第六話 教会へ
「起き━━く……い」
「ん、あぁ?」
━━誰かの声がする。しかし、俺は独り暮らしだったはずだ。起こしにきてくれる人などいるはずもない。
だがたしか今日は……そう、富士の樹海こと青木ヶ原樹海に一人でバードウォッチングしに行く予定があったな。丁度いい、このまま起きてしまおうか。
「クロお兄ちゃん、起きてください」
「ん? あ、れ?」
「どうしたんですか?」
「鳥が、喋ってる……?」
目が覚めたら真っ白な鳥が喋っていた。だがそんなバカなことは起こり得ない。起こり得るとしたら……そうか、ここは夢の中━━いや、違う。
「もしかしてクロお兄ちゃん、寝惚けてるんですか?」
「……セツカ?」
「そうですよ。セツカです。目が覚めましたか?」
セツカ。そうだ、この白い鳥はセツカだ。俺の眷属の。
「あぁ、目は覚めたよ。ありがとう」
そうだ。思い出した。ここは異世界だ。
なんでか知らないが俺は異世界に来て、美女と契約したり、ドラゴンと戦ったり、美少女を助けて眷属にしたりしたんだった。
……ほんと、一日でよくやったよな。俺。
「いえいえです。……おはようございます。クロお兄ちゃん」
「おはよう、セツカ」
「なんか、いいですね。こういうの」
「そうか?」
「はい! なんだか家族って感じがします!」
家族、家族か。よく分からないな。
日本には家族といえる様な存在は最初からいなかった。だから俺にはセツカが嬉しそうにしている理由がいまいち分からない。だが。
「セツカ、笑ってるな」
「はい、嬉しいですから」
笑えているなら、嬉しいなら、いいことなのだろう。
「それに、クロお兄ちゃんも笑ってますよ?」
「俺が……?」
笑っていた? 俺が? だとしたらそれは、つまり……
「悪くは、ないな。俺も嬉しいんだろう」
「はいっ!」
家族。日本にいた頃は気にもしなかったが、こうしていざ手に入ってみればなかなかいいものだな。異世界に来て何度か死にかけたが、それでも来てよかったと思える。
「そういえば、翼の調子はどうですか? 回復魔法を使ってみたので、たぶん治ってるとは思うんですけど……」
「そうだな……」
セツカに言われて今日初めて翼を見るが、昨日まであった左の翼の傷はふさがっており、吹き飛んだ右の翼も元に戻っていた。
違和感等も特になく、今すぐでも飛び立てそうだ。恐ろしいまでの回復力は流石ファンタジーといったところか。
「傷も治ってるし、問題なく飛び立てそうだ」
「よかったです。初めてだったので失敗してないか心配で……あ、おじいちゃん達が下で待ってますよ」
「ゼンゲンのジジイが? 分かったすぐに行く」
「はい。では先に行ってますね」
セツカはそう言うと巣から飛び降りる。俺もすぐに巣から飛び立ち、翼の調子を確かめる様にゆっくりと旋回しながら地面に向かう。
木々が開けた場所には昨日倒した狼の死骸がなぜか黒焦げで放置されており、その近くにゼンゲン含むカラス達が炎の止まり木に止まって俺を待っていた。
「クロお兄ちゃん、こっちです」
俺はセツカの誘導に従って、既に人化していたセツカの肩に慎重に止まる。
そして俺が来るのを待っていたのであろうゼンゲンが口を開いた。
「おはようございます。クロ殿。傷も治ったようで何よりです」
「セツカのおかげでな」
「そうでしょうな。セツカはワシ自慢の孫です。……さて、どうですかな? クロ殿」
どうって言われてもな……何がだ?
