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偽曲 下天の幻

【小笠原さんの笑顔】

 大地に生を受け、育つ生きとしいける全てのものが持たされた命題。それは記憶の蓄積にほかならないのではないか。と、考えています。


 蓄積から見出される『NEXT』そのものが、今という未来を造り上げるのが正しい利用方法と言うことになるのでしょうが、その時を後悔するという、固執感にさいなまれる感情を受けた時。それは郷愁という誤った利用方法ながら実に人間らしい思考の複雑性を楽しめることになるのでしょう。

 今と比較すればスッカラカンに等しい記憶領域を経験の糧として自我を形成していた中学時代のこと。公立の義務教育を受けるためには二つの小学校から一つの中学に上がってくる様に設定された学区に居住していた。

 六年間の気心が知れた半数に加わる半数の新しい出逢い。それは肉体と精神性が迎える成長の季節に合わせて蓄えられた水のように、人生観に吸収され形成に利用されていく。ときに清く、ときに濁り。思いが重いになるまで心の中に蓄積し沈殿する。



 そんな中の一人、僕が出逢った女の子。彼女の名前は小笠原さんと言った。


 入学式の時から男女問わず、頭一つ突出した高身長とバランスの取れた体格。性格に目立つような要素は少なかったのだろう。いつでも印象深いと言う存在ではなかったが、女子一同からは様々な面において頼られ、男子一同からはいわゆる大女の襲来的な威容に一目置かれている娘だった。



 背の順に並ぶ時。当然、彼女は女子の一番後ろ。僕は自分より背の高い男子を3~4人後ろに控える程度の後ろの方だった。


 全校朝礼。

 朝の退屈なイベントに花を添える『貧血で倒れる可憐な女の子』が、ぼーっと視線を前に向けていた僕の視界を軽くよぎった時。その体格と普段の行動から想像できないほどの俊敏さで、私の横をすり抜ける小笠原さん。貧血女子が倒れこむその前に、グラウンドの地面に膝をスライディングさせるような形で受け止めた彼女の行動は、賞賛より大きな驚きによって騒然となった全校生徒の注目の対象となった。


 学級担任が駆け寄り、貧血少女を保健室に運ぶことで、騒然の場がいつもの静寂を取り戻すまで大きな時間を要する事は無かったように記憶しているが、救助対象を失った小笠原さんが膝立ちの姿勢で動かなかった時間は、永遠に思えるほど僕には永く感じた。それは、無事救うことの出来た達成感から来るものだったのか? もっと上手く救助する方法を思考する時間だったのか?

 

 両方とも、否。


 ゆっくりと姿勢を整え、付いた汚れを軽く払った膝には、大きな代償と言っても過言ではないほどの鮮血が流れ続けているのを僕は見落とさなかった。


 「大丈夫……かよ」

先ほどすり抜けていった俊敏な態度と正反対に思えるような、整列の迷惑にならない様に大きな身体をよじりながらひっそりと最後列に戻ろうとする彼女に、僕はうっかり声を掛けてしまった。ところが中学生活を寡黙というテーマで乗り切ろうとしていた僕の、独り言と言っても過言ではないようなうっかり発言に彼女から帰ってきた返事は

 

「心配だったら、後で保健室に行ってあげてね」

だった。


(じゃ。ねーよ。オマエの膝っ……血だらけで……)


そんな会話が成立するような時間は存在しない一瞬のすれ違い。その言葉は僕の心の中でもやもやと煙のように漂うだけだった。

 小笠原さんより頭一つ以上小さいが、身長順では後ろになる女子たちが彼女の怪我を心配し騒ぎ出してくれたので、耳に入る情報から仔細なことを感じ取るに至った僕は、それ以上、そのことを考えるのを止めようと決心した。

 朝礼終了。何人かの女子に水場まで連れて行ってもらい、膝についた小石や泥を洗い落とす小笠原さんを視界の端っこに捕らえた僕は、ほんのちょっとだけ彼女の視線を感じたような気がした。それを確認するべきか迷ったことは確かなのだが、介抱のために周りを取り囲む女子連の甲高いキャーキャー音に耐えかね、実行に移す気力までは持ち合わせなかった。



 今で言うところの中二病をこじらしていた僕は、多くのコミュニケートを断絶していたが、将棋という盤面を置いてのみ、人との接点を感じながら対局する事は出来た。決して上級な技を持っているわけではなく、負けることのほうが遥かに多い所謂しょせんへぼなのだが、勝ち負けよりも対局することによって感じ取れる相手の人間性を観察できていたことが僕にとっては重要なことだったのだと思っていた。


 「アタシにも教えてよっ」

クラスでも上位の勝ちを与えられたことの無い友人と一局構えていた昼休み。机に置かれた盤面の上から聞いたことのある女子の声が、明らかにこちらに向って聞こえてきた。盤面から視線を上げて確認するまでもなく、落とした視界に痛々しい両膝の包帯。


 「ん…… 教わるならコイツの方が上手いよ」

視線を合わせる事無く、顎で対戦相手である強者のコイツを示した僕。


 「初めてだよ。なにも知らないもん。上手くなくていいじゃん……教えるのいやなの?」

あぁ、なんで女子ってのはこう言葉を畳み掛けて押し付けてくる存在なのだろう。目線を上げた僕の首が痛くなるような高みの先にある小笠原さんの笑顔にたどり着くまで、僕はそんなことを考えていた。



 そう。彼女から女子列の二人前。僕と同じ小学校から進学したスレンダーなのに家系の影響で異常に早い二次成長を迎え、『女の身体』と『早熟な男女感』を備えた基子が、僕の心配の対象やらあること無いことを吹聴され、しっかりと女子になっちゃった快活で突き抜ける様に爽やかな屈託の一つもない笑顔にたどり着くまで。



 そのとき僕は思ったんだ。



 『いとわない』という姿に、ちょっと恋心が芽生えたのは僕の方だったんだね…



って、ね。





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