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溢れた涙がフローリングに着地する。
かろうじて瞼に残ったそれは、ガラス玉を覗いたようにエイコの景色を歪ませた。
「エイコ?」
「え、……へ?!」
名前を呼ばれた瞬間、文字通りエイコは固まった。
……何か言っちゃった気がする何かやっちゃった気がする……!!
普段カワイラシイ行動を取ったことのない自分が、やらかしてしまいましたぇぇ怪しんで下さいと言わんばかりの愚行を(泣)!!
証拠を隠滅しようとエイコは慌てて生理食塩水の処理に急いだ。
けれど手はマキに自由を奪われたままで。思わず顔を上げて眉も寄せて遺憾の意を示すが、瞬間エイコの表情筋は持ち主の意思に逆らった。
泳ぐ目・半笑いな口・流れる汗(温度冷ため)。
ハイ反抗的でスイマセンしたーーーッ(泣)!!!!
そうだよしまった拘束の上拒否権ナシの尋問中(比喩じゃなく!!)だった……!!
と、思い出した時には何もかもがマズかった。
眉間にシワを寄せ、エイコを凝視――いや、睨んでくるマキと目が合う。
やたらと妖しさを演出する夜闇の陰影が、至近距離で見下してくる(見下ろしてじゃなくて)マキの迫力を増長させて。
逸らすことも、目蓋を閉じることも出来ずに、ただ半月のように整ったくちびるがゆっくりと開かれるのを見つめるしかできない。
こういった時はアレしかないよね。
視界をわざとぼやけさせる……!!
フフ、油絵とエネミーな関係の生き物に対峙する時これ必須!!陰影わかるしね、顔わかんないしね!!
しかもピントを合わさずかつ顔は真っ直ぐ見据えた状態でいられるからナメられないとゆう素敵機能付きキャー(←半壊ぎみ)
が、結局は打開策でも何でもないエイコのただの見栄に、マキは容赦なく言葉を叩き付けた。
「……なんで、泣いてんの」
(一刀両断ーーッ(泣)!!)
世間では質問と認定されない形式で聞いてくる。
……じゃああれだ、ただの事象確認だ!と納得するには責めるようなマキの視線が痛い。
言葉さえ柔らかいが、今のエイコには額面通りの響きには到底領収できない。
いっそ包み隠さず理由その他を披露出来れば苦労は無いが、冗談でも、しかも冗談にしては何か過ぎる雰囲気だからこそ――……言いたくない。
く。ここで『女の涙のワケを聞くもんじゃないわ』とか言えたらイイ女っぽいけど、ム・リ★★(←全壊)
「えっと……………………………にわか雨?」
エイコが何とか上手い、イヤこの際座布団もらえなくてもむしろ山田君に取られても良いからとりあえず言い訳したくて絞り出したこの一言。
一拍置いて、……応戦なし。
やった…………やった!?危機回避でき、
「ふぅん?その勇気は認めてあげるよ?すごいねエイコ」
る訳が無かった。マキが打ったほんの一瞬の休止符は、エイコの脳内環境を危惧しての事だったような気がしてくる。
何ですか自分何が屋内に居てにわか雨とかぬかしちゃってんの自分!!…………イヤ待て!!そうだその手が!!
「ぁぁぁあ雨漏り?!じゃあコレ雨漏りだよねそうだよね!!おおっとこうしちゃいられない今すぐ行って来ようかな屋根までこの瞬間この刹那に!!!」
「高所恐怖症のくせに。いいから吐け、どこで遭った?」
イケると本気で思ったネタも即却下。確かに鳶職にも就けなければ観覧車にも乗れないのはこのワタクシでございます(泣)。
舌打ちまで聞こえそうな御言葉の後。
苛立たしげな声とともにマキの指がエイコの首をスっとなぞった。
「ひッ!!?」
「しかも、何でこんなモノ付けられてんの?」
満面の、笑顔。人間の笑顔ってこうも邪悪に真っ黒く存在できるモノなんだなと、生存を諦めていた(決定)エイコの一部脳細胞が呟いた。
その影響が全体へとハイスピードで拡散して、って嗚呼起きたばかりなのにワンダーランドへの門が開きかかってるぅぅぅ……ッ!!
横柄な態度とは逆に、優しくなぞる感触に気分は絶叫しながらも、エイコは少数派となった脳細胞にエールを送る。ガンバッテ!!
「お、覚えていませんケド何か……!!!」
「言えば……イイコトあるよ?吐け?」
「その間と最後のセリフに一抹の幸福感さえ垣間見えないんですケド……やッ痛!!」
ゆっくりと上下する指の感触が、寒気とはまた違う感覚をエイコに与えて。けれどそれを追って、先程までとは違う痛みも加わった。
一瞬だったが、今も余韻が残る――まるで触れるものを拒否するような。
「チ、やっぱり。……すごいコトになってるよ?」
何がだどんなだ!!
しかもスゴイコトになってるらしいとこをいじり倒す神経って?!Sな種族ーー?!