『センリョクヒョウカデハナイノカ? ゼンゲンハチュウキュウセイレイナミ、ホカモカキュウセイレイトシテノチカラハアルナ。ジョウデキトイッタトコロダ』
バカ炎、お前暇なの? 精霊の戦力評価なんて出来ないからありがたいけど。
「かなりいいんじゃないか? この狼を黒焦げにしたのはお前らがやったんだろう?」
「えぇ、練習がてらに。私も皆も手に入った力に最初は驚くばかりでしたが、一日かけて何とか物にしてみせました」
驚くばかり、か。発狂どころか放火衝動すら起きなかったみたいだな。あれは俺だけらしい。
しかし……
「休んでないのか?」
「精霊となったので休みはさほど必要ありませんからな。交代で睡眠を取るだけで充分ですよ。クロ殿の様にドラゴンと戦った訳でもないですからな」
「俺、お前らに話したっけ?」
「我らがまだただのカラスだったときですが、上空でドラゴンと戦闘するクロ殿を見かけたのですよ。ほら、鱗が何枚か転がっているでしょう」
なるほど。確かに周りには少し焦げているものの、光を反射して輝く鱗がいくつか見受けられる。俺が氷竜に炎弾をぶちこんだのが丁度この上空だったようだ。
「ふむ……そうだな。ゼンゲン、使えそうな鱗を拾えるだけ拾ってきてくれないか」
「分かりました。おい、そこの三匹。ちょっと行ってこい」
「「「了解!」」」
敬礼しそうな勢いで返答した三匹のカラスは、さっそく近くの鱗から拾い始める。このペースならすぐに集まりそうだ。
「しかしクロ殿、なぜ鱗など集めるのです?」
「いや、ライラへの土産には丁度いいかと思ってな」
鱗とはいえドラゴンの物だ。何かに使えるかも知れないし、氷竜に一撃入れた証拠にもなる。ゆくゆくドラゴンと戦うライラからすれば、自分の契約精霊がドラゴンに一撃入れたという事実は安心できる材料になるはすだ。
契約してこっち、心配ばかりかけているからな。たまには安心できる話ぐらい作っておきたい。
「ライラ……? 確か、クロ殿の契約者でしたか。なるほど、人の身であればドラゴンの鱗は貴重な資源でしょうな。納得しました」
「なんでお前がライラを知って……いや、情報の共有はすんでるのか」
「はい、もっとも必要最低限だけで、その後は確りコミュニケーションを取る必要がありますが」
便利と言えば便利だが……微妙な恩恵だな。
「あの、クロお兄ちゃん。このあとはどうするんですか?」
「このあとか。一旦教会に、ライラのところへ戻ろうと思う」
昨日の念話で明日には戻ると言ったし、これ以上心配させたくない。教会に戻るのは決定だな。
「あの、その……やっぱり、なんでもないです」
「ふむ……」
何でか知らないがセツカが落ち込んだ。今の会話で落ち込むようなことがあったか?
ゼンゲンも何か考え込んでるし、まさか地雷を踏んだ訳では……
「クロ殿。我らがクロ殿の眷属となったこと、契約者たるライラ嬢には報告したほうがよいのでは?」
「ん? まぁそうだな。報告したほうがいいな」
ドラゴン狩りにどれだけの禁止事項があるかは分からないが、戦力が増えるのはいいことのはずだ。ライラも喜ぶだろう。
あれ? もしかして俺、大金星? ……これは報告が楽しみだな!
