野獣のルツボ(笑)
「ゴルルルル……」
「カフー……カフー……」
「ギャッ、ギャッ、ギャギャギャッ!」
周囲に轟く魔物の息づかいやら雄叫びやら、ダンジョンの浅い階層ではあまり聴かない、実に物騒な雰囲気を醸す野性味が砦の中に充満していた。
なんて言うか、最後の最後に予想した内容がドンピシャリというか、時間的には夜となった頃から無人の砦の中には人間の代わりに魔物が住人のようにひしめき、ウロウロと徘徊し始めた。屋内ってことで安心し、ユックリマッタリとしていようものなら、寝首を掻かれるように魔物共の襲撃を受けていたのだろう。
「まったく、B級パニックホラー風な定番っていうか、展開が本当に新人演出家だわなあ……」
「窓の外には魔物共。迂闊に眺めれば目と目が合う。似たようなシチュを前に言ったような?」
「あのあのあのっ、私たち、こうもノンビリしてて良いのでしょーかっ!?」
「あ、いいのいいの。それより早く飯食えよ。せっかく熱々なのが冷めちまうからな。余所見と無駄話はいらん、迷い箸も禁止! 食べる時は集中、野菜から食えよ」
「やはり、主様は主婦であるなあ……」
さて、そんな魔物の餌食候補のはずの俺達だが、実はそういう展開は要りませんと、まるっと無視する形で食事中だったりする。
砦の形の休憩所。それとも休憩所に使える砦。とにかくはまあ、どっちの解釈でもいいから安全に休みたい。それができないなら悪鬼羅刹の如く来る展開に荒ぶるぞ。とメアが全身で主張したので、主に俺の精神的な安穏を求める理由で一つの案を実行したのである。
『じゃ、もう一つ別のエリアを作っちまうか』と。
別に難しい事じゃない。【Paradise of Fauve ♂】にある基本システムの一つを使うだけだ。
【インスタントコテージ】。携帯アイテム扱いで使える、体力回復アイテムである。形態は様々な種類がある。三角テント、屋根付き救命ボート、プレハブ小屋。山小屋やらペンションやらキャンピングカーやらと、とにかく休憩に関する代物はデフォルトでアイテム化されている。
見た目や性能は体力全快の部分では共通。その他の部分、居住性やら内装の趣味やらは千差万別。気分的な快適さや豪奢なインテリアを充実させたいなら、それなりの出費さえすれば誰でも得られる一般アイテムである。
使用の制限は以下の通り。
展開可能なのは、町エリア、もしくは街道上以外のフィールド、またはダンジョン内のフリーエリアのみ。
展開時に戦闘状態では無いこと。
ゲーム内時間において連続120時間を越えたら自動排出されること。
と、これだけだ。
少し補足を入れるとすれば、展開可能エリアとはコテージを置いても他者の邪魔になりづらい場所という意味だ。街中の大通りにドンとテントを張れば邪魔なのは当然。道のド真ん中だって同じだ。
ダンジョン内でフリーエリアじゃない場所は実質的に階層ボスの部屋だけなので、基本、通路自体がだだっ広いダンジョン内なら展開の制限など無いに等しい。
まあ、展開するコテージが通路を埋め尽くす巨城だってんなら例外的にダメ出しかもだが。
連続展開に時間制限があるのは、一応VRゲームってことで一回のログイン制限に引っかかるから。現実では五時間だったかな? それがゲーム内では体感的に引き延ばされて120時間までがリミットとなる。……だったはずだ。
だから実際は、排出処理というよりは強制ログアウトなんだろうな。で、再ログインしたらコテージを置いた通常エリアへの再出現となるって寸法となる。
もっとも、それがこの現実じゃ、どういう変化となってるのかは未確認なんだが。
さて、そんな未確認機能の一つに、コテージ内はそのプレイヤーのプライベートエリアだってのがある。展開時に非戦闘状態ならば、そこが後からモンスターハウス化してもプレイヤーは大丈夫。コテージを終了し、元のエリアに復帰しない限り、そこには存在しないような扱いとなる……ってのがゲーム時代の設定だったんだよな。
「ま、ダメならダメでメアが暴れてお終いってオチだろうから使ったが、どうやら設定通り魔物には俺達が存在しないって対象らしい」
俺の使ってるコテージは丸太組の山小屋風。いっさいの仕切りもない二十畳ワンルームの内装だが、ドアを正面にしての両側の壁は膝丈で段をとってある。
大きさは片側の壁だけで人間二人が横になれるほど。まあ、ベンチとか板の間ベッドに使えるって感じだな。縁側風なんで腰掛けて盆に乗せた食い物とかあれば無理やり食卓としても使える。
正面の壁側にはレンガ組みの暖炉。ただしその暖炉の前にオーブン兼用の薪ストーブがあって部屋の温もりと料理との中心になっている。
床には毛足の長い絨毯が敷いてあって、直座りもオーケー。それをベッド代わりに寝てもいいだろう。