「って、噛まれただけなのに!?え、血出て――イヤまさか真皮にまで至る欠損とか!!?」
確かにあの時寝てしまっていたようだが、べつに怪我とかでは無かったはず。現に何も覚えて無い位に、傷も付いていなかった。
まして数年前の傷など、よほどの大怪我でないかぎり治っている。
「…………へえ。いつ。」
「だから夢で、いや多分夢じゃないんだけど小学の…と…き………………あれ?」
エイコが思い出したのはマキの母、柚子がいなくなった――小学の時の事だ。
とり乱した自分も妙だが、はっきり言って昔の事。
今さら持ち出すには、時間がたち過ぎている――。
今まで忘れていた自分もおかしいのだが、エイコはここでやっと違和感に気付いた。
傷の事もだが――、マキの様子だ。過去を語るにしては何か、違う。
大体、これまで“あぐり”の話題が上がったことなど、まして会ったことなど一度も無かった。あれを除いて。なのに。
(親戚だったら新年で会うはずだけど――……見たコト無いし、じゃあ何でマキは知ってんの?しかも私が会ってもおかしく無い様なこの言い方って……)
どういう事かとマキに問おうとして、ハイ選択ミス。
先程まで仮の、しかも真っ黒とはいえ張り付いていた笑顔を完璧消去したマキに、エイコは何故かすごく睨まれていた。
「小学って……あれか」なんて言いながら、マキのこめかみに青筋が増産される。
何かあの勢いだ。お坊さんが憎いなら袈裟まで恨んどけ?
いや誰に噛まれたかはまだ言って無い、無いけどこのヒトの中でほぼ決定してる!?て、ことは私、袈裟状態じゃ!?
フォ、フォローを!!
「っていう夢を!!アキラのポチに!!あ〜死ぬとこだったなァ〜!!」
「あの人のペット全部カメだよね」
私の馬鹿ーッ(泣)!!!
カメに首噛まれる状況なんて無いよ戯れすぎだよカメと!!普通にポチにしとけばよか……
「――ごめん」
「はッ?!」
謝られた。――謝られた?!
「ホントは何もかも知らせないままで、護りたかったのに」
「え、なん――ぐッ?!!」
何が起きたかもわからないまま、エイコの視界は反転した。
声が上手く出ない。
それが、首にかかる重力のベクトルが方向を変えたせいだと気付いた時には、さっき降りてきた階段を既に数段上っていた。
マキに担がれて。
「大体脅してどうにかなる相手じゃなかったし脅しじゃないしね。」
「いやどこが?!あれを脅しじゃない、っていうなら世の中何をもって脅しと?!」
声がブレるのをなんとか腹式呼吸でカバーして抗議。
「脅しは実行が目的じゃないから。よいしょ」
わずかな振動と共に、キィ、と聞きなれた音がする。
ああ、なるほど〜。今回は実行が目的だから脅しじゃないんですね〜。
それは相手も気の毒だなと、エイコは誰ともわからないマキの犠牲者に哀悼の意を捧げた。
コイツに目を付けられたが最後、取られるものは取られ、かつ脅しも実行。うわ〜来世が幸福なのを祈るしかないよね……
…………………………って、それって……。
「――ハイ到着。こんなことならあの時すればよかった」
「え?!お?!」
背中に感じた柔らかい衝撃と、またしても反転した視界にエイコは思わず目をつむった。
ああもういっそこのまま寝て、英気を養って明日に再戦したい気分だ。
欲望に閉じ現実に見開いたエイコの目が捕捉したのは、何故か先日母から送られてきた、表現しにくい柄の上掛けで。
片頬に当たるのも、お揃いの柄の枕カバープライスレス。
え、マイ部屋・マイベッド?
「マ、マキ?なんでココ?そして今何気に恐ろしい発言が聞こえた気がしたり?!」
「そう?気のせいじゃないんじゃない?」
ギシっと、マキの片膝の下から音がする。
状況のよろしく無さに、起き上がろうとエイコは両手に力を込めるが、微妙に腹筋に負担がかかる状態で停止してしまう。
否定の否定は肯定。って、ことは。
マキの前髪がサラリと落ちて、その先の瞳がやわらかく微笑む。
「エイコ、後にする?それとも今言う?」
何の後ォーーーーーーッ?!!
するっと頬に添えられた手に、妙な態勢で抵抗も出来ない。
くちびるが、かさなる――瞬間。
「――お。先客」
見た目本州生息じゃない枕元のクマが投げ付けられたのと、予定の無い来客の第一声は同時だった。
大変遅くなりまして!!ほんっと申し訳ございませんマナイのオアシス的読者さま!!!
そして昨年11月にご評価いただいた奥村さま!!ありがとうございました!!感激でした(>_<)!!
やっとお届けできました11話。
気付けば連載開始して一年目という(遅)。
中身竜宮城並の時間経過ですが、どうぞこれからもお付き合いください<(_ _)>!!