「では我らの代表として、セツカを連れって行ってはくれませんかな?」
「え? お、おじいちゃん……?」
「セツカは我らの中でもただ一人、人化が出来ますからな。カラスよりも少女のほうがライラ嬢も親近感を感じやすいでしょうし」
なるほど、それもそうだ。俺もセツカはライラに紹介したい。
だが……
「お前ら全員は駄目なのか?」
「それも考えましたがワシ以外の者は未だ未熟。その辺の魔獣ならともかく、ドラゴンと遭遇しては足手まといになってしまいます」
ドラゴンとなんてそうそう遭遇しないと……思いたいなぁ。昨日のは運が悪かっただけと思いたい。うん。
「しかしセツカならばドラゴンと直接戦うことはできずとも、クロ殿を支援することはできましょう。なにせワシの孫ですからな」
「そうなのか? セツカ?」
「は、はい。攻撃は苦手ですけど、回復は得意ですから。……足手まといには絶対になりません。お願いします。一緒に連れって行ってくれませんか?」
一人で帰るのも寂しい感じだし、セツカが一緒ならドラゴンも怖くない。まさに願ったり叶ったりだな。
「よし、ゼンゲン、セツカは借りていくぞ」
「はい。こちらはお任せ下さい」
「えっと、一緒に行ってもいいんですか?」
「そうだが? まさか一人で行けと?」
「いえ! よろしくお願いします!」
うん。セツカは満面の笑みを浮かべてるし、俺も連れができたしでいい感じだ。
あとは鱗を拾ってる奴らが戻ってくれば出発できるな。
「ゼンゲン様!」
「おぉ、集め終わったか?」
「はい、それなのですが……」
「どうしたのだ?」
「懸命に捜索したのですが、形を保っている物はこの一枚だけでした」
そう言って帰って来た三匹のカラスの一匹が、クチバシに加えていた鱗を雪の上に置いた。
こうして落ち着いて見ると、空では白銀に輝いていたこの鱗が実は白や銀ではなく青みがかった白色であることが分かる。その色合いはまさに氷のようで、しかも僅かとはいえ冷気を発しており、氷竜の名に相応しい鱗だ。
「そうか、ご苦労だった。休んでいてくれ。さて……クロ殿。必要なら焦げていたり溶けている物も集めさせますが」
「いや、これで充分だ」
宝石の様に美しく、それでいて実用性も高いであろう氷竜の鱗は、たとえ一枚でも土産としては充分だ。
俺は氷竜の鱗を傷つけない様に足で掴むと、離陸体勢を整える。
「セツカ、準備はいいか?」
「あ、少し待って下さい。人化を解きますから」
セツカはそう言うなり光を発し始める。光はすぐに収まり、セツカがいた場所には白いカラスが立っていた。
「はい、わたしは大丈夫ですよ。クロお兄ちゃん」
「あ、あぁ、じゃあ行こうか」
人化してるときはお兄ちゃん呼びでも全く問題ないし、むしろウェルカムなのだが、カラスとときに言われるともの凄い違和感がある。もちろんカラスが喋ってるというシュールな光景のせいなのもあるんだが。
「……セツカ、確りな。クロ殿、孫を頼みます」
「大丈夫だよ、おじいちゃん」
「任せておけ。……それとジジイ、フラグっぽいことは止めろ。死ぬぞ」
「ふっ、ひ孫の顔を見るまでは死にませんのでご安心を」
このジジイはセツカを嫁にやりたいのかやりたくないのかどっちなんだよ……まぁいい。
「セツカ、飛ぶぞ」
「はい!」
セツカに一言掛けてから翼を羽ばたかせ、一気に上昇する。
昨日、結界樹なるものに叩き落とされて以来の空。風は冷たく、身体を思うがままに動かせない為それほど自由でもない。だが俺の胸には解放感が一杯に広がっていた。
「そういえばセツカ」
「なんですか?」
「結界樹はこの辺りには無いんだよな?」
俺の隣を慣れた様子で飛んでいるセツカに、今更な質問をする。
聞くなら飛び立つ前にすべき話だ。
「はい。あの木はあの大きな山、アルカヌム山の周りにしか生えてないみたいです」
「なら安心だな。……質問ついでにもう二つ、質問いいか?」
「はい、なんでもどうぞ」
今、なんでもって……?
