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「お祖母様…じゃ、ありませんよサキ。あなた、わたくしが頼んだ事を忘れていて?」
現れた時の冷厳な態度をそのままに、部屋の入口に立つサキに向かう。
明らかに言い訳の口上を述べようとしたサキを制するように千鶴子は口を開きかけ、その傍らにいた愛弟子に気付いてやめた。
「あら。ディズレイちゃん、こちらにいたのね。あなたのお祖父さまと捜していたのよ…ふふ、とても楽しい方ね」
誰アナタ。と思う位の変わり様だ。しかもあろうことかあの千鶴子が。
(頬を染めてるっ…?!)
エイコ達の祖父、江嗣は確か母達が子供の時に他界していた。
それ以後千鶴子が再婚した形跡は無いから、まず間違いなくこの神社を一人で仕切ってきたのだろう。
そのあたりからして相当やり手の才女だったこの祖母が、エイコが未だ見た事のない顔で笑っている―。
「お祖父様にはやくお知らせして差し上げないとね。…あらエイコにマキもいたの。丁度良いわ。サキ、それで伝えてくれたのかしら?」
ディズレイの微妙な表情にも気付かず、千鶴子は几帳の陰に居た二人にも声をかけた。
12畳ほどある離れの一室は、回廊から直ぐの襖の内に几帳が置かれている。
この部屋を好んで使用していた上社当主の妻、マキ達の母親の趣味らしく、微妙に濃淡の異なる朽葉と黄、萌黄のコントラストが目に優しく映る。
(―助かった…!!!)
お陰で上手い具合に千鶴子の第一視線から逃れる事ができたのだ。
既にマキはエイコを開放していたので、まさか数瞬前までナニがあったかはわからないハズだ。いや、見られてどうのという問題もあったが、それ以上に問題なのは。
(……何も考えられなかったんデスケド……)
カラダに絡み付く腕の感触も、吐息の熱も消えていない。たった今まで塞がれていたくちびるが―
(やわらかかった…じゃなくって!!も、いやぁぁぁ…は…恥ずかしすぎる…っ)
放心と言う名の平静そうな表情の下、エイコがその内面で激しく悶えているのがサキには解ったが、弟がキレてくちびるを奪った対象よりも今は千鶴子のが危ナィ。エイコに後で文句を付けられたとしても、自己責任と詰めの甘さで諭すとして、――この展開。
(あーあーあー。絶対マキにいびられるわね……(泣))
極力、弟の妨げはしたくない。
というか、今回の事についてはもろ手を挙げて弟の計画に賛成だ。
だから今日、祖母からの水汲みの命を受けると同時にそれを実行に移した。…エイコが逃げられない様体力を消耗させ、おまけに心的外傷をさりげに抉って。
なのに、この展開。
(外出した千鶴子がいつの間にか帰宅して更にいつの間にかお茶会開いて小娘呼んでただなんて想定外よ!!だからってそんなに睨まないでよ!――って、ま、いっか。最終的にはエイコ縛ってマキの前に置き去りにすりゃ済む話ね〜)
さらっと黒く腹を括り、千鶴子に向き直ったサキはにっこりひかえめに笑った。
言葉無しでこの態度だと、どこから見ても文句なしの美青年だ。
「イエ。まだ」
「――そのようね。まったく…まぁよろしい。―マキ、あなた今、親しくお付き合いしている方はいて?いるなら直ぐに話をつけてらっしゃい」
ため息を吐きつつ、千鶴子はそのままマキに向かう。
「は?」
「お断りしてらっしゃいと言っているのよ。来週末の本祭には親族に発表します。ディズレイちゃんとの正式な婚約をね」
(―――ってマジで?!)
問題発言ならぬ問題発表のせいで、エイコは放心状態からアドレナリンモードへ覚醒した。
千鶴子の口約束程度の話だと思っていたが親族にも報せるとなると決定事項に等しい。
瞳孔が縮みきって呼吸を一拍抜かしたエイコは、遠心力で筋を違えそうな勢いでマキを直視してしまった。
(ぇ!!!!!!)
目が合う。
待ち構えていたように、エイコの視線を捉えたマキは微かに笑って何かを言った。
ほんの一瞬だったけれど、音は無かったけれど、確実にそう言われたと解ったエイコはビクっと身体を震わせた。
心臓に直接響くような感覚と、急に速度を上げた脈が疼く。
その周辺の血管も神経も、総出で騒ぎ立てているような。
(な、に、なん、で?!?!)
そのまま顔を千鶴子に向け、マキは応えた。
「今はいませんから」
「結構。ではディズレイちゃんを送って差し上げなさい―わたくしは先に行ってお祖父様にお知らせしてくるわね。と、いうことだからエイコ、来週は空けておきなさい。」
「―ふぇっ?!あっうん!祭ね!!あっ!!何かしなくちゃいけないの?!」
「そう難しい事はないわ。準備をお手伝いなさいな。ちゃんと礼装でね…―あとは明日頼んでおいた水をよろしくね。」
分家で生活を異にしているエイコは、千鶴子に対して言葉遣いが普通だ。そのせいもあり、端から見ればよほどマキ達より祖母と孫らしい。
「うっ……ハイ」
イロイロあり過ぎて、当初の逃避目的の存在を忘れていたエイコは思わず返事をしてしまった。
今の突発的不可思議行動も然り、何だかマキのせいで水汲みがさしたる問題で無い気がしてくる。
――さっきのショックから立ち直れない―――(泣)。
今なら何にでもハイハイ返事しそうな自信満載だ。
満足そうに頷き、そのまま退室した千鶴子をサキが追っていった。
その流れで、マキもディズレイを先に行かせて部屋を出ようとする。
その様子から、当初の予定(マキの部屋行き(泣))が実行に移されそうもない情況にエイコは心底ほっと息をついた。が。
「逃げられると思ってる?」
「は………?」
視線だけを寄こし、肩越しに問い掛けてくる。見えにくいが、優しくなく笑っているのが、判る―
「逃がす訳ないよ」
―パタン。
一言残して部屋を去ったマキとディズレイの気配が無くなるまでエイコは呼吸を忘れた。
心臓だけが動いてるんじゃないかと思う。
顔が紅いのなんか見なくても判る―あの中坊…年下のくせに……アタマかがおかしくなりそぅだ……。
――もう、イヤ。何で。
(…何であんなこと言うのよ……)
千鶴子がビックリ発言をして、目が合ったとき。
逸らすことなんかできなかった。
いつも余裕そうなマキが、一瞬見せた、―泣きそうな笑顔。
そのくちびるが紡いだのは―。
『エイコ、愛してる』
(ゥギャー―――なに言っちゃってんのォォォォォッ!!!)
ああもうこの状態で明日どうしろと言うんですか……………(泣)。