな、と言いながらあぐりは柚子に近寄り手を貸した。
肩に掛けていたのだろう薄物はエイコを寝かせているから、今は飾り気のない藍地の着物だけになっている。あわせから鎖骨がすこしのぞいているせいで、女性的な印象の顔立ちながら妙な色気さえ感じる。
「で?本気なんだ?」
「えぇもうそりゃ死ぬ気で本気。あんの腹黒男。自分が女性に愛想振り撒いたらどうなるか判っててしたのよ!相手が拒否しない事見越してやってんのよ重罪よ女性の敵よ!!!ぁぁああっもう腹が立つ!!それっ位で引き下がると思ってたならこれからの余生は常識が非常識になっちゃうこと請け合いよ!!あたしがどんな覚悟であんたをオトシたと!!」
怒りが再び湧き起こり、猛烈に本日何度も繰り返した超長文苦情文句を垂れ流しかけるが、何とか柚子は正気を保った。
(――それにしても。)
どちらに呆れてか溜息をつく少年を、柚子は見つめた。
それに気付き、あぐりは視線を柚子に戻す。
「ほんと。マキにそっくりね。サキにはあんまり似てないけど。……ひさしぶり」
眩しそうに目を細めて頬に触れる柚子の手を躊躇するが、諦めたように受け入れる。
昔から変わらないその態度に、ほんの少し、心が軽くなる気がした。…が、つねるのは止めてほしい。
「マキが、似てるんだよ。で、小さいオヒメサマ連れ出した位にはやる気があるみたいだね。」
柚子の手を退け、あぐりは二度目の確認をした。
「だって大きいお姫だと死人がでちゃうかもだったのよ。しかも自分の旦那。笑えるじゃない?それにね」
絶対来てくれないわ。
急に舞い込んだ気流が、柚子の言葉をかき消す。
それを合図のように、あぐりは踵を返した。
「…かもね。そろそろ限界かな。エイコが起きたらそこの水を汲ませるといいよ。多分ユウの思い通りの効果が得られるんじゃない?」
「…多分じゃ困るんだけど。あとエイちゃんの事―」
底が見えない程深いのか浅いのか、暗くきらめく水の溜まりの中央まで歩を進めたあぐりは薄く微笑んだ。
「わかってる。明日には忘れてるよ。…またね」
あぐりの足下から風に巻き込まれた水が空に舞う。
しずくが重力に従ってもとの場所に落ち着く頃には、生意気な友人は姿を消していた。
「―さてと。じゃぁぁあエイちゃんにいっちょ頑張ってもらおうかな!!私の可愛いムスコ達と未来のムスメのアナタのために。……あたしも…」
笹の梢が、柚子の言葉に応えるように音を奏でた。