いや質問だ。ただの質問。
「そもそも結界樹て何なんだ?」
「わたしもよくは分からないのですが、あの木は一定範囲内にいる自分よりも高い位置にいる生物に対して、非常に強力な攻撃を行うみたいです」
高射砲……いや、地対空ミサイルみたいな木だな。だからバカ炎は低空飛行しろなんて言ったのか。そうすればあのアホみたいに威力の高い攻撃の対象から外れるから。
「地上にいる生物には滅多に攻撃してこないのですが、それでも攻撃するときは攻撃してくるので、わたし達がアルカヌム山に近づいたのは一度だけです」
その一度目で何匹かのカラスが殺られたのだろう。ひょっとしたらセツカの両親が見あたらないのも……やめておこう。嫌な記憶を掘り起こさせる必要なんてない。
「すまん。嫌な話だったな」
「いえ、大丈夫です。わたしにはおじいちゃんが居ましたし、それに今は……クロお兄ちゃんも居ますから」
「そ、そうか」
いじらしい子や……
言うことがあるとすればカラス形態なのが勿体ない。人化してもう一度言ってくれるかな? 無理か。
おっと今ので忘れていたが、人化で思い出した。
「えーと、それでだな。もう一個の質問なんだが、人化のやり方を俺に教えてくれるか?」
「クロお兄ちゃんに人化のやり方を、ですか?」
不思議そうな様子のセツカにコクりと頷く。
カラスになっていると気づいたときこそ混乱したが、今ではカラスになったこと事態はあまり気にしていない。自由にとはいえないものの飛べるし。
だが人間の姿への未練や憧れが無いわけではないし、このままカラスのままでいいとは思っていない。
そこでセツカの人化だ。セツカの人化を真似できれば、人の姿に戻ることもできるからな。
「それはいいですけど……クロお兄ちゃんは人化のやり方はもう知ってますよね?」
「いや、知らないが」
「え? でもわたしの人化はクロお兄ちゃんの眷属になったときに情報共有されたものですよ?」
「なん、だと……?」
セツカは俺から情報共有、つまり教わったと言ってるが、俺は人化の方法なんて知らない。
おい暇人バカ炎、これはどういうことだ?
『ジンカハガイネンマホウノキホンダ。トウゼンオマエモツカエル。ダガ、マリョクガタリナイ。マリョクガヒツヨウブンナイノダカラ、デキルハズガナイ』
魔力が足りないのか。どうすればいいんだ?
『ツヨクナルコトダ。ソウスレバシゼントマリョクハフエル』
強くなると言われてもな……なんだ、レベルでも上げればいいのか?
『イヤ、ソノヒツヨウハナイ。ライラ・ハイルングトセイシキニケイヤクヲムスベバイイ』
正式な契約か。
恩返しのこともあるし、ライラのことが嫌な訳でもない。決して嫌な訳ではないんだが……
『ナラバナゼケイヤクヲムスバナイ』
なんか、ほら、あれだよ。俺から契約を申し込むのはプロポーズみたいで……単純に、恥ずい。
『……コノヘタレドウテイメ』
だだ誰がどど童貞だぁあ!?
……まぁ、ヘタレなのも含めて事実だけどさ。事実だけどさぁ。
「あの、クロお兄ちゃん……」
「……どうした? セツカ?」
俺がバカ炎との念話でダメージを受けていると、セツカが何やら深刻そうな様子で話かけてきた。
「その……役に立てなくて、ごめんなさい」
「え?」
なんでいきなりそんなこと……あっ、俺が突然黙り込んだからか。
それは不安にもなるだろうが、それにしても役立たずとはどういうことだ? セツカは俺の翼を癒してくれたりと確り役に立っているのだが。
「セツカ、何でそう思ったんだ?」
「クロお兄ちゃんの質問に答えられなかったから、その……」
「いやいや、セツカは確りと答えたじゃないか。おかげで人化できないのは俺自身が原因と分かったんだぞ?」
「でも、わたしはクロお兄ちゃんの役に立ってません」
「セツカが役立たずなんてことはない。それは間違いない」
「……はい」
うーん、何とか誤解を溶けたと思いたいが……駄目そうだな。それに根も深いようだ。ゆっくりとやっていくか、それとも早急に解決するか……
「……あ、クロお兄ちゃん。あれが?」
「あぁ、教会だ」
何となく気まずい雰囲気が漂い始めた俺とセツカの視線の先には、森の中にぽつんとたたずむ見覚えのある教会があった。