まあ、強いて言えば。部屋全体でゴロゴロするのが可能という、男の秘密基地風な作りのデザインってな感じなのである。
現在はオーブン脇にちゃぶ台を出して腹拵え用の食事を並べ、外の景色は無視しての団欒である。
ちなみに、コテージを設置した場所は一階の天井部分だ。城壁代わりと言ったように一階は周囲をグルっと囲むような張り出しとなっている。天井部分ではあるが建材剥き出しでもなく、一応土が盛られた庭風という作りだ。仮に篭城になった場所、根の浅い作物程度なら育てられるって感じだろうか。
まあ、ちょうどいいスペースだったのでキャンプ場所とさせてもらったわけだ。山小屋風の建物を置くのに違和感も無かったし。
そして軽く一休みし、食事して再出発な予定の途中。その食事中に魔物がポンポンと湧き出して、さあこの後どうしようと考えつつも、箸は止めずにいるわけである。
「ま、何にしても食材は適量採取していて良かったな。下拵えが無駄にならない」
「急に『おひたし』が食いたいとか言って、ホウレン草を摘みだした主様であった」
「……誰に説明してんだ、メア?」
「いや、主語の無い会話は誤解を生むのでな。それ以外はストレージから出した物だし」
「私にはご主人様達の会話自体が意味不明なんですが」
「「慣れろ」」
「……善処します。あー、このポタージュ美味しいです」
本日のメニューは各自食いたい物なので統一感は無い。
メアはスタミナが必要だと主張したので、ニンニクをタップリ効かせたリブステーキ。それに何処から仕入れたのか知らん、持参した特製ソースをかけて食っている。
「ブラジル人プレイヤーからセシメたインディーズMODスパイス。【ブレイキンエキゾースト】である。基本は和風ウスターソースだがマカやガラナ、興奮作用抜群の現地果実が隠し味として使われたフルーティーソース。その特殊効果を余さず再現した結果、一度食したら二度と手放せないと評判のシロモノだ」
「それ媚薬ってーか、電脳麻薬じゃねーか!」
「のんのん。ただの再現MODだ。まあ個人の感性によって中毒性が無いとは言わんが、それもログイン内という制限は超えておらんぞ、主様」
「詭弁過ぎるわ」
調味料ってのは、恐ろしく広い意味で言えば全てがドラッグに当てはまる。
それこそ塩や砂糖も含めて。
美味いという感性は結局は快楽神経を刺激するわけで、それは多くの麻薬が作用させる効果と同じだからだ。甘いもの好き。辛いもの好き。そんなどこか偏食趣向のあるやつは、たぶん、潜在的に麻薬に傾倒する素質は強いんだろうと言える。
だから昔の偉い人は言ったわけだ。
『好き嫌いしない。バランスの良い食事が大事』と。
……なんかズレてる気もするが、まあ、間違ってない。
それにしても、何処でそんなネタを仕入れてたやら。
メアの変態系ニッチデータは俺の範囲外過ぎて、おっつけねぇ。
「複雑な香りに興味は出ますけど、私は刺激の少ない方が好きです」
基本、数多の植物成分を集合液であるドラッグソースに、エルフ系であるカルエも気になるらしい。が、自重したようだ。後で誉めてやろう。
そんなカルエが望んだメニューは根菜蒸しである。エルフはベジタリアン。本当は元が人間だけあって雑食なんだが、好みとしては菜食らしい。
万年ツリーハウス生活なんで火気厳禁。だから生野菜のままバリバリ食う。というのは俺の妄想でしかなかった。素材が植物寄りなだけで煮る焼く炒めると調理的には普通だそうだ。
ただ、蒸すという調理法は未知なことらしく、話して聞かせたら興味をもったのでちょうどいい料理を提供した。素材は人参ジャガイモ茄子セロリ。後適当に既存メーカーの味を模した野菜ジュース等々を。
甘いもの好きなんでリンゴジュースと見分けのつかんタイプを好むかと思ったら、実はトマト風味の強いのが好まれた。微妙に香る青臭さと喉に何かが引っかかる後味の感じが好いらしい。
こらメア。何、敗北感に襲われたようなリアクションをしてやがる。
で、最後は俺だが。
正直、見て判別できなかった謎の草がホウレン草だと言われた途端。湯がいた青菜を醤油で食う欲求に支配された。
濡れて湿って、締まった葉の甘さと苦さの混ざった食感。それが醤油でより強調される味覚の記憶。つい、我慢できなくなった。
しばらく和食らしい和食も食ってねーしなあ。
なのでこの世界のホウレン草の確認ってのも含めて、シンプルなおひたしをいただこうと思ったわけだ。
いやホウレン草ってさ、菜っ葉の世界代表ってなくらい、様々な国で食われてるわけだ。もちろん同じホウレン草と言ってもその地域的な変化は遂げていて、見た目から全く違うのも普通にあるくらいにな。
現実でだってそうなのに、元はゲームなこの世界。正直、葉に黄色のドット模様付きの菜っ葉に『ホウレン草』という第一認識を持て、という方がオカシイと思う俺は正常なのだと思いたい。
て言うかむしろ、カルエはともかくメアが一発で見分けたのに驚いてるんだがな。
ともあれ、おひたし、だ。
ストレージから出したのはシンプルな濃い口醤油。ツンとした香り付きの真っ黒な液体。茹でてシンナリとしたホウレン草に少し垂らしてみれば、懐かしい現実の香りを思い出させてくれた。
一口、しょっぱくて甘い。噛み締める、ほろ苦い。そして青い匂いが鼻に抜ける。
「あー……いいわあ。懐かしいわあ」
現実じゃそう好物ってわけじゃ無かったけどなあ。ただまあ、和食ってラインナップじゃ、やっぱ外せない一品だわあ。
てことで、主食に選んだのは納豆丼だ。豆は大粒、味付けは洋辛子とおひたしに使ったのと同じ醤油。そしてウズラ玉子のシンプルさだ。
味噌汁はまろやかな合わせ味噌で具はワカメ。漬け物はキュウリの浅漬けで締める。
今日はとにかくシンプルが良い。足りなければ量を食えばいいのだ。納豆のみでドンブリ二杯。これだけ食えば俺自身、独特の臭いも完全装備。ならば、今晩くらいノンビリ独り寝も可能だろう。
そう、これは、単に俺の郷愁を慰めるためだけの献立ではない。
実は粘密に立てていた、副次的な目的を達成するための布石である。
独特の臭気ある食事を違和感無く持ち出し、食い、その後に来る試練を切り抜けるため作戦なのだ。
閉鎖空間内の若い男女。食って食欲を満たし、後は適当な時間を休むだけの状況。ある意味、ソッチ方向に向かって当然の流れは若い躊躇で無為に浪費するのが王道なのだろうが、残念ながらうちの女衆は餓狼である。ベジタリアンのカルエでさえも肉食だ。身をもって知った。最後の堰なんぞとうに決壊済みである。
ならば、突貫にて応急の防波堤が必要だろう。
それがこの納豆丼だ。他者を遠ざける独特の臭気だ。つまりは、臭いの結界である。
これで今晩はノンビリ寝れる。カサカサになるまで搾られんで済むわけである。納豆菌の超絶保湿成分、こんなとこにも機能すんだなあ。ありがとう。
「さて、主様。食ったら休む。布団を一組出してくれ」
「おう。どの壁側にする? そこに出してやるぞ」
広大なアイテムストレージを持つ俺は人間格納庫だ。メアの生活用具一式も当然のように俺が所持している。
「……何を言っている? 一組なのだぞ。しかも三人サイズの。床に布くに決まっておろう」
「は? いや俺、しばらくは悪臭状態だぞ」
この世界、食った食事にはステータス変化の症状が出る。それは常識といったレベルで、広く一般人にも知られている。
世界認知じゃ食品というより腐食物扱いの納豆は、悪ノリする【PoF♂】開発によってデータにもシュールストレミングに次ぐ危険物となっている。
当然のように、食えば【邪悪体臭】という凶悪なバッドステータスがつくのである。この状態となれば俺の半径一メートル内は腐臭に満ちる。確かゲーム内でゾンビのコスプレするなら定番のアクセントという使い方だったレベルで。
「我はタクアン味噌ショーユ、くさやの干物に汚嬢様といった発酵大国の住人であるぞ。むしろ美容に不可欠な納豆の香りは御褒美である。うふふふふ、我は主様の腸内細菌すら愛せる故に、何の問題があろうと言うのか♪」
「エルフの里ってお塩が少ないんですよねー。それでいて自然発酵の食材って結構多いので、むしろ私には好い香りですよ、ご主人様」
気づけば、いつの間にか背後にはカルエがいた。
あー、そう言えば塩っ気の無い発酵ってスゲー臭いになるとか何とか、そんな雑学ネタがクイズ番組であったような……。
前門のメアに後門のカルエ。敢えて触れなかったがコイツ等、布切れ一枚のキャストオフで既に戦闘準備完了だった。
つまり現状、完全装備は俺のみ。しかしメアは確か防具系装備破壊のスキルやら持ってた筈で……。
「くくくっ、【シェルブラスト・8】」
「おおお、やっぱかー!」
【シェルブラスト】、外装系装備破壊に特化したスキルである。人間が着る系統の装備は大半がこの対象となる。後半の数字は装備レアリティのもんで、メアが使ったのは『+8までの強化装備なら破壊可能』な意味となる。
基本、攻撃を受けないで避けるタイプの俺の装備は、最高でも『+6』。メアのスキルには完敗だ。
「……なるほど。そんな感じの効果なスキルですね。えーと、【シェルブラスト】! おお、できました!」
さらにはカルエまでがメアからのスキルリードを成したらしい。てか初見でスキル習得とかどんだけ知性値高いんだ。ああ、高く振ったの俺だったよ。
なんて自爆。
初回発動のボーナスで、スキルはレアリティに関係なしの発動。二撃連携の効果も乗って俺の上下防具は破壊状態化。強制装備解除されちまった。
残るは主防具より各段に貧弱な副防具。インナーの類のみである。
というわけで、外に魔物がウロつく中。結局まるまる一晩コテージに隠る事となった俺達であった。
……あーーーーっ